コラム:アジアを茶旅して 20/12 第8回 謎めく堺南宗寺を訪ねて
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アジアを茶旅して 

 

第8回 謎めく堺南宗寺を訪ねて
     

堺 利休屋敷跡
堺 利休屋敷跡

 

前号の最後の方で千利休について少し触れた。「『利休は切腹していない』との説は一般的な見解ではない」とある研究者にはビシッと言われてしまった。だが別の資料で「利休はキリシタンだったから切腹は出来ないはずで、斬首だった」という全く別の見解を読んだ。益々モヤモヤしてきたので、何か分かるかと思い、大阪堺に利休の歴史を訪ねた。

堺と言えば戦国時代、会合衆により自治が敷かれ、鉄砲などの生産、南蛮貿易などで栄えた街として知られている。そしてその中心的な商人が、今井宗久、津田宗及、そして千利休などの茶人であったことは興味深い。これは茶の湯が決して単なる文化、お遊びではなかったことを物語っている。

その栄華を極めた堺も、大坂夏の陣までにかなりの部分が焼けてしまい、豪商の屋敷跡も今は簡単な表示だけとなっている。さすがに利休の屋敷跡は近年開放されているが、建物はなくその姿を思い浮かべることはできない。他に利休ゆかりの場所を聞くと、ガイドさんに「南宗寺へ行ったら」と言われたので訪ねてみる。

 

 

     
     
     

堺 南宗寺 三好長慶像
堺 南宗寺 三好長慶像

 

堺 南宗寺 唐門
堺 南宗寺 唐門

 

品川 大山墓地 沢庵和尚の墓
品川 大山墓地 沢庵和尚の墓

 

南宗寺は三好長慶が、父の菩提を弔うために1557年に建立した寺である。三好長慶と言えば、当時畿内を押さえ、幕府の実権を握るなど、一部に信長の前の天下人と呼ぶ声さえあった実力者。ここには三好一族の供養塔が並んでいるが、同時に利休を中心に表千家、裏千家、武者小路千家の千家一門の供養塔もいつの頃からか置かれている。そして千利休と三好長慶の墓自体は、大徳寺内に並んで建っているというから、茶の湯と権勢の結びつき、その関係の深さは相当なものだ。

この寺内には、津田宗及の墓もある。その塔には聖母マリアと思しき女性が描かれ、墓石には十字も記されている。宗及は生前表明していなかったが、死後キリシタンとして葬られた様だ。では利休はどうだったのか? 利休の高弟、蒲生氏郷、高山右近などはキリシタン大名として知られ、前回述べた細川三斎もキリスト教とは近い関係にある。

利休の妻や娘がキリシタンだとの説もあるが、とはいえこの寺に来てみるとなぜか利休はキリシタンではないだろうと感じてしまう。南宗寺には古田織部により作られた、禅寺らしい見事な枯山水庭園を見ることができる。やはり茶の湯は禅宗の影響を強く受けているようだ。

実は南宗寺にはもう一つ重要なものがある。それは徳川家康の墓なのである。家康は1616年駿府で亡くなったというのが定説であるが、何と大阪夏の陣で真田信繁(幸村)軍に追い立てられ、後藤又兵衛の槍に刺されて、この寺まで落ち延びて来て果てたという言い伝えがある。駿府で病死(食中毒?)したのは影武者だとか? これは豊臣家滅亡を惜しむ人々の願望だろうか。

この真偽は全く不明ながら、後に秀忠、家光親子が将軍交代で上洛の際、揃ってこの寺を訪ねたこと、ここに東照宮が建てられたこと、堺奉行は就任するとまず拝廟のために南宗寺を訪れたことなどから、このような説が出て来たらしい。東照宮は第二次大戦末期に空襲で焼失したが、今も唐門が残され、家康の墓と首塚と呼ばれるものがあるのは何とも不思議だ。

家康は信長、秀吉と比べて茶の湯への思い入れが少なく、むしろ新しい徳川の世を作るため、茶道から離れ、これまで封印されてきた煎茶へ目を向けていたとの説もある。もしそうであれば、千家一門と家康が南宗寺に同居しているのは、何とも皮肉な取り合わせだ。

南宗寺も大坂夏の陣で焼けてしまったが、その再建に尽力し、今の場所に再興したのは沢庵和尚であり、住職も務めている。ただ沢庵和尚最後の地は堺ではなく、江戸だった。東京品川に東海寺という大徳寺派の寺がある。ここは1638年、沢庵和尚に絶大な信頼を寄せていた、時の三代将軍徳川家光が、沢庵を開祖として建てた寺である。何故家光が一時は流罪となった沢庵を重用したのか。その要因の一つに南宗寺は絡んでいないのか、ちょっと引っかからないでもない。

現在東海寺と大山墓地の位置はかなり離れている。この墓地の中心にあるのが沢庵の墓となっている。如何にも沢庵らしく、まるで大きな漬物石のような墓石が目を惹くが、これはあの小堀遠州が築造したとの話もあるらしい。

 

       
     

品川 大山墓地 千利休追遠塔
品川 大山墓地 千利休追遠塔

 

そして沢庵の墓前に何となく投げ出されたように置かれているのが、「利休居士追遠塔」と書かれている塔だというのがまた何とも不思議だ。利休没後二百年法要の追遠塔だともいうが、これを作ったのは「江戸に千家の茶を広めたい」とやってきた川上不白だったとか。利休の追遠塔がここにあるのは、不白が江戸で茶の湯を広めるための一種のパフォーマンスだったのだろうか。またこの墓地内には、裏千家六代目六閑斎の墓もあり、千家と沢庵の関係が窺われる。それはまるで堺の南宗寺から綿々と繋がっているようだ。利休切腹の謎は何一つ分からなかったが、今回も堺から江戸まで何とも愉快な歴史茶旅だった。

 

 

 

 

     
    今回のおすすめ本
    茶道美談   


『茶道美談』
熊田葦城/宮下玄覇 校訂
宮帯出版社
茶の湯にまつわる逸話300編を収録した『茶道美談』(大正10年刊)の現代語訳。千利休、古田織部はもちろん、小堀遠州、細川幽斎、蒲生氏郷、川上不白など今回登場した人物のエピソードも掲載しています。

 

 

     
     
 

 

須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

     

 

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