アジアを茶旅して 第20回

投稿者: | 2022年12月1日

タイ コロナを挟んで訪ねたバンコクの老舗茶荘

 

実は4年ほど前から東南アジアの老舗茶荘を訪ね歩き、華人茶商の足跡を探している。タイのバンコクでは、「老舗の茶商など既に全ていなくなったよ」とチャイナタウンであるヤワラーで言われたが、粘り強く探した結果、いくつかの老舗が現存していることを突き止めた。その中には台北でも有名な王有記も含まれている。元々王有記は福建省安渓から出て、バンコクで財を成し、台北に拠点を移したが、バンコクでも末裔が茶荘を経営していることはあまり知られていない。

その王有記の北側に、もう一つ老舗茶荘があった。ドリンクスタンドだが、店の名が王瑞珍だったので、思わず反応してしまった。というのは、台北とマレーシアのイポーでこの名前の茶荘を見たことがあり、恐らくは親戚であろうと推測して入ってみた。だが店を預かる女性は華人の顔はしているが、華語は全く分からないと頭を振り、通訳を入れても自らの茶荘の歴史は分からないと言われてしまう。

後日この店の3代目オーナー、80歳を越えた王天慶夫妻と会って話を聞いた。やはり王さんはバンコク生まれだが、その祖父は福建省安渓西坪堯陽村の出身で、タイに渡ってきた人物。台北の王瑞珍も親族が経営している。ただマレーシアについては、親戚はいると思うが、茶荘をやっているとは聞いていない。

王瑞珍 3代目 王天慶氏

店は娘に任せて、王さんは普段、息子とともに川の対岸クディチンに住んでおり、茶工場もそこにあるという。中国やタイ北部から茶葉を持ってきて、この工場で加工して売っている。クディチンと言えば、アユタヤから移住した福建人が多く住むエリア。何となくバンコクの歴史が鮮やかになっていく印象がある。

王瑞珍の包装

王さんの話の中で興味深かったのが、この近くにまだ数軒、老舗茶荘が残っているという証言だ。地下鉄サナムチャイ駅近くの花市場付近、花屋が並ぶ一角をよく見てみると、合間に茶を売る店が見つかった。王陽春は『安渓華僑誌』にも名前が記されており、ある意味で大発見だった。パイナップルの商標が何ともかわいらしい。奥から華人女性が出てきたが、店や一族の詳しい歴史は母親に聞いてほしいと言われた。

安渓華僑誌

彼女は華語を解したので、後日再訪すると伝えたが、何とこれがコロナ前最後の茶旅となり、バンコクロックダウン、日本へ緊急帰国となってしまった。とにかくバンコクにもまだまだ隠れた茶荘があり、その歴史に踏み込む余地はあることだけは理解した。

王陽春のパイナップルマーク

それから約2年半を経てバンコクに舞い戻り、再び花市場の店に行った。1₋2軒あった他の茶荘は、名前だけを残して花屋になっており不安が過ったが、王陽春は営業を続けていた。何とか電話で母親共々会ってくれるとの確約を得た。ところが……、前日になり、何と家族がコロナ陽性となり、面談は敢え無くなくなった。余程ご縁が無いのだろうか。

1か月後、彼女から母親も回復したので面談可能という嬉しいお誘いがあった。地下鉄サムヨット駅で降りて、ふらふら歩いて行くと、ロイヤルシアターがあり、その先にはラーマ五世像がある。前述の王瑞珍茶荘あたりから、この付近までが古い華人街であり、それはタイ王室とも深く関連している様子が見て取れる。

店では2代目店主、王暹娇(1942年生まれ)とその3人の娘、そして孫娘までが待っていてくれた。この店の最大の特徴は、働いている従業員まで含めて全てが女性であることだった。1930年頃王孝冠が福建省安渓堯陽村からバンコクに渡り創業したという王陽春は、バンコク茶業界でも最も早い時期からある茶荘の1つである。因みに香港や台湾にある有名な堯陽茶行もこの村の出であり、当然ながら親戚関係にあり、以前は商売上の繋がりも深かったという。

だが王孝冠は早くに亡くなってしまい、嫁の廖雪亷が茶荘を継いでいく。ここからこの店の女系が始まったらしい。第2次大戦後、元々横丁にあった店を路面電車の通る大通りに移転(現在の店舗)、中国や台湾から茶葉を輸入して、独自のブレンド、焙煎で仕上げて華人客を中心に売っていた。この頃この界隈には10軒以上の茶荘があったというから、その繁盛ぶりが分かるが、その後の紆余曲折を経て、現在ではついに王陽春だけになってしまった。

廖の娘である王暹娇、夫は全く茶業に関わらず別の仕事をしていたため、一人で茶荘を経営していった。長女は「今でも母がオーナーです」というほど、長年に渡り大黒柱だった。そして3代目の三姉妹(珊珊、珮珮、瑩瑩)が実働部隊を徐々に引き継いでいく。王陽春の商標が顧客に分かりやすいパイナップルのマークであり、お店の雰囲気が何とも愛らしいのは、歴代店主が女性だったからに他ならない。この店の未来がどうなりそうか尋ねてみると「それは4代目の考え次第」と、傍で遊ぶ小さな女の子に皆の目が行く。バンコクの女系茶荘にはぜひ続いて欲しいと願い、店を後にした。

王陽春の女系3代

 

▼今回のおすすめ本

失敗のしようがない 華僑の起業ノート 
「遠回りしておめでとう」「貧乏な時こそ外に出る」「人を選ぶのはレベルが低い」など、非常識のようでいて、「確かにそうだ」と思わずうなずく華僑の教えを伝授。

 

 

 

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須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

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