教育の流儀

投稿者: | 2023年3月15日

西澤 治彦

 

■研究者と教育者

 私自身、大学院に進学してからは、研究者にはなりたいと思っていたが、教育者としての自分はあまりイメージできなかった。家庭教師や専門学校などで教えたことはあるが、これはあくまで生活のためであった。ところが、大学に職を得てからは、教師としての仕事がメインとなった。自分なんかが大学の教師になっていいんだろうか、という戸惑いを覚えながらも、あれこれ試行錯誤を続けてきた、というのが偽らざるところだ。
 当初は、語学の授業や講義を負担に感じることもあった。準備に費やす時間や、人前で話す緊張からか、終わるとぐったりして、研究など手がつかなかった。それに語学や概説的な話と、自分の最先端の研究とがなかなか結びつかない、という葛藤が常にあった。最終的に、自分の研究と授業とは別物である、と割り切るしかなかった。
 そんな中でも、演習を担当するようになると、読みたいと思っていた本を学生と輪読できるし、多少は自分の研究に利することもあった。また、卒論指導も最初は大変であったが、教員側の守備範囲も個々の学生が選ぶテーマによって広げられていくし、無事書き終えた学生の達成感や自分でも成長したという感覚がこちらにも伝わってきて、これはこれで教師としては得がたい体験であると思うようになった。
 さらに、大学院を担当するようになると、自分の専門の最先端の話をすることができ、研究と教育との乖離が縮まっていく感じがして、楽しさを覚えるほどであった。指導した院生の数はそれほど多くはなかったが、大学院の授業の担当だけでいいのなら、とさえ思ったものだ。
 しかし、院生は学部から育てなければならない。他大学の大学院を受験する学生のみならず、他大学から受験してくる学生も、誰かが学部教育をしなければならない。教育は、おいしいところだけを取るというわけにはいかないのだ。いろいろな思いを抱えながら30年間、教師として過ごしてきたが、退職が近づいてくる年齢になると、学部学生相手に授業をすることができてよかったと思っている。そんな私のこれまでの教育にまつわる経験を書き記しておきたい。

■教師と学生

 教師も人間なので、熱心な学生、できる学生をかわいく思うものだ。読むように指示した本はちゃんと読んでくるし、学生との議論も刺激を受ける。ところが、教師になって10年ほど経った頃、こうした接し方を改めなければならない、と気がついた。卒業前に、ゼミ学生らと会食した際、一人ずつ、ひと言話してもらった。他の先生に断られて私のところに来た学生の番になった時だった。卒論そのものは全力投球したとも思えず、「せっかく引き取って面倒をみてあげたのに、全くしょうがないな」と思っていた学生であったが、私に拾ってもらったこと、いろいろな事情で先生の期待する卒論は書けなかったけど、感謝している、という内容を語りながら、泣き声になってしまった。私に対して、学生がこんな風に思っていたとは、彼女の言葉を聞くまで分からなかった。次の学生ももらい泣きしたのか、涙声になっていた。最後は全員、笑顔で記念撮影をしたが、一部始終を脇から見ていたお店の人に、いい学生さんですね、と声をかけられた。
 この体験があってから、できる学生はほっておいてもできる、できない学生にこそ目をかけてあげるべきだ、と心に刻んだ。教師が自分のことをどう思っているかは、ふとした言動で学生には伝わるものだ。できない学生は、中学、高校と、教師から「しょうがないやつだな」という態度でずっと接してこられたのかも知れない。それだけに、目をかけてもらえると嬉しかったのだろう。学生との接し方を変えると、不思議なぐらいに教室の雰囲気がよくなり、まとまってくる。
 教師と学生との関係は、医師と患者の如く、社会生活において一つの制度化された関係だ。職業として教師の道に進むのであれば、教師としての自覚と、職業的な倫理や技が求められるものなのだ。病気を治したり、手術をする医師と比べ、教師の仕事はすぐに効果が現れるものでもないし、その能力を客観的に計れるものではない。しかし、患者が医者に命を預ける時のように、学生も教師の資質をしっかりと見極めているものだ。患者は医者を選べるが、医者は来た患者を選ばない。教師たるもの、学生に選ばれてなんぼだし、来た学生を選んではいけないのだ。

■教育とは

 よく、教師は学生に教えることはできない、学生が自ら学ぶ際の手助けをしてあげることはできる、と言われる。これはその通りである。但し、もう少し内実を詳しく見てみる必要がある。
 経験から言うと、教育には大別して二段階あると思う。第一段階は、見本を見せてあげることができるレベルだ。これは初学者に向いている。昔から、「芸は盗むもの」と言われる。芸人でなくても、職人であれ、料理人であれ、師匠やシェフ、親方のやり方、作り方を横目で見ながら、それを自分も真似て習得していく。水泳でも、バタフライなどは、いくら口で説明しても泳げるようになるものではない。一番いいのは、目の前で泳いでみせることだ。生徒は、ただうまい見本を真似ればいい。同じことは、学校教育にも言える。学生にいい論文を書かせようと思ったら、見本となるいい論文を書いて、それを読ませることだ。
 第二段階は、レベルが上がり、もはや見本がないレベルだ。芸人も職人も、一人前になったら自分の世界を築いていかなければならない。しかし、師と仰ぐ人からのアドバイスは常に必要だ。水泳の例で言えば、コーチがそれにあたる。トップレベルの選手になると、もはやコーチは見本を見せることはできない。ではコーチの仕事は何かというと、しっかりと泳ぎを見てあげることである。微妙なタイミングのズレなどを指摘してあげる、あるいはメンタルな部分でサポートしてあげる。学校教育の場で言えば、大学院課程がそれにあたる。特に博士論文を書く段階になると、場合によっては教師よりも院生の方がその分野に詳しくなる。しかし、教師は草稿を読んで、先輩研究者としてアドバイスしてあげることはできる。
 もちろん、この二段階はきれいに分けられるものではない。学部教育から大学院教育までは、この二つの過程が混ざり合っていると言える。教師としては、もはや自分が見本を見せることができないな、と感じた時こそ、学生が独り立ちしたことを意味しており、寂しさよりは嬉しさを覚えるものだ。

■教育の醍醐味

 一人の教師が、長年、教師を務めたとしても、直に教えることのできる学生の数には限界がある。外科医も一生の間で手術できる患者の数には限りがあるのと同じだ。自分の研究をもっと多くの人に伝えるには、何かいい方法はないかなと、思わないでもない。今なら、講義を録画して動画サイトで配信する、という手もあろう。そうしなくても、論文や本を書き残しておけば、間接的ではあるが、より多くの人に自分の研究を知ってもらえるし、後世の人が読んでくれるかも知れない。しかし、これは「教育」とは呼ばない。教育においては、この限定されている数というのが大事なのだ。これは生身の人間が教えることの制約であると同時に、良さでもある。
 子供は働いている親の背中を見て育つ、と言われるが、同じことは教育にも言えると思う。私が大学院生の時、宮田登先生の講義も受けたが、いつも冗談めいた話ばかりで、まともな話などしてくれなかった。ところがある時、図書館の片隅で真剣な眼差しで原稿用紙に向かっている先生の姿を見かけたことがある。その気迫に圧倒されて、とても近づけなかった覚えがある。あるいは、詳しい講義内容は忘れてしまったが、なぜか先生の雑談だけは覚えている、というのがよくあるものだ。そしてそれが時として人生を生きていく上で、大切な指針となることも多い。
 学生から見れば、普段から教師に接していると、実は学問以外のことで学ぶことが多いものだ。芸人や職人の世界も同じであるが、尊敬する先生から薫陶を受けるというやつだ。こればかりは、直に接していないとできない。自ずと、その数には限りがある。だからこそ、師に恵まれた学生は好運ということになる。
 大学の場合、学生と教師の出会いは、入学試験を経なければ授業も受けられないものであるが、偶然の要素もある。入学してもその先生の授業をとらなければ、何の接点もない。卒業記念パーティーに参加する度に、同じ学科にいながら、ひと言も話を交わすことなく卒業していく学生を見ると、「未遂の出会い」を残念に思うことがある。
 こうした経験を繰り返していると、やはり学生との出会いも、一期一会だなとつくづく思うものだ。だからこそ、毎回の授業にも力を入れることができる。

■文化の継承としての教育

 先に、論文や本を通して自分の研究を伝えることは、教育とは呼ばない、と書いた。とはいえ、これは定義の問題でもあり、広い視野に立てば、教育の一環と言うことはできるかも知れない。この間接的な影響というのは、なかなか本人にフィードバックされないので、本人も自覚しづらいところがある。本を出してから何年も経って、初対面の人から「学生の時に先生の本を読みました」と聞かされると、見えていなかった一本の糸が姿を現わしたとでも言おうか、何とも不思議な感覚になる。できるものなら、その全ての糸をたぐり寄せてみたい、という衝動にかられる。
 こうした、論文や本を通した見知らぬ人との出会いというのも、嬉しいものであるが、核となるのは、やはり対面で行う授業にあると思う。というのも、授業のベースにあるのは、自分のオリジナルな研究だ。実際、授業で話した内容を論文や本にしていくことはよくある。この中心なくして、周辺に影響を与えるということはできないものだ。自分自身を孔子と比肩するつもりは毛頭ないが、今も読み継がれる『論語』の成立には、孔子に身近に接した弟子らの存在があってのことであった。
 大学も国際化し、近年は海外からの留学生も多くなった。私自身、奨学金を得てアメリカと中国に留学した経験があるので、留学生の気持ちというのがよく分かる。教師によっては、留学生の面倒をみるのを好まない人もいるようだが、私は、留学先でお世話になった先生に対する恩返しだと思って、日本人学生と分け隔てなく接している。教師の接し方は学生にも伝わるもので、留学生らの信頼を得ると、演習でも思いもよらぬ意見がでたりして、日本人学生にも益することが多い。自分が指導した学生が海外に広がっていくというのは素晴らしいことだ。
 私の専門は文化人類学であるが、文化の研究をする学問に携わっているからこそ、続く世代にその文化を継承していく大切さを身に染みて思う。教育とは、その営為の最前線の現場である。大学に職を得た当初はあまり自覚していなかったが、退職を前にして、心からいい職業に就けたと思っている。
 これからは、今までの出会いを大切にするとともに、論文や本に書き残すことで、後に続く若い世代と、文章の上で出会えればいいと思っている。

(にしざわ・はるひこ 武蔵大学)

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