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アジアを茶旅して 

 

第4回 ミャンマー茶の不思議
     


シャン州 ビンダヤの茶農家

 

「ミャンマーでは茶を食べている」と言われ、思い切ってミャンマーに飛んだのは2003年だった。当時軟禁状態にあったスーチー氏は今や国家指導者となり、ミャンマー、特にヤンゴンの変化は大きい。ただこの17年間で10回以上訪ねたが、そのお茶については、正直謎だらけであり、いまだに何も解決していない。

ミャンマーではいつから茶を食べるようになったのか。いや、先ずいつから茶があるのか。そんなことを考えながら、ミャンマー西北部、シャン州に何度通ったことだろう。南シャンのビンダヤでラペソー(食べる茶)農家にお邪魔すると「あんたの祖先はビルマ人だろう」と言われて驚く。実際シャン州には、納豆、赤飯、煎餅など、現在日本にある食べ物の原型かと思われるものを幾つも見付けることができて楽しい。 

     
     
     


シャン州チャウメイ 昔の茶荘

 

北シャンに「チャウメイ」という街があり、名前を聞いただけで車から飛び降りたこともある。ところがガイドに「チャウメイの意味はミャンマー語で『黒い石』で、『お茶が美味しい』ではない」と笑われた。だが実は山から運ばれてくる茶葉の集積地だと分かり、地元民のバイクの後ろに乗り、急な山道を片道3時間かけて登り、その原始的な茶畑を見に行ったこともある。

 

       

茶を表す言葉は世界的にみて「cha」と「tea」の2系統しかないのが定説となっている。「cha」は中国広東ルート、「tea」は福建ルートと言われており、広東語と福建語の発音に由来している。だがミャンマーでは茶を「ラペッ」と言っており、どう聞いてもchaでもteaでもない。

「ラペッ」はミャンマー語で「片手」を意味するらしい。この地には12世紀にランナー王が茶樹をパラウン族に分け与えたとの伝説があり、これがミャンマー茶の起源と言われている。王様から茶樹を受け取る際、片手で受ける礼を取ったから、片手を意味する古い言葉「レタペエ」からその名が付いたとも聞く。

ではパラウン語で茶を何というのかと聞くと「ミャム」(因みにシャン語では「ネイン」)というらしい。ミャムは、何となくタイの「ミエン(ミアン)」を連想する。ミャムもネインも喉仏という意味するというが、作られた茶葉が喉仏のような形状だったのだろうか。

 

 

 
パラウン族の茶摘み

ランナー王からパラウン族への茶の伝授

     

ミエンとはタイで噛み茶とも呼ばれる食べるお茶。ラペソーとほぼ同じ製法で作られているのに、その呼び名に関連性は見られない。ただ一説にはこのミエン、中国語の「茗(現代発音ではミン)」からその名が取られたともいい、タイに入った食べる茶は、パラウン族のミャムと合わせて、中国から持ち込まれた可能性が大きくなる。

因みに現代では、ミャンマーでラペソーは一般的な食べ物だが、タイのミエンは北部の少数民族の一部で愛用されるに留まり、それも食べるというよりは、噛んで吐き捨てるチューインガムのような存在。また中国で茶の伝播に関連があるとみられている瑶族は、タイにもおり、自らをミエンといっていることも大いに注目される。

そもそもお茶は古来、飲み物だったのかという疑問もある。勿論薬として使われていたのだろうが、「食べる茶」と「飲む茶」は歴史的にどう関連しているのか。食べる茶から飲む茶に進化した、と考える向きもあるが、実際にミャンマーで見ていると、これはそもそも別物ではないかとも思ってしまう。

 

 
タイ北部 ミエン
 
     
 


シャン州 ラペソーからラペチャウへ

 

シャン州の茶農家では、漬物であるラペソーを作るが、価格を見て、天日で乾燥させてラペチャウ(酸茶)にして出荷することもある。このお茶が、日本の四国に残る阿波晩茶、土佐碁石茶などと類似しており、少し前に高知や徳島の茶農家を訪ねて、その比較を行った。

製法やその形状など、似通った部分が多いが、特に碁石茶は、生産者が自ら飲むことはなく、換金作物として瀬戸内に出荷し、その代金で塩などの生活必需品を手に入れており、これはミャンマーでも同じ。因みに瀬戸内の漁師はこの碁石茶を使って茶粥を作っていた。茶粥や茶漬けは食べる茶なのか、飲む茶なのかを考えるのも面白い。

ミャンマー北部で作られているラペソーと高知の山中で作られる碁石茶の繋がりについては、最も興味のある歴史であるが、残念ながらその繋がりを見出すことはできていない。勿論全く無関係で、双方独自に作られている可能性もあるが、ビルマ人の生まれ変わりともいわれる筆者としては、その渡来ルートがある、と勝手に思ってしまう。

最後にインドやスリランカと違い、イギリス植民地にも拘らず、ミャンマーにイギリス経営の大規模茶園がなかったのはなぜか、という疑問もある。確かにシャン州数か所の茶畑を見ても、イギリス人が関与したとの話は出て来なかった。当時イギリスからみたミャンマーは、インドとタイの緩衝地帯で、少数民族の紛争が絶えず、コントロールが難しかったため、イギリスは手を出さなかったとの説がある。現在でも北部カチン州の茶畑に外国人が入ることは難しい状況で、茶旅人としては極めて残念だ。

     
    今回のおすすめ本
   


茶の原産地を探る

1962年の「ビルマ訪問記」を掲載しています。やはりカチン州には入境できなかったとか。

     
     
 

 

須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

     

 

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