アジアを茶旅して 第3回

投稿者: | 2021年5月30日

お茶にまつわる素朴な疑問

 

岡山 美作番茶の茹で釜

ここ数年、茶旅を続けている中で、茶の歴史について中国人、台湾人、香港人、華人の茶業者に様々な質問をしてきた。すると先方もここぞとばかり、日本茶に関する質問をしてくるケースが増えている。日本や日本茶への関心が確実に高まっていることは何とも喜ばしい限りではあるが、実は質問に答えられず、立ち往生することも多くて困っている。

「日本茶の専門家ではなく、ただの旅人なので」と言って逃げ切るケースもあるが、中国人が漢字のみを見て、その意味を考えながら発する、何気ない素朴な疑問には、正直「なるほど」とか「そんなことは考えたこともなかった」というものが多く、困りながらも、その原点が知りたくてうずうずする。

例えば、「日本にはなぜ『茶色』という色があるのか」という上海人の質問に、皆さんはどう答えるだろうか?少なくとも現代中国語には普通名詞として茶色という言葉はなく、「棕色」とか「褐色」という文字が使われる。英語では「Tea Color」ではなく「Brown」、スペイン語では栗色の「Marrón」と呼ぶらしい。ただ彼ら中国人の一番の疑問、質問の意図はずばり「現在日本人が飲んでいる茶の色は緑なのに、なぜ茶色というのか」ということであろうか。

先日岡山県の美作というところに行った。播州美作と言えば宮本武蔵の故郷として知られているが、昔は茶産業が盛んなところであったという。現在でも茶業を続ける「小林芳香園」を訪ね、伝統的な茶である美作番茶の製造法を聞いている中で、なぜ「茶色」というのか知るヒントを得、その意味が分かったような気になってしまった。

その製法とは摘んだ茶葉を釜茹でし、その後その葉を天日干しするが、美作番茶の最大の特徴はその際に、茶葉を茹でたその煮汁を干している茶葉に掛けることだというのだ。理由は「茶葉に艶が出て美味しそうに見えるから」とのことだった。辞書を引くと「室町時代より茶の葉の煎じ汁が染料として使われはじめ、それにともない茶色の名が生まれる」などとある。茶は飲むだけではなく、その煮汁は染料として使われていた、そして茶色という普通名詞化するほど普及したということらしい。昔日本人が飲んでいたのは、緑の煎茶ではなく、番茶など、茶色の茶であっただろう。

実は中国人の質問でもっとも難儀するのは「煎茶」かもしれない。今は日本茶と言えば、日本人は煎茶を思い浮かべる。ただ福建人から「煎茶とは文字からすれば煎じる茶だが、日本人は今、急須に茶葉とお湯を入れて抽出するだけで、煎じてはいないだろう」と突っ込まれると、もうこれは答えることができない。

福建省福清 隠元禅師の故郷で煎茶

日本の煎茶の祖は、清朝の初め、日本に亡命してきた中国の高僧、隠元禅師だと言われている。隠元が持ち込んだ茶葉がどんなものだったかは今では不明だが、茶葉を煎じていたのは間違ないだろう。すると一体いつ、煎茶が煎じない茶になったのか。煎茶を広めた黄檗宗の僧、売茶翁の時代か、はたまた日本の煎茶製法を確立したとも言われている、宇治の永谷宗円の時代なのか。この辺が解明されて来れば、「茶色から緑の茶への変化の過程」に一歩近づくことができるのであろう。

同じような質問に「抹茶はなぜ抹茶と書くのか?」というのもあった。日本語の辞書によれば、「抹」には「細かく砕く」などの意味があるが、中国人によれば「中国の辞書には『拭く』という意味しかない」という。抹茶も宋代の中国から渡って来て、その後本国では廃れてしまった。日本では茶道などにより、大いに発展したため、中国人の関心は非常に高いのだが、我々日本人は何も考えずに抹茶という文字を使っていることになる。

ある人から「本来は『抹』ではなく、『磨』という文字が使われたのではないか」という指摘もあった。この2つの言葉は発音も同じであり、現在の中国でも珈琲豆を挽く場合など、「現磨」で「挽き立て」の意味で使われていることから連想はできるが、どうだろうか。

福建省福清 黄檗宗万福寺山門

京都宇治 永谷宗円生家

最後に「日本にはそもそも茶樹があったのか、それとも中国から渡ってきたのか」という質問も出てくる。恐らく質問してくる中国人の方は「中国から渡ってきた」という答えを期待しているのだろう。だがこれは、植物学などを経ても、簡単に答えが出る問題ではないらしい。現代にはDNA鑑定などの方法があるので、すぐに分かるのではないか、とその道の権威に聞いたこともあるが、「一体どれだけのDNAを集めてきて照合すればよいのか。またそのための許可を各地で取るのに、どれほどの時間がかかると思っているのか」と言われたことを思い出す。

ただ文字の観点だけからいえば、「茶」という文字は日本語では「チャ」「サ」と読む。この2つは共に音読みであり、日本には茶の訓読みはない、とも聞いている。「もし訓読みがないのであれば、既に答えは出ているのではないか」と、台湾人に言われたが、さて本当のところはどうだろう。

 

今回のおすすめ本
同じ漢字をいろいろな「字典」で引き比べてみるのもおもしろいかもしれません。

新华字典(第12版)(单色本)(商务印书馆)
全訳 漢辞海 第四版 小型版(三省堂)
漢字源 改訂第六版(学研プラス)
角川新字源 改訂新版(KADOKAWA)

 

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須賀 努(すが つとむ)
1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

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