アジアを茶旅して 第27回

投稿者: | 2024年2月1日

ホーチミン中心街の老舗茶荘

 

ホーチミンの有名観光地、ベンタン市場を歩いていて急に思い出したのが、ここに老舗茶荘があるという情報だった。確か5年前に探しに来たが、見つからなかった記憶がある。今回は何とか辿り着いたが、店には看板もなく、扉も半分しか開いておらず、とても営業しているようには見えなかったが、思い切って中に入り、華語で声を掛けると返事があった。松記というお店で、すでに半分引退した夫婦がいた。聞けば先祖は潮州出身で茶荘は100年位前に開かれたらしい。

ホーチミン 松記

1957年生まれのオーナー柯明さんから出た「解放前は良かったよ」という言葉が印象的だった。解放前という言葉は中国なら1949年以前を指すだろうが、ベトナムではベトナム戦争終結の1975年以前を指す。当時親族も多くが海外へ逃れたが、彼はこの地に残った。「老人がこの土地を離れたくないと言うので面倒を見た」らしい。そこには相当の葛藤があり、解放前の賑わいを思い出しながら言葉を絞り出している感じがあった。

第二次大戦前は中国から岩茶、台湾から包種茶などを輸入していたが、ベトナム戦争、中越戦争と続き、その後はベトナム産の茶を商うだけとなった。古びた棚に今や商品はない。僅かに売っていたバオロック方面で作られた花茶を購入すると、如何にもトラディショナルな包装紙に包まれ、そこに僅かに歴史が感じられた。

松記の柯明氏とレトロなパッケージ

「息子は二人ともアメリカに留学し、そのまま就職した。この店を継ぐなんてありえないよ」と柯さんは笑いながら話す。戦争、混乱の中守り抜いたこの店も、終焉は近いのだろうか。ベンタン市場の横という好立地にありながら、看板一つ出さず、観光客を呼び込むこともしないその姿勢に複雑な歴史を思う。

もう一つ茶荘に出会った。懐かしのマジェスティックホテルを通り過ぎ、ホーチミン市税関局の建物にやって来た。ここは150年前大物華人の邸宅があった場所。往時はアヘン取引などが盛んだったらしい。今もベランダの模様にその名残があるという。そこから海と反対に歩いていくと、ちょっとした華人街がある。

角に茶荘があった。恐る恐る入っていくと老板と目があった。華語で話し掛けるとすぐ返事がある。店の歴史を聞きたいというと「まあ、座れ」と茶を淹れ始めた。ここは解放直前に開店したそうで、父親は広東広州郊外から来たという。開店してすぐは順調だったが、サイゴンが陥落して……?

「ベトナム戦争の最終盤は怖かった。家に地下壕があり、よく避難していたのを覚えている」という。戦争が終わればよくなるだろうとの期待は裏切られ、今度は中越戦争が始まり、華人の境遇は悲惨となる。「何店舗かあった店と財産はほぼ没収され、現店舗兼住居だけが残された。3年ほどは営業許可も得られず、息をひそめて暮らしていた」と。

この「新生茶荘」のオーナー李さん(1969年生まれ)は非常に気さくで、話はどんどん展開していく。そこへお客が入ってきた。シンガポール人の若いカップルはベトナムコーヒーを買いに来たが、そのパッケージを見てベトナム茶も合わせて購入していく。「今は観光客相手にこんな商売だよ」と笑っているが、本業は茶の卸しらしい。とにかくコーヒーに押されて茶の需要は伸び悩んでいる。

新生茶荘の李氏

店の路地を入ると道の両側に屋台の店が出ており、野菜などが売られていた。その陰に隠れるように、「西貢廣肇中華理事會館」の文字が見えた。門は閉まっているが、察するに普段は華語教室などに使われ、会合がある時だけ広東会館になるのだろう。やはりこの付近は潮州系ではなく、広東系が多い場所だとそれで分かる。

西貢廣肇中華理事會館

ショロンの茶荘は

ホーチミンのチャイナタウン、ショロンにも行ってみる。目指したのは先日訪ねた際は閉まっていた老舗茶荘。行ってみると、何とか扉は開いており、声を掛けると中年の女性が出てきた。華語を話したので少し聞いてみた。奥には彼女のお母さんと思われる女性もいて、何か言いたそうだったが、結局一言も発しなかった。

ショロン 福利茶荘

「福利茶荘」は福の字が付いたので福建系かと思っていたが、どうやら潮州系らしい。少なくとも解放後の1980年代初めには、この地で茶荘を開いていた。それ以前のことはよく分からないというが、それは話したくない歴史なのだろうか。潮州系ということもあり、解放前は別の場所で、もっと手広く商売をしていたとも考えられるが、真相は闇の中へ。

恐らくこの店には、2008年ホーチミンを訪ねた際も立ち寄っており、その頃はまだ活気があった。お客が沢山来ていて、茶の品ぞろえも豊富だったように思う。今はコーヒーの片手間に茶を売る状況、小売りもほぼ止めて卸しになっているように見えた。解放前は華人の商売で栄えたショロンには、もはや老舗茶荘は一つもないという。隣にはショロン出身者が経営するカフェがある。きれいな現代的なカフェ形態でないと、生き抜いていくのは極めて難しいことを如実に表していた。

 

▼今回のおすすめ本

冷戦アジアと華僑華人
分断の祖国と不安定な在地。明日の見えない世界で活路を求め、血縁や「幇」など様々なつながりをたぐりながら生きた日々。聞き取りと史料から暮らしや社会活動のディテールを掘り起こし、現代に至る人々の「根」を探る。

 

 

 

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須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

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