長夢書店(チョンモンシューディム)
この連載も29回目を迎えた。振り返ってみると、取材した書店のうち女性が立ち上げたところが多いと気づく。例えば、見山書店と夕拾x閒社。残念ながら、この両店は店を畳んでしまった。現在も営業が続いている書店では、界限書店、貳叄書房、獵人書店、解憂舊書店など。また出版社では格子盒作室、木棉樹出版社も。
香港島の上環に今年(2024年)8月3日にソフトオープンし、9月14日に正式開店した「長夢書店」も同様だ。店主のエラさんは20代。彼女1人で全てを賄っている。

書店入口
▼上環(ションワン)の骨董品街の近くの本屋
長夢書店は香港島上環の皇后大道中に面した商業ビルの2階で開業した。皇后大道中というと、長く香港や台湾のポップスを聴いてきた人なら、台湾の歌手、羅大佑が広東語で歌った『皇后大道東』を思い出す人も多いだろう。この辺りには観光スポットとしても名高い文武廟や骨董品店が立ち並ぶキャットストリート(摩羅上街)がある。
エラさんの家は、香港島から遠く離れた新界の北部にある。書店はなぜこのロケーションを選んだのだろう。
「私の暮らす地域には、書店が成り立つだけの客層がありません。一方、ここ上環は、平日は働く人も多く、週末は遊びに来る人も少なくありません。ちょっと食事のついでに本屋に行ってみようという人も多いでしょう。また、私は大学が香港島でしたので、このエリアには馴染みがあるのです」。

左手の赤いビルに書店が入居。前の通りは皇后大道中。
▼「夢」ではなかった書店オーナー
自分1人でゼロから書店を開く。子供の頃から本が大好きだったに違いない。ところが、エラさんはそうではなかった。
「本をよく読む子供ではありませんでしたし、将来はこれになりたいという夢もありませんでした。中学生になり、(日本で言うところの)国語の授業や受験の準備のために、必要に迫られて読書するようになりました」。
そのような少女が書店を開こうと決意するに至った動機は何なのだろうか。
「サラリーがいいからということもあり、大学卒業後はIT企業に就職しました。ところが、出社の初日から『私は決まった時間に毎日出勤するという生活に向いていない』と感じたのです。でも、仕事にはしっかり取り組みました。ただ、仕事で作り出したものは、所詮私のものではない。そんな思いも募っていきました」。
このようにしてIT業界では3〜4年過ごした。その後半、「自分の本屋を作ろう」という「夢」が生まれたという。開店資金は、IT業界勤務中の貯蓄だ。

店主のエラさん
▼他の書店に学ぶ
エラさんは音楽も好きなことから、「本と音楽の店」にしようという構想を持った。しかし書店業や出版界について全くの素人だ。たまたま職場の同僚がかつて書店を開いていたということがわかり、彼から色々と話を聞いた。「書店経営は君が想像している以上に厳しいものだよ」という「アドバイス」も含めて。
また、多くの書店も巡り、参考にしたという。特に、「界限書店」と「序言書室」は、その店舗デザイン以上に、店長・店員の本を愛する姿勢に打たれた。

入口から店内を眺める
▼出版社にEメールを送りまくる
上述のようにソフトオープンは8月3日。この日に何か意味はあったのだろうか。
「店舗物件の契約日が8月3日だったのです。3週間の家賃免除期間があり、それを活用しない手はないと思い、とにかくこの日に始めることにしました。会社に辞表を出したのは6月で、辞めたのはその1か月後。辞めるまでの1か月は、フルタイムの仕事をしながら店舗物件を探すなど、大変でしたね」。
つまり、ゼロから書店を開店するまで、わずか2か月だったということだ。これが香港のスピードといえば、それはそうなのだが、なんという行動力。
自分の書店なのだから、自分が好きで、他の人にも勧めたい本を店頭に並べよう。エラさんはそのような本の奥付を見て、各出版社に「この本をX冊ほしい」というメールを送った。返事をすぐ返してくれるところもあれば、そうではないところもあったが、送り続けた。また、一定数の本を仕入れようとすれば取次が配達してくれるが、そうではない場合、自分で引き取りに行った。
「一度、出版社から80冊を運ぶことになり、スーツケースをコロコロと押していったのですが、なんとそのビルにはエレベーターがありませんでした。出版社は3階だったと思います。どうやって階下まで運んだらいいものかと途方にくれていたら、通りがかりの外国人が手伝ってくれました」。
▼テーマは「本と音楽」
長夢書店はワンルームで、20平米少々。書架には本の他にCDが並び、音楽に関する書籍も多い。
「小さい頃からピアノを習ったり、友人とバンドを組んだりということはなかったのですが、ずっと音楽が好きでした。ギターは独学。ベースは1年ほど習いました。女子のベーシストって、カッコイイじゃないですか」と笑う。
「本と音楽」をテーマに掲げるこの書店では、インディーズのミュージシャンの音楽会も開かれている。
「音楽会は有料です。料金は100香港ドル程度(2024年10月末の時点で約1,960円)。でも、そこには本とCDのクーポンも含みます。終了後、そのクーポンにお金をいくらかプラスしてCDや本を買ってくれる来店者も少なくありません」。
また、読書会などに会場を提供し、その会場費を徴収することもある。本と音楽関係の商品、そして会場提供による収入。オープンして3か月ほどだが、収支はどうなっているのだろうか。
「当初の目標は、家賃が払えるだけの利益をというもので、それはどうにか達成できています。次は、店主に……つまり私ですが、給料を払えるようになることです」。

店内には地元香港のインディーズ・バンドなどのCDも並ぶ

窓辺には来店者が感想を記すノート
▼書店を取り巻く香港の経済状況
他の書店の店主からも同様のこと——「家賃を賄えるように」という目標をよく聞いた。特に今年、香港では多くの飲食店や小売店が廃業に追い込まれている。その中には老舗も多い。例えば、香港島の湾仔で80年以上続いてきた質屋「振安大押」。同じく湾仔の玩具屋ストリート——太原街で30年にわたっておもちゃを売り続けた日昇玩具。新界の沙田のインドネシア料理をメインとしたレストラン「茵餐廳」は60年近くの歴史。香港映画『ミッドナイト・アフター』(原題:那夜凌晨,我坐上了旺角開往大埔的紅VAN)の主なロケ地となった新界大埔の華輝餐廳。他にも数え上げたらキリがないほどだ。
各書店ももちろんこのような厳しい経済状況の中にある。エラさんは自分の書店の将来をどのように考えているのか、との質問に対し、この連載での他の店主と同様の答えが返ってきた。
「今は毎日の業務——そこにはSNSでのPRも含まれますが、それをこなすだけで精一杯で、まだ将来のことを考える余裕はありません」。
でも、店名が「長夢」だ。
「余裕はないけれども、『夢』の長さを決めるのは自分自身です。本を読み、音楽が聴けるこの空間をできるだけ長く続けていきたいと思っています」。
(取材:2024年10月)
▼店主のお勧め本
『睇字香港』
著者:Dave Choi@都市字治學
出版社:蜂鳥出版
初版:2024年7月
ISBN:9789887638957
「睇」は広東語で「タイ」と読み、「見る」の意。香港の街中に溢れる「字」を頼りに、今香港で見直されている「散歩」に誘う。文字をテーマとした28編のストーリーが収められ、ある種の新しい香港のガイドブックとも言えよう。
*著者のInstagram:https://www.instagram.com/citywording/
▼書店情報
長夢書店
住所:中環 皇后大道中228-238號 聯業大廈1樓 103室
営業時間:
火曜〜木曜:13:00-19:30
金曜〜日曜:13:30-20:30
定休日:月曜
Instagram:https://www.instagram.com/reverie.bookstore/
写真:大久保健
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大久保健(おおくぼ・たけし) 1959年北海道生まれ。香港中文大学日本学及び日本語教育学修士課程修了、学位取得。 深圳・香港での企業内翻訳業務を経て、フリーランスの翻訳者。 日本語読者に紹介するべき良書はないかと香港の地元書籍に目配。訳書に『時代の行動者たち 香港デモ2019』(白水社、共訳)。