香港本屋めぐり 第5回

投稿者: | 2021年5月28日

序言書室(ジョイイン・シューサッ) 

 

●繁華街の中の「二楼書店」 若き創業者

九龍半島の繁華街の一つ・旺角(モンコック)。その中でも人通りが多いのが西洋菜南街(サイヨンチョイナームガーイ)で、序言書室はこの道に面した雑居ビルの7階にある。かなり古びたエレベーターに乗り「7」のボタンを押すと到着するのは踊り場。そこから階段を登ってようやく書店にたどり着く。この界隈は序言書室を含めて数軒の「二楼書店」が集中する読書人が集う地域だ。

「二楼書店」は香港独自の語彙かも知れない。利用できる土地が限られ、住宅も店舗も家賃が極めて高い香港では、独立書店は家賃が比較的安価な雑居ビルの2階以上または地下に店を構えるケースが多いため、「二楼書店」が独立書店の総称として使われている。

取材は2020年8月16日――日曜の夕刻。店内は学生を中心とした若者で溢れていた。創業者の一人・李達寧さんに話を伺った。李さんによると、客層は20代から30代が中心とのこと。

序言書店は、香港中文大学で哲学を学んだ李達寧さんと黄天微さん、そして李文漢さんの3人がまだ卒業まもない頃、2007年5月に開業した。
当初は書店ではなくカフェを考えていた。フランスなどヨーロッパのカフェのように店内で文化的・学術的なイベンを開催できるような。しかし香港でそうしたカフェは、設備などにかなりの初期投資を要するため現実的ではないと考え、書店を開くことにした。家賃のレベルや人の流れを検討した結果、モンコックに店を構えることに。

 

 

  ●社会科学系本から「香港研究」本まで

書架の置かれているスペースはおよそ60平米。所狭しと並ぶ書架の間は客と客がすれ違う時、どちらかが譲らなければならないレベルの間隔だ。その書架には主に社会科学系の本が並んでいる。文学書よりも圧倒的に多い。 当初から、人文科学・社会科学――政治・社会・文化・経済――の本をメインに考えていた。現在ではそこに「香港研究」という新たな書架が加わっている。多くの読者が香港自体に関する本を求めるようになったからだ。そのコンテンツは社会と政治に関するものが多い。 あるいは、このように言えるかも知れない。香港における社会科学系の書籍は、今の香港の社会的情勢を反映し、香港そのものをテーマとしたものが多くなっているのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●10年間で700回のイベントを開催

店内の窓側にはテーブルと椅子が並んでいる。 この連載の第二回「艺鵠(アイゴッ)」と同様、序言書室も店内で読書会や講演会などのイベントを開催している。そのテーブルが並んでいる一角がそのスペース。ここだけで収容できない時は、中央の書架を後ろに移動して追加のスペースを作る。 2017年、開業10周年を迎えた時、それまでのイベントの回数を数えてみたところ、700回になったそうだ。1年で70回。計算すると週にほぼ1.5回。凄まじい頻度である。そのテーマは、哲学・政治・宗教・経済・法律・国際関係、そして香港自身の問題など、多岐にわたる。メインスピーカーは、そうした分野の新著の著者自身であったり、その分野に詳しい専門家であったりする。こうしたイベントは、当初カフェ立ち上げを考えていた頃からの構想で、それを書店の開店後、一貫して実践しているのである。書店自身が企画することもあれば、外部の団体に貸し出すこともある。その場合、場所代は徴収しないものの、投げ銭は歓迎だ。

 

  ●開店して13年 「ここまで続けられるとは」

開業の2007年当時、このあたりには今よりも多くの「二楼書店」があったとのこと。様々な理由で閉店していった書店が多く、10年以上にわたり営業を続けられるとは、序言書室自身も思ってもみなかったそうだ。 序言は開店10周年の折、それを記念し自ら『十年一隅――序言書室十年記念集』を出版している。創業者3人の文章があり、10年間の様々な活動が記録され、常連客も寄稿している。

 

●毎月売り上げランキングを公表

序言書室は毎月、同店のベストセラーを公表している。それは店内のホワイトボードに書き出され、またネットにもアップされている。また年間のベストセラーも公表しており、一例として2019年のそれをご覧いただきたい。見事なまでに「社会科学系」が多数を占めている。香港でここ数年人気を博している日本のミステリーの翻訳本は登場していない。こうした「社会科学系」をメインとしている小さな書店の経営が10年以上順調に推移しているのは、上述の通り、書店自体が「思ってもみなかった」というのも頷けるのだ。

 

また、香港で今、かなりの信頼を勝ち得ているネットメディア『立場新聞』が毎週、各独立書店のその週の推薦書を紹介しており、そこには序言書室の推しの文章も含まれる。

https://www.thestandnews.com/book/獨立書店-每周一書-盡皆過火-盡是癲狂  

 

●新たな独立書店のこと  

今では独立書店として「先輩格」となった序言。ここ数年、新たに誕生している書店について李さんは次のように語った。 「新しい独立書店が増えるのは喜ばしいことだ。書店によって、どのような分野・テーマに重点を置くのかは異なるので、店頭に並ぶ本は多様化するであろうし、読者はその中から新たな、そして様々な方向性を見つけることだろう。それが市民社会を豊かにすることに繋がるだろうし、新たな実を結ぶことになると思う」

 

●李達寧さんのお勧め  

中国語が読める海外の読者への、香港に関するお勧め本を挙げてもらった。 『傘裡傘外――民主前夕的香港故事』 著者は台湾の記者である陳奕廷さん。タイトルの「傘」は2014年の雨傘運動を指す。主にはその期間中に、香港の様々な立場、様々な年齢層の18人への取材をまとめた一書。今日の香港の政治・経済・社会を理解するための専門書である。 『社運年代――香港抗爭政治的軌跡』 日本語で「社運」は会社の命運を意味するが、中国語では「社会運動」。18人の学者が、それぞれの専門分野から香港返還10周年以降の各種社会運動について執筆した論考をまとめた一書。  

 

●結び  

「序言書室」の英語名は「HONG KONG READER」である。開業時、20代前半だった創業者たちの「香港の読書界に新風を送り込みたい」という気概が伝わってくるかのようだ。今はコロナ禍の影響で店内でのイベントは休止となっている。しかし再開の暁には、ポストコロナ禍の香港社会をめぐる新たな議論がここで繰り広げられることだろう。筆者も注目していきたい。

(取材日:2020年8月16日)

 

▼今回訪ねた書店

序言書室 HONG KONG READER
旺角西洋菜南街68號7字樓
7F, 68 Sai Yeung Choi Street South, Mong Kok
web:http://www.hkreaders.com/
FaceBook:https://www.facebook.com/hkreaders/

 

●推薦図書データ

『傘裡傘外――民主前夕的香港故事』
著者:陳奕廷
出版社:水牛圖書出版事業有限公司
初版:2015年2月
ISBN:9789575998950

 

『社運年代――香港抗爭政治的軌跡』
編者:鄭煒 袁瑋熙
出版社 香港中文大学出版社
初版 2018年
ISBN:9789882370661

 

 

写真:大久保健、和泉日実子

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大久保健(おおくぼ・たけし) 1959年北海道生まれ。香港中文大学日本学及び日本語教育学修士課程修了、学位取得。 深圳・香港での企業内翻訳業務を経て、フリーランスの翻訳者。 日本語読者に紹介するべき良書はないかと香港の地元書籍に目配。

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