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アジアを茶旅して 

 

第6回 紅茶はやっぱりブラックティーなの?
     


おしゃれに飲まれる中国紅茶

 

日本や中国など東アジアの国々で飲まれている(生産されている)茶の中心は、ご存知の通り緑茶である。だが世界全体の生産量を見てみると、約70%が紅茶なのである。お茶の発祥は中国、世界一生産量が多い国も中国なのに、世界の中心は紅茶というのは、ある意味で不思議に思えるが、勿論これには長い歴史があるはずだ。

紅茶の起源については、もしネット検索すれば、判で押したように「約400年前、中国福建省武夷山桐木村で作られ始め……」となっているように思う。ここで作られたのは正山小種というお茶で、それがイギリスに渡り、ラプサンスーチョンの名で知られている。その特徴はずばりスモーキーフレーバー! この茶はイギリス人に長く愛されてきた。

2008年この正山小種を作っていたという武夷山桐木村で開発、発売され、「紅茶は輸出品」という概念を打ち破って、中国内に紅茶ブームを巻き起こしたのが、金駿眉という銘柄。その特徴は「渋みがなく甘い、中国人好みの紅茶」であり、芽だけを使って極上の紅茶に仕上げたというもので、何と定価は1斤(500g)、9800元(当時の為替で約10万円)だったが、その話題性から飛ぶように売れた。

     
     
     

 
正山小種・金駿眉発祥地の碑(桐木村)

 

ただこれだけ高価な茶なので普通飲み用であるはずはなく、基本は贈答用、しかも官僚向けに送られるケースが多かったともいい、その結果2013年の習近平政権発足後、腐敗汚職撲滅運動に引っかかり、その需要は急落した。同時に純正の金駿眉以外の茶が多く出回り、ブームは去ったが、これを契機に中国各地で中国人向け紅茶が作られるようになる。

その桐木村には「正山小種発祥地」「金駿眉発祥地」(揮毫:張天福)という記念碑は建っているが、残念ながら「紅茶発祥の地」という碑は見られない。400年前は「紅茶」という漢字は使われていなかったからと聞いたが、これでは正山小種と紅茶がイコールであるかどうかも疑わしいという人もいる。

因みに4年ほど前「中国で『紅茶』という漢字が使われ始めたのはいつか」との質問を受け、調べたことがある。確かに明代末に紅茶らしい茶が作られてはいるが、「紅茶」という文字がいつから使われているかは、遂に分からなかった。ある人によれば、アヘン戦争後、欧米人が茶の売買に本格的に乗り出した時、「緑茶」「紅茶」といった茶の区別が必要になった1840年代からだという。

       

ところでイギリス人が飲んでいた紅茶はなぜブラックティーと呼ぶのだろうか。これも昨今流行りの「諸説あります」ということだが、少なくとも「茶葉と茶色が黒かったから」とは推測できる。ただ、現在我々が思い浮かべる紅茶、茶葉は黒でも茶色は紅である。

清代の茶葉の輸出を見ると、イギリスが扱ったその大半が「ボヘア(Bohea、武夷)」と呼ばれる茶であった。ウィリアム・H. ユーカースが書いた世界的に有名な茶の本『All About Tea』の中に「Bohea or Black Tea」という表現があり、中国ではこれをもってボヘアを紅茶だとする説もある。ただ研究者の資料を読む限り、「ボヘアの製法は当時の武夷茶に相当するが、これは現在の紅茶と同じではなく、かといって烏龍茶でもない」とも言われており、実は特殊な茶だったのではないかとも考えられる。 

 
坦洋工夫記念碑(福安)
     

インドダージリンの茶畑
 

もう一つ良く分からないのは、現代中国での紅茶の分類が「小種、工夫、砕茶」の3つに分けられていることだ。小種は正山小種、砕茶は砕かれた紅茶とすれば、工夫紅茶とは何か。一応工夫紅茶の発祥は、福建省福安の坦洋工夫茶で、その発明は1851年だったと地元に行って確認した。福安とは、その昔は福建茶業の中心地であり、1935年に福建初の茶業試験場がレジェンド、張天福によって作られた場所である。ただ坦洋工夫は如何にして作られたのかという核心部分については、どうもはっきりしない。

ふと、昨年復刻されて読み返した松下智先生の『アッサム紅茶文化史』の一節に「インドの茶産業初期の段階で完全発酵の紅茶製法への転換があり、これが19世紀中ごろに逆に輸出用紅茶製法として中国へ導入され、従来の半発酵の紅茶に加わったということができる」とあるのを思い出した。アッサム種を使って紅茶が作られ、カルカッタに送られたのは1839年以降、イギリスでアッサム茶が好評を博すのは1860年代とあるから、何となく年代的には近いものがある。

この考察がもし正しければ、イギリスは植民地インドのアッサムで自国に合った紅茶を開発し、このサンプルを福建に持ち込み、従来中国が製造していたブラックティーとは異なる茶を発注し、中国側が委託生産に応じた(更に工夫を加えた?)ということになりはしないか。この辺りの歴史を空想で語り始めると、今でもキナ臭い中印関係に影響があるかもしれないので止めにするが、イギリスではなぜアッサム紅茶を引き続きブラックティーと称していたか、その疑問は残っている。そして教科書的に言われている「紅茶は完全発酵茶」という概念も揺らぎ、やはり「烏龍茶と紅茶は製造法の違い」という定義の方がしっくりくるように思える。

 

     
    今回のおすすめ本
       


『アッサム紅茶文化史(生活文化史選書)』
茶文化発展の出発点となったインド・アッサム地方―その知られざる歴史と文化。アッサムの製茶文化と、紅茶産業の成立と発展過程を詳述した画期的名著、待望の復刊。

 

 

     
     
 

 

須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

     

 

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