ベトナム 台式高山茶の歴史を学ぶ
ベトナムの茶の歴史を追いかけて、昨年(2023年)は4回もベトナム数都市を旅した。その中には台湾人が高山茶を作っていることで有名なバオロックやダラット(観光地としても有名)なども含まれており、6年ぶりにそこを訪れ、その大きな変化にベトナム産高山茶の現状を垣間見る機会を得た。
今回もホーチミン市に立ち寄った。同市については、既に第27回「ホーチミン中心街の老舗茶荘」として書いているが、もう一つ茶荘が見付かったとの情報で出掛けてみた。場所は市内中心の1区から西の11区へ。5区華人街のショロンを通り過ぎてまだ西だ。この地域にもいくつもの華人廟が見られ、ベトナム戦争前の同市における華人の広がりを見ることが出来た。
その店、怡發茶荘の前に車が止まると、主人が笑顔で迎えてくれた。最近は老舗茶荘として名が知られ、ベトナム国内や海外からもわざわざお茶を買いに来る人がいるという。郭鉄佛さん(1965年ホーチミン生まれ)によれば、彼の両親が1948年に中国の潮州から渡ってきて、当初は親戚など同郷人の茶業者の下で働いていたが、潮州でも茶業に携わっていたことから、2年後には独立、店を開いたという。

怡發茶荘の郭鉄佛氏
郭さんの母親は現在90歳になるが、とても元気でにこやか。ただ華語は話さず、家では潮州語で会話しているという。潮州人に関して、茶業での重要性はこれまでも述べてきているが、この老婆はまさに生き証人である。サイゴン陥落前、店はかなり流行っており、台湾から包種茶などが輸入され、またバオロック付近からも緑茶が運ばれてきていたという。

郭氏のお母さんと
郭さんはバオロックの茶業史について、実に簡単明解に説明してくれた。彼は1990年代、台湾人が茶園開発を行うためにバオロックに出向いた際の通訳を務めており、様々な時代の茶を見てきたという。
バオロック、ダラット方面で最初に茶業に関わったのは、フランス植民地時代のフランス人だった。当時はイギリスがインドやスリランカで紅茶生産をリードしていたから、フランスも対抗心を燃やしたに違いない。知り合いが数年前にダラット近郊に行った際、1927年創業と書かれた茶工場を見たというから、恐らく100年以上前に紅茶生産は始まっていた。

バオロック フランス人が紅茶生産のために植えた茶樹
その後1954年にフランスが撤退していくと、次にバオロックを目指したのはホーチミンあたりの華人、特に潮州系茶商だったという。この時代茶畑のある北部は社会主義国であり、茶葉が南には入り難かったようだ。更に大産地である中国も茶葉輸出を統制しており、ベトナム南部は茶葉不足であったと思われる。そこで華人が自ら茶生産に乗り出し、緑茶を生産。ホーチミン郊外で花を栽培して花茶(香片)などの商品に仕上げたらしい。
だが1975年のサイゴン陥落とその後の混乱、更には国営化の波もあり、茶業は停滞してしまった。そこへ90年代の高山茶ブームで台湾人がやってくる。台湾製法で作られた高山茶は、台湾人がベトナム、タイ、インドネシアなどに、台湾茶葉品種と製造機械などを持ち込み、生産がスタートした(実はその前に烏龍茶作りで先陣を切ったのも、ベトナム華人だったらしい)。

ダラット郊外 台湾人が作り続ける茶畑
最盛期は30軒以上の茶園が開拓され、茶工場が建てられた。2000年代に入るとその品質は徐々に向上していき、現在では台湾産とそん色ない、いや台湾のコンテストで入賞する茶も出てくるほど、良い茶が出来るようになった。
だが2010年以降、台湾内で高山茶の売れ行きに陰りが見え、紅茶や東方美人茶などに流行りが移っていくと、ベトナム産高山茶はむしろ厄介な存在となり、台湾市場から排斥されていった。現状バオロックで茶業を続けている台湾人は10軒にも満たないようで、ベトナム人に経営を譲るか、不動産会社に土地を売却して、別荘地になってしまったところもある。

バオロック 別荘になった茶畑
郭さんの店では、現在バオロックの潮州人が作っている緑茶や烏龍茶を販売している。更にはここ10年ほど、自らの故郷である潮州の鳳凰単叢などが著名になり、そちらの販売も始めている。茶業というのは、その時代ごとの背景と顧客ニーズに合わせて茶が作られ、売られていくのだと強く感じる。
最後に郭さんが「ホーチミンにはもう老舗茶荘はほぼ残っていない。ただ昔からの繫がりで、今でも卸しだけをやっている店があり、外からは営業しているかは分からない。その店が茶葉を卸しているのはホーチミン市ではなく、カンボジアのプノンペンと関係ある別の街の茶荘だよ」とこっそり教えてくれた。
まさかここでプノンペンが出てくるとは予想外だったが、よく考えてみれば、そもそもベトナム南部には多くのクメール人が住み、今でも様々な往来があると聞く。その中で茶生産が無いカンボジアで華人が茶を飲むための流通ルートがあるのは、ごく自然なこと。それを仕切っているのが潮州人というのも頷ける。もう少しこの地域について勉強して、インドシナの茶歴史に挑戦したい気分になる。
▼今回のおすすめ本
増補新装版 ベトナムの世界史 中華世界から東南アジア世界へ
かつて自らを中華帝国の南国と位置付けていたベトナムは、フランス植民地支配やベトナム戦争を経て、冷戦構造が崩壊し、東南アジアの一員としての自覚を見出しつつある。そのナショナル・アイデンティティの展開を、世界史の流れの中において考える。ベトナムの近現代を知るための基本書。1995年初版本に補章を増補して復刊。
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須賀 努(すが つとむ)
1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]