アジアを茶旅して 第19回

投稿者: | 2022年9月22日

タイ メーサローンの将軍と茶

 

長い長い眠りだった。約2年半、日本に逼塞し、海外に出ることが出来なかったが、ついにパスポートを行使した。行き先はタイのバンコク。2020年3月、ロックダウン寸前のこの街から脱出して以来のリベンジ旅。何しろ『アジアを茶旅して』というコラムなのに、殆どアジア旅と茶について語ることが出来なかったので、今回は5年ぶりに訪ねたタイ北部、メーサローンの旅について紹介してみたい。

タイ北部チェンライから車で1時間半、途中からはかなりの山を登ったところにある街、それがメーサローンである。筆者は「タイに茶畑はあるのか」というテーマで初期に茶旅して、タイ‐ミャンマー国境の街、メーサイから奇跡的に辿り着いた。今から16年前のことであり、この標高1200mの高地が気に入ってしまい、今回の訪問が7回目となった。

高原で涼しい、風光明媚である他、筆者にとってこの街には好ましい点が3つある。1つはタイなのに、街で普通に中国語(標準語)が通じること。もう一つは一面に茶畑が広がり、お茶屋さんが沢山あること、そして歴史がとても興味深いことだ。

 

中国語の通じるメーサローン

メーサローンという地名を聞いてピンとくるのは、中国現代史などに詳しい方だけかもしれない。この地は1949年まで続いた国共内戦後、台湾に逃れた国民党軍の内、雲南方面で戦っていた兵士とその家族が苦難の果てに辿り着いた場所である。その国民党軍を率いて孤軍奮闘し、最終的にメーサローンに拠点を定めたのが、第五軍司令官段希文将軍だった。メーサローンの街外れには、泰北義民文史館があり、その苦難の歴史が展示されると共に、戦死した兵士が祭られている。

ちょうど中華民国が成立した1912年に雲南で生まれた段将軍は、抗日戦争で活躍したが、国共内戦後はその混乱の中、雲南反共救国軍としてビルマ、タイを転戦し、台湾に行く部隊とは別にこの地に残留、1961年にメーサローンに入る。台湾の蔣介石政府からの実質的な支援もなく、孤立無援の中、部隊とその家族を抱えたその苦労は計り知れない。

1970年代に入ると、タイのプミポン国王とも会見し、彼らはここに土着して、タイ人として生きていく道を模索する。75年に蔣介石が亡くなると「大陸反攻」の気運も沈んだはずだが、ベトナム戦争でのサイゴン陥落、ラオスの社会主義化などこの地域を巡る情勢がそれを許さず、引き続き反共の名の下、戦い続けた。1980年将軍は病で亡くなり、この地に立派な陵墓が作られている。この墓はやはり中国大陸の方を向いているのだろうか。

泰北義民文史館と段希文将軍象

メーサローンは段将軍亡き後、雷雨田将軍らにより土着化が進められ、「観光業と茶業」を生きる糧としてきた。当初は慣れないホテル業などで苦労したとも聞くが、1990年頃から茶業が本格化してくる。これは歴史的に見ると、ベトナム戦争後の国連やアメリカの支援を受けたケシ栽培からの転作奨励の時期と重なること、台湾においては高山茶がブームとなり、国民党繋がりで台湾人が烏龍茶生産のためメーサローンへ来たという事情があったと思われる。

茶工場で枝取りする女性たち

高山茶に関してはベトナムやインドネシアでも同じような事象が起こった。台湾から烏龍茶品種が持ち込まれ、中古の製茶機械が運ばれ、完全な台湾式茶園で高山茶が作られていく。ただ最初から品質の良い茶が出来たわけではない。「確かに台湾人は製茶支援をしてくれたが、茶葉の品質が悪いと言って、非常に安く買い叩かれ、我々に利益はなかった」と回顧する人もいる。確かに2006年初めてこの地を訪れた際に出会った台北の茶商も「ここの茶はレストランの無料で出すお茶だよ」と言っていたのを思い出す。

そのため品質向上に力を入れ、少しずつ茶が美味しくなっていった。また一部茶農家では有機栽培を取り入れ、EUの有機認定まで取った。今では台湾への輸出はほぼなくなり、欧米への輸出、タイ国内での需要増加など、追い風が吹いているという。十数年付き合いのある茶農家は「経営しているホテルには、この2年間コロナ禍で全くお客は来ていないが、巣籠需要なのか茶葉輸出が好調で、ホテルスタッフを茶業の方に回している。有機茶葉だと中国からでさえ、引き合いが来るので販路は相当開けた」と笑顔だった。

そして観光再開を当て込んで、所謂観光茶園の整備も進んでいた。山間の風景に茶畑を入れて、それを眺めながらお茶を飲むという、現在求められている癒しの空間を演出する。ホテルのバルコニーからは静かな山並みが見えたが、時折変化するその風景をじっと眺めていると、なぜか懐かしい気持ちにもなってくる。

観光茶園

メーサローンのホテルでお茶

ここから少し行くとミャンマーのシャン州に至るが、この辺りは日本の原風景ではないかと常々思っている。しかし今やミャンマーは混乱し、陸路はすべて閉鎖され、入ることも容易ではない。この穏やかな風景の向こうで、数十年前と同様、また戦闘が行われているのかと思うと、何ともやりきれない気分になる。

 

▼今回のおすすめ本

タイ 謎解き町めぐり 華人廟から都市の出自を知る
タイの都市を造った華人の思いがつまる華人廟の解読をとおして、タイの諸都市のなりたちや発展の構造が見えてくる。
謎解きのかたちで町を案内し、従来にない視点でおもしろく都市構造を解説。

 

 

 

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須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

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