アジアを茶旅して 第21回

投稿者: | 2023年2月1日

タイ バンコクで岩茶を

 

前回2年半ぶりに訪れたバンコクで念願の茶行を訪問した話を書いた。今回はその王陽春茶行とも親戚関係にある、バンコクのチャイナタウン、ヤワラーに店を構える茶行を訪ね、聞いた話を書いてみたいと思う。

訪ねたのはバンコクの老舗、集友茶行。こちらも福建省安渓西坪堯陽村の茶農家出身で、茶の商売で厦門、安渓とタイを行き来していた王清時が1940年にバンコクで創業した。王の母は戦前厦門一とも言われた大茶商林奇苑の娘、そしてその妹は上海で出会ったタイ軍人と恋に落ち、バンコクに嫁いできたというロマンチックな女性で、親の支援でバンコクに建峰茶行という茶行を開業したというから、すごい一族だ。

厦門の大茶商 林奇苑の茶箱

王清時は実家で作った安渓茶をバンコクに持ち込み、売りさばいていたが、その際のねぐらは建峰茶行であり、その後自らの店を構えた。建峰茶行と集友茶行、この2つはバンコク茶業の創成期に躍動した茶商であり、タイ茶の歴史を知る上では極めて重要だ。王清時は今年数え歳105歳で存命であるというが、何分高齢のため話を聞くことが出来ないのは残念でならない。

因みに4年ほど前に建峰茶行の行方を追ったことがあるが、劇的に発見したその店は、その時点で子孫の方がチャオプラヤ川沿いの豪華レストランに鞍替えしており、僅かに茶行の看板が残されていた。だが今回聞いてみると「コロナ禍でレストランも閉めてしまった」という残念な知らせが耳に入る。あの看板はどうなってしまっただろうか。

バンコク 残っていた建峰茶行の看板

また日本人によく知られている香港上環の老舗堯陽茶行とも親戚だというから、集友茶行はまさに福建系茶業界で主流を占める店だったと言ってよいかもしれない。堯陽茶行も同じ安渓西坪の出で、1930年代に厦門から香港に移ったが、現在でも厦門の開元路には当時の建物が残されている。堯陽茶行は茶葉輸出基地を持つ大規模茶商であり、今でも香港で営業を続けている。

香港 堯陽茶行 3代目

集友茶行に話を戻すと、王清時の息子、2代目の王国星が店を継いでいる。久しぶりに訪ねていくと、王は相変わらず元気そうで、奥さん共々笑顔で迎えてくれた。この2年半、コロナが酷い時は店を閉め、開けている時も茶の提供はせず、茶葉を売るだけだったというから、かなり大変な状況を耐え抜いたと想像する。因みに王の店は、今でも中国国内から茶葉を輸入しており、ゼロコロナ政策の中国にあって、その移送はコンテナの手配に始まり、通関を経て、かなりの労力を使っていたようだ。

バンコク 集友茶行 王国星

最近ようやく通常営業に戻ったといい、今日は濃い目の岩茶を淹れてくれながら、その岩茶にまつわる逸話を聞いた。彼とはこれまで何度も会っていたが、父親が安渓出身ということから、鉄観音茶(安渓発祥の茶)の話題が多かったが、中国の改革開放後、いち早く岩茶に目を付け、香港まで出向いて中国から流れてきた茶を買い付けていた話は初めて聞いた。それは父王清時が戦前武夷山と縁があった(大茶商林奇苑が武夷山に茶園を持っていた)ことも大いに関係している。

1980年代の中国にとって、茶は貴重な外貨獲得の輸出商品であり、特に武夷山の岩茶は希少価値が高く、持ち出しが難しい茶だった。因みに筆者が初めて武夷山に行った2000年でも、武夷山空港からの茶葉持ち出しは一人3㎏に厳しく制限されており、超過すると没収されると言われたのをよく覚えている。

改革開放直後それまでの社会主義体制が崩れ、中国人も必死に生きるための手段を模索しており、岩茶もそれらの人々の手を経て深圳まで運ばれ、最後は人が命がけで茶葉を持って川を越えて香港側に持ち込んだとも聞いているので、当時の状況のすごさの一端が分かる(因みにこの時茶葉を抱えて香港側に渡り、そのまま香港に定住している知り合いもいる)。

以前の香港-深圳 国境の川

そうやって渡ってきた茶葉を香港側で纏める仲買人がおり、そこから茶商が買い付けたようだが、当初は価格も高く、売れる見込みも不明確な茶に手を出す者はおらず、皆様子見を決め込んでいたという。そんな中、バンコクからやってきた王国星が初期に買い付けを行った一人だというから、ある意味で彼は茶業の歴史的な人物なのかもしれない。

現在彼の手元には、父親が手に入れた1960₋70年代の武夷岩茶、そして自らが香港で入手したという1980年代の茶など、相当貴重な物が残されている。1990年代に香港などの茶商たちがこぞって買い戻しに来た時の僅かな残りを最近掘り出したらしい。これもコロナ禍の成せる業だろうか。

当時輸出されていた茶の品質はかなり良かったのだろう。淹れてもらったその茶は40₋50年前の物とはとても思えない、雑味のない、クリアーな味わいで驚いた。この40年で中国は大きく変わり、それに伴って中国茶の生産量、そして品質・価格も大きく変わっていった。そんな中、バンコクで頑なに茶商を続けていくという苦労、そこには決してコロナ禍などには負けない強さを感じさせられた。

 

▼今回のおすすめ本

岩茶のちから 中国茶はゴマンとあるが、なぜ岩茶か? 
岩茶という聞いたこともないお茶を飲みに、中国の武夷山へと赴いた。そのことが著者の人生を変えることになる。古来、中国の皇帝たちを虜にしてきた伝説の『大紅袍』をはじめ、謎めいた岩茶のちから、その現在・過去・未来を、本物の岩茶を日本に伝え続けてきた著者が解き明かす一冊。

 

 

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須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

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