アジアを茶旅して 第23回

投稿者: | 2023年6月1日

台湾烏龍茶を初めてアメリカに直輸出した李春生の謎

 

台湾茶の歴史を訪ねる、という連載をしていたことがある。その際多くの日本人から聞かれたのは「最初に台湾烏龍茶(フォルモサウーロン)を輸出した人について知りたい」というものだった。確かに台湾茶といえば烏龍茶だろうから、その歴史に興味を持つのは当然だ。

それならばイギリス商人、ジョン・ドットの下で実務を担当した買弁李春生の歴史を知るのが有用だろうと思い、調べてみる。1838年福建省厦門郊外同安で貧しい家庭に生まれた李は、1851年厦門の教会で洗礼を受けキリスト教徒となり、同時に英語を学ぶ機会を得る。その才が評価され、1857年厦門のイギリス系エリス商会に勤め、海外貿易を学ぶ。そして1861年には自ら四達商行という店を持ち、茶葉の販売も手掛けていたが、太平天国の乱など国内動乱に巻き込まれ、事業に行き詰まる。

その頃ドットが台湾に目を付け、最初は樟脳、そして茶業を進める。そのパートナーとして活動したのが李であり、1865年ドットの宝順洋行の買弁となっている。茶業に適した土壌を探し、福建から茶を送って植えさせ、農民に製茶を教え、資金を前渡しして茶業に当たらせた。その結果製茶は順調に進み、まずはドットの本拠地マカオに送られ、1869年には茶葉を載せた船がアメリカへ向かい、ドットと李は「台湾烏龍茶を初めてアメリカに直輸出した男たち」として名を残した。ちょうどスエズ運河が開通した時だった。時代の流れが来ていたといえようか。

李春生

李春生(李福然氏提供)

ジョン・ドット(李福然氏提供)

それから僅か十数年。李春生は多くの外商の代理店となり、また自らも茶葉、樟脳貿易に乗り出し、更には石油事業でも成功を収め、相当の資金を蓄えたようだが、この間彼が一体どんな茶貿易をしたのか、どのようにして巨万の富を築いたのか、そのエピソードなどがほぼ残されていないのは不思議でならない。ここが分かれば、台湾烏龍茶の魅力も更に増すように思え、何とも残念だ。ただ外国商会の代理店としては、そのビジネスの具体的内容を口外することはできなかったのかもしれない。

1880年代李は土地開発や鉄道敷設など、社会インフラへ投資をする富裕実業家となっている。清朝から派遣された台湾巡撫劉銘伝の政策もあり、台湾茶業の根拠地となる大稲埕の開発にも、当時の富豪板橋林家の林維源と共に乗り出している。李は単に烏龍茶を輸出する茶業者でなく、台湾全体のインフラ整備を行い、その発展に大いに貢献した人物としてその名を知られ始めていく。

今回ドットが設立し、李も関わった宝順洋行があった萬華へ行ってみた。萬華は元々北部台湾で一番賑わっていた街で、多くの福建移民が集まっていたが、その中で泉州系と樟州系住民の間で1850年代以降、土地や港を巡る暴力的な争いが起こっていた。そんな中で設立された宝順洋行も1868年に地元民に襲撃される事件があったとの資料もあり、この頃の茶輸出はそう簡単ではなかったと思われる。

今でも下町の風情を残す萬華だが、150年前のその店舗跡を見出すことは全くできない。学海書院旧構(高氏宗祠)付近にあったといわれているが、訪ねた時は改修工事中で何も見出すことはできなかった。近所の広州街や華西街の夜市はポストコロナで大いに賑わっていたが、往時の賑わいはどんなだったろうか。

ところでなぜ茶業は当初栄えていた萬華から、大稲埕に移ったのか。それは港を巡る争いに起因しており、同じ福建系でも港に直接関われなかった泉州、厦門系商人は新天地を求めて、大稲埕に移動した。その旗振り役が同安出身の李春生だったということであり、外国商会もこちらに誘致して大発展を遂げた。

現在の大稲埕

そして日本が台湾統治を始めた1895年。既に李は台湾有数の実業家として一目置かれる存在となり、翌年には台湾民間人として日本に招待されている。孫を含めた留学生を引き連れて日本に到着すると、日本茶貿易の第一人者、大谷嘉兵衛らの歓待を受けている。李は日本に2か月余り滞在したが、そこで見たものがその後の彼の人生を左右したらしい。

大稲埕に建てられた李家は、その港を一望できる大邸宅であったと語るのは、李のひ孫に当たる李福然氏。彼は実際にその邸宅で幼少期を過ごし、数十年に渡り、李春生とその一族を研究している。何度か訪ねて、教えを乞うてきたが、ちょうど3年半ぶりに訪台したこのタイミングで、「李春生生誕185周年特別展」が開催されていたので見学した。

李福然氏と

会場は総統府からほど近い済南教会。100年を越える立派な建築物に驚いたが、ここも晩年李春生の寄付によって建てられたと聞き、納得する。1902年に実業界から引退後、彼は宗教や文化、哲学などの研究に勤しみ、日本統治時代の李は、実業家というより寧ろ思想家として知られている。今年は生誕185周年だが、来年は没後100年。李氏の展示会はきっと今後も続いていくことだろうが、初期の茶業について知る手掛かりを発見することは容易ではない。

済南教会

 

▼今回のおすすめ本

中国茶&台湾茶 遥かなる銘茶の旅
高級評茶師の資格を持ち、365日中国茶と台湾茶を愛飲する著者。これまで70回以上出かけた「茶の旅」における、茶師・茶農家の方々とのふれ合いや製茶の様子、現地の習慣をはじめ、著者の「茶」への向き合い方などを紹介したエッセイ。

 

 

 

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須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

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