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アジアを茶旅して 

 

第9回 茶を売りにシベリアを横断した平尾喜寿とは?
     


現在の高知の茶畑

 

昨年高知県を旅した。高知駅前の観光案内所で「竹内綱にゆかりのある場所を訪ねたい」と聞くと「高知市内にはほぼない」と即答された。皆さんは竹内綱をご存じないかもしれないが、あの戦後の復興期に総理大臣を務めた吉田茂の実父と言えば分かるだろうか。さすが案内所の係員、回答が早いと調子に乗って「では平尾喜寿はどうでしょう?」と聞くと、さすがのベテラン係員も首をひねってしまった。

今や高知でも知る人は殆どいない平尾喜寿とは何者か。1847年高知城下で生まれ、戊辰戦争で板垣退助総督の下で従軍、会津戦にも参戦した。その後板垣の立志社に参加、士族の授産事業(明治維新で失職した武士の救済事業)として製茶業に参画、1880年紅茶の直輸出を目指す混々社を設立して、その取締役として活動している。

今では高知人にさえ殆ど知られていないが、実は明治初期、インドで紅茶製法を学んだ幕臣多田元吉が帰国後、日本で最初にインド風紅茶を製造したのは、静岡でも京都でもなく、ここ高知県だった。山茶と呼ばれた在来種が山々にあり、これを原料に紅茶などが作られ、海外でも好評だった。ある意味で日本紅茶発祥の地は高知だったともいえるし、明治初期の紅茶産量は日本一だった。

     
     
     
     
     

 

 
茶葉貿易で栄えた漢口郊外羊楼洞

 

混々社での功績が認められ、1884年平尾は高知県茶業組合初代頭取に就任する。更には1887年に設立された茶業組合中央会議の初代副議長にもなって中央に進出。事業能力のみならず、統率力もあった人物であろう。平尾喜寿を今回取り上げた理由、それはこの明治期に茶業組合より海外視察に何度も派遣されていることであり、平尾はこの時代の日本茶業界のまさに国際派、海外貿易ができる人物として一目置かれていた。

1886年手始めに台湾・中国・インド・セイロンへ行っている。ここで注目するべきは台湾。日本が台湾を領有する前に、茶業関係者が烏龍茶製法の研究でこの島を訪れたのは、恐らく平尾が初めてだったろう。実はその翌年静岡の藤江勝太郎が台湾を訪れ、烏龍茶製法を持ち帰り、日本初の烏龍茶製造会社を立ち上げる(その後藤江は日本統治下の台湾で製茶試験場を作り初代場長になる)のだが、この流れに先鞭を付けたのは平尾ではなかったのか。

更に平尾は台湾から中国本土に渡り、当時の茶業の中心地の一つであった湖南湖北で、ロシア人経営の磚茶会社などを視察している。当時磚茶(粉末茶を固めたブロック型茶)はこの地で盛んに作られ、集積地漢口から万里茶路と呼ばれるルートでモンゴル、シベリア、遠くはペテルブルクまで運ばれていった一大輸出品だった。

       
       
       
       
       


シベリアに運ばれた磚茶

     
     
     
     
     

平尾は日本製磚茶のロシアへの販売に可能性を見出し、1888年ウラジオストクから陸路シベリアを横断して、モスクワ、ペテルブルクに辿り着いている。シベリア横断と言えば、福島安正陸軍中佐が有名だが、平尾は彼より3年前に横断に成功しており、これは日本人初だと言われている。

実は筆者は5年ほど前、シベリア横断ではないが、湖北湖南からモンゴルを抜け、イルクーツクからシベリア鉄道に乗って、このティーロードを旅したことがある。詳細は同行させて頂いた旅行作家下川裕治氏の『ディープすぎるユーラシア縦断鉄道旅行』に詳しいが、現代でも極めて大変な旅で、二度と行きたくないと思うほど過酷なものだったので、平尾の偉大さはよく分かる。

 
クラスノヤルスク駅に入るシベリア鉄道
 
       
       
       
       
 


ウラジオストク 九州製茶輸出の事務所跡

 

尚平尾のこの旅には、一つのおまけ話が付いてくる。それは1891年ロシアのニコライ皇太子(後の最後の皇帝ニコライ二世)が来日した際、「西郷(隆盛)帰朝」との説があったことだ。「西郷はロシアで生きている」、その目撃者として「平尾がシベリア(クラスノヤルスク)の兵舎で西郷を目撃した」との新聞記事が出たという。平尾自身はそれを否定しているが、まさかこんな歴史に登場するとは面白い。

更に1899年磚茶貿易の可能性調査のためシベリアに出張、茶業組合ウラジオストク出張所の業務を九州製茶輸出に委託している。そして1901年には漢口、福州でも磚茶製造法の調査を行っているが、この時同行したのが熊本の可徳乾三であり、ウラジオストク事務所もこの可徳が開設するなど、シベリア磚茶ビジネスを切り開いた男だった。

尚可徳はハバロフスクに磚茶を商う可徳商店を設立しているが、実はこの店、対露諜報活動の拠点だったとの話も残っている。当時諜報活動に当たっていた陸軍の石光真清は『曠野の花』の中で、同行していた、後に熊本県茶業組合長になる阿部野利恭を「可徳商会の茶の輸出商人」と紹介しているのは実に興味深い。

茶業組合、平尾、そして可徳の目指した磚茶輸出は、その後日露戦争で一時的に中断され、可徳は破産し、台湾に渡って紅茶を作り、その地で生涯を閉じた。そして平尾喜寿も明治が終わるその時に、その役目を終えたように没した。平尾の墓は高知の五台山中にひっそりと建っているとのことだったが、まだ訪ね当ててはいない。

     
     
     
     
     
    今回のおすすめ本
   


ディープすぎるユーラシア縦断鉄道旅行

かつて中国からロシアへ茶葉を運んだ交易路「最後のシルクロード」を辿る鉄道紀行。

     
     
 

 

須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

     

 

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