アジアを茶旅して 第24回

投稿者: | 2023年8月1日

森永紅茶とその歴史的なつながり

 

「森永って、昔紅茶を作ってたんだね」と言われて、反応できる人はどれだけいるだろうか。あの森永製菓は戦前洋菓子に合わせるために紅茶を作り始め、そして1971年の紅茶自由化政策で国産紅茶が実質的に終焉するまで戦前戦後を跨いで約50年間、紅茶を作っていたという事実を知る人は、今はほぼいない。

森永紅茶の缶

森永紅茶の缶

森永で菓子に合う飲料製造を指示したのは、創業者森永太一郎だった。最初は宇治のほうじ茶を売り出したが、1930年代洋菓子用として紅茶が検討された。当時は既に三井が台湾で日東紅茶を生産しており、森永も台湾で紅茶原料の供給先を探した。そして辿り着いたのが、中部魚池でアッサム種紅茶を作っていた持木農場だった。

持木農場の創業者、持木壮造は台湾が日本領となってすぐに渡台し、製糖業などで基盤を固め、1925年頃総督府の委託を受け、インドから導入したアッサム種を使い、中部で紅茶生産を始めた。これは政策的案件であり、製茶試験場も茶園拡大のため、中部での調査を進め、1936年には紅茶専用の支所を開設するまでになった。当時の試験場長谷村愛之助と持木壮造が一緒に原生種を探しに山に分け入った写真を見れば、官民一体で紅茶作りが行われた様子が分かる。

森永がどのように持木を知ったかは分からない。ただ持木紅茶の品質の良さを買った森永は出資ではなく、貸付金という形態で持木に資金を提供、生産された紅茶を全て買い取る契約を結んだ。この資金で持木は大規模茶工場を建造し、森永の期待に応えたと思われる。因みに持木紅茶の特徴はセイロンから導入したアッサム種の茶樹にあったようだが、今となってはその香りと味を知ることは難しい。

魚池 持木茶工場

この茶工場と茶園は、日本が戦争に負けて、持木家が全ての財産を残して台湾を去った後、台湾農林によって活用された。1950年代は台湾紅茶の黄金期とも呼ばれ、日本時代の遺産で、台湾茶業界は潤ったという。その後工場は使われなくなったが残され、1999年9月の台湾中部巨大地震で倒壊したと聞く。

2000年代に入ると震災復興策の一つとして、紅茶生産が行われ、東アジアの紅茶ブームと相俟って、日月潭紅茶の名称で地元の特産品になった。そこでは魚池製茶試験場紅茶支所の最後の所長であった新井耕吉郎が功労者として取り上げられ、全てが新井の功績のように語られている。だが日月潭(魚池)で最初に本格的な紅茶栽培を行ったのは新井ではないことは自明の理だろう。

2023年6月我々一行は高知県を目指していた。メンバーは戦後、持木農場の遺産を継承し、今も紅茶作りを続けている和果森林の石茱樺さん一家、台湾紅茶史の研究家、そして持木の子孫だった。なぜ高知なのか。そこには森永紅茶の戦後史が埋もれていた。森永は戦後も紅茶を作り続けたが、その原料を台湾から得ることはできず、国内調達に切り替えた。その主要産地は三重、奈良、高知だったのだ。三重と奈良は台湾で日東紅茶を作っていた人々が担い(第13回参照)、高知は持木家の長男、持木亨が担っていた。

1955年森永と高知県は共同して高知県紅茶会社を設立、社長に持木亨が就任し、高知県内数か所で紅茶生産を行い、その茶葉を静岡県三島の仕上げ工場へ供給していた。その最後の茶工場が倒壊寸前と聞いたのが4年前。持木亨の孫、吉村斉さんと佐川町の山中を彷徨い、劇的に工場を目にし、今も往時の茶樹の葉で紅茶作りを続けていた澤村和弘さん夫妻に出会ったことは忘れられない。

今回高知を再訪し、持木亨の二女吉村洋子さん(吉村斉さん母)夫妻を訪ね、貴重な資料や写真を拝見しながら、お話を伺った。洋子さん、そして今回東京から同行した松村昭子さん(亨の弟、茂の二女)は共に台湾生まれの所謂「湾生」であるが、まさかあの持木農場の地で紅茶作りをしている台湾人が訪ねてくるとはと、実に感慨深げであった。

いの町 吉村洋子さん夫妻

更にはNHK朝ドラの主人公、牧野富太郎の生まれ故郷として活気づいていた佐川町に向かった。我々は富太郎には目もくれず、村田園芸のきれいなべにふうき茶畑を堪能し、古民家でのランチに舌鼓を打った。そして4年前に倒壊しかかっていたあの山の中の茶工場が見事に再生され、歴史が繫がる姿に感動した。

佐川 茶畑

再生された茶工場で

最後に高台に作られた澤村さんのお茶サロンに伺い、雨模様が一転快晴で空気が澄む中、高知と魚池の紅茶テースティングが行われ、持木農場時代から残された茶樹の葉で作った紅茶を味わいながら、生産者同士の交流を深めていった。これぞまさに「森永紅茶が繫ぐご縁」と言えるだろう。

佐川 紅茶生産者の歴史的交流会

その森永紅茶だが、森永製菓社員の小野隆さんを中心に、「森永紅茶復活プロジェクト」が昨年(2022年)立ち上がった。高知の澤村さん、村田さんの他、戦後森永に原料を供した三重県亀山市、奈良県山添村の参加もあり、まずはこれらをブレンドした紅茶の製造、販売を開始した。今後ここに台湾魚池紅茶が加わり、新森永紅茶の新たな発展を切に願っている。

 

▼今回のおすすめ本

茶人と巡る台湾の旅 /アジアの新しい旅シリーズ
茶をこよなく愛する写真家が、長年、心を通わせてきた台湾の茶人たちから教えてもらった、とっておきの人と場所と食と茶の情報を惜しげもなく披露。知られざる台湾の情報満載!

 

 

 

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須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

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