2024年
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3月15日
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■研究の流儀 2024年3月15日
これまで教育や研究に関するエッセーをいろいろと書いてきたが、シリーズの最後に、研究者の端くれとして、「研究の流儀」を書きたいと思う。
研究とは、一人で出来るものではないが、先人の研究を継承し続く世代に橋渡しするという意味で、やはり一人だけの営みではない。その継承の過程で、何らかのオリジナルなものを少しでも付け足すことができれば、それで十分なのである。
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2月15日
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■情報の流儀 2024年2月15日
自分にとって役に立つ情報をどうやって集めるかは、生きていく上で大切な技術である。以前と比べ、情報の集め方も大きく様変わりしてきたし、情報そのものの意味も変わりつつある。その変化の過程を書き記しておこう。
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1月15日
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■読解の流儀 2024年1月15日
研究というのは独り善がりでするものではない。とりわけ文系の研究は、先人の研究を土台に、新たなものを付け加えることなので、先行研究をしっかりと読んでいく力が求められる。では、どうやって読解力を磨くのか。
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2023年
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12月15日
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■文章の流儀 2023年12月15日
文章は単なるコミュニケーションのツールではない。その人の教養だけでなく、人柄までも出てしまう。人の心を鼓舞することもあれば、人を傷つけることもある。文書の持つ力を知るにつけ、簡単には書けなくなるものだ。 |
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11月15日
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■校正の流儀 2023年11月15日
論文にしろ、著書にしろ、推敲の済んだ原稿を提出するだけで、そのまま自動的に印刷にまわる訳ではない。文章の誤字(誤変換)や脱字、文章表現のおかしな点を見つけ、修正し、美しい文章にしていくものだ。 |
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10月13日
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■推敲の流儀 2023年10月13日
どんなに文章が上手くて書き慣れた人でも、いきなりいい文章が書けるわけではなく、何度も推敲を重ねる。推敲は、単なる誤字脱字のチェックではない。繰り返していくうちに、全体の表面が整地されていくものだ。 |
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9月15日
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■タイトルの流儀 2023年9月15日
論文にしろ本にしろ、タイトルは文章を読む側にとっても、そして書く側にとっても大事なものだ。
しかしながら、タイトルのもつ意味は、論文と本とでは、本質的に異なるものだ。 |
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7月14日
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■エッセーの流儀 2023年7月14日
日本の東洋学の基礎をつくった内藤湖南や宮崎市定なども、多くのエッセーを書いている。
研究者が書いたエッセーを読んだり、自分でも書いたりしてみると、逆に研究者の存在意義というものが見えてくる。それは何か――。 |
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5月15日
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■発表の流儀 2023年5月15日
大学院の演習から学会や市民講座まで、筆者が発表をしてきたなかで気付いたコツや意義などについて述べていきます。 |
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3月15日
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■教育の流儀 2023年3月15日
筆者が大学教員として、学生を指導してきたなかで到った気づき、これまでの教育にまつわる経験を述べていきます。 |
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1月16日
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■読書の流儀 2023年1月16日
人生のどのタイミングでどの本と出会うか。
教科書のような強制もあれば、人の勧めもある。
それを読むかどうかは偶然もあるが、その本を面白いと思うかは、その時の年齢やそれまでの人生経験にもよる―― |
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※以下は連載シリーズ化前の掲載の一部となります。 |
2022年
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9月15日
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■ノートの流儀 2022年9月15日
人がノート――メモや備忘録など含む――をとるのは、忘れないよう記録に残すためである。
しかし実は、記録となるのは結果であって、その前段階に隠れた意味がある。
その意味とは……。 |
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3月15日
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■査読の流儀 2022年3月15日
査読する側、される側、どちらから読んでも面白い。
査読の現状を明快に説明しているだけでなく、文系から理系へ、現状への批判と提言も盛り込んだ力作。
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2021年
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11月15日
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■卒論の流儀 2021年11月15日 |
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