中国蔵書家のはなし 第Ⅱ部第10回

投稿者: | 2023年3月15日

蔵書家と蔵書の源流 ─山東省─(10)

髙橋 智

 山東省で最も著名な蔵書家と言えば、楊氏海源閣を挙げなければならない。中国の図書館界ではあまりにも有名な蔵書であるために、改めて海源閣の解説をすることも少なくなった。
 海源閣は、清時代末期(19世紀後半)、「瞿楊丁陸」と称された四家の大蔵書家・瞿氏鉄琴銅剣楼、丁氏八千巻楼、陸氏ひょくそうろうの一に数えられ、とりわけ「南瞿北楊」として南北の双璧と唱われた。海源は『礼記』「学記」の「先河后海」の語に因んで名付けられ、閣は明時代以来の由緒ある「天一閣」(寧波の范氏)に倣ってのものである。
 楊以増(1787~1856)、楊紹和(1832~1875)、楊保彜(1852~1910)の三代に亘って収集された蔵書は、3千数百種、17万巻を超える量に達した。紹和は蔵書目録『えいしょぐうろく』を、保彜は『宋元本書目』『海源閣書目』を増補編纂し、金石書画以外の全貌を明らかにした。これらは、『訂補海源閣書目五種』(王紹曾等編 斉魯書社 2002)にまとめられている。
 蔵書の質は弊著『書誌学のすすめ』(東方書店 2010)第Ⅰ部第三章「「善本」の意味するところ」に述べたところであるが、最も優れた宋刊本は周叔弢(1891~1984)の収集によって散佚を免れ、北京図書館に寄贈、現在中国国家図書館の中心をなす重宝となっている。他に、北京図書館に直接入蔵したもの、陳澄中・潘明訓・傅増湘等の蔵書家が収蔵し、北京図書館に帰したもの、日中戦争期にアメリカに避難し現在台湾に帰しているもの等を含めるとほぼ海源閣の宋刊本を復元することができる。ただ、戦後、満鉄大連図書館からロシアに移送されたものは、一部を除き現状は不明となっている。
 楊氏が特に誇っていて書斎号にも用いた「四経四史之斎」、すなわち経書・史書の宋刊本『毛詩訓詁伝』『纂図互註毛詩』『婺州唐宅刻本周礼』『撫州公使庫刻本礼記』、『史記』2部(『蔡夢弼刻本史記』『桐川郡斎刻本史記』)『漢書』2部、『後漢書』2部、『三国志』が完璧を保っていることは何よりの佳話と言わねばならない。
 更に、海源閣の特徴と言える収集に、清朝第一の蔵書家である黄丕烈(1763~1825)の旧蔵手跋(自筆の跋文を備えている版本)本の多さがある。黄跋本はたとえ宋刊本ではなくともそれと並ぶ価値を持ち、宋刊本に黄跋が添えられていれば価値は倍増する。その最も有名な、黄丕烈が陶陶室と名付けて、書斎の祭壇に祭って香をたき、尊んだと言われる宋刊本『陶淵明集』『陶靖節先生詩』(いずれも孤本)は、ともに海源閣が所蔵した。私は、2009年中国国家図書館開館百周年を記念した善本展示会においてこの二書を参観した(東方355号 2010、9参照)。一週間毎日通い続けてこれを熟視したが、見れば見るほど黄氏の焚香が漂うように思われ、その宋刊本の、墨が途切れたり、薄くなっている匡郭に、黄氏自ら墨を乗せて整えていくその手が現れてくるようにも感じられた。
 しかしながら、宋・元版だけでなく、明・清の稀覯本の鑑定眼にこそ蔵書家の力量が発揮されるのであるが、海源閣の明・清刊本の多くは山東省図書館に所蔵され、同館が2千2百余部にわたる大量の蔵書を、1990年代に建館90周年を記念して、詳細な目録を編纂刊行した(『山東省図書館蔵 海源閣書目』横組標点本 斉魯書社 1999)。この目録は、山東省図書館が海源閣蔵書に含まれる『海源閣書目』不分巻(楊保彜重編 清稿本 6冊1函)をもとに、現存する書庫内の原本と照らし合わせ、書誌条項を加えて作製したものである。約2千3百部3千2百冊余に及ぶ。
 私事ではあるが、この目録編纂に際しては忘れられない思い出がある。ようやく中国の図書館行政が活況を呈してきた1980年代、山東省図書館では1988年に海源閣蔵書の新たな整理が始まった。そして90年代初頭に目録編成がなされいよいよ出版へと動き出したのである。当時、省図書館は済南市中央部の大明湖の中にあった。古い建物であったが、一画の別棟に古籍部があり、海源閣の蔵書が収めてあった。この頃私が紹介状を持って図書館を訪ねるとその別棟に案内され、若い主任の徐明兆さんが応対してくれた。
 普通はそこで門前払いとなるところであるが、徐さんは丁寧に応対してくれ、むしろ海源閣蔵書に関心をもってくれる外国人がいることを喜んでくれた。そればかりではなく、海源閣蔵書の書庫内を案内してくれた。私は驚喜せんばかりであったが、「海源閣」という扁額や楊氏の用いた蔵書印顆等も見せてくださった。そして、弁公室でひとしきり話しをしたところで、机の上にあった清稿本『海源閣書目』を開いて、いま、これを整理しているのだ、間もなく出版されるだろうと説明してくれた。海源閣の明清刊本がここにあることを知り、書架の全貌を俯瞰できた喜びは言葉で表すことはとてもできない。私は、徐さんに書誌学の大きな贈り物をいただいたようで、感謝の念を精一杯伝えて、目録の公刊を鶴首してお待ち申し上げることとした。
 しかし、月日も経ち、そんな感動も日常に紛れそうになった頃、前述の新刊、1999年斉魯書社版『海源閣書目』を書店から購入した。あれから10年の月日が経過していたが、改めてあの日の感動を蘇らせることができた。あの書庫の写真や蔵書印顆等懐かしい写真が口絵に附されていたが、ふと目に入ってきたのが、副主編である徐明兆氏の名前が四角で囲まれていることであった。若い命を蔵書の保存と編纂に捧げられたと思うと、敬愛の念とともに悲しい思いがこみ上げてくる。海源閣の名を聞くと、徐さんを思い出し、こうした人をけして忘れてはいけないと自らに言い聞かせている。

1990年頃の山東省図書館
海源閣書庫内の徐明兆氏(右)。奥に扁額、右に蔵書印顆。

(たかはし・さとし 慶應義塾大学)

 髙橋智先生の「中国蔵書家のはなし」は、今回をもって連載終了とさせていただきます。(編集部)
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