香港本屋めぐり 第15回

投稿者: | 2022年5月10日

格子盒作室(ガッジーハップジョッサッ)

 

●独立書店に並ぶ独立出版社の本

香港の大手書店チェーン――「三中商」と総称される三聯書店と中華書局・商務印書館は出版も手がけていて、その店頭に並んでいるのは自社――「三中商」などが出版した書籍が多い。
一方、いわゆる独立書店には、これら大手出版社のものは少なく、香港の中小出版社の書籍や台湾からの輸入図書が多い。
本連載の第11回「2つのブックフェア」で「獨立出版迷你書展」(独立出版ミニ・ブックフェア)を紹介した。大企業などを背景に持たない独立系の中小出版社は、今も香港の言論空間を支える貴重な存在だ。

 

●1人で運営している出版社

本連載がスタートした契機の一つは、第1回で取り上げた『書店現場』という本との出会いだった。香港の独立書店を紹介したこの本を出版したのは「格子盒作室」。出版業界での経験が豊富な「阿丁」さんが独立して立ち上げた出版社で、彼女一人で運営されている。
この連載は「香港書店めぐり」ではあるが、その書店の書架に並ぶ本を生み出している出版社を今回は紹介したい。

 

●出版社での「修行」

阿丁さんは大学では歴史を専攻した。当初、卒業後は教職に就こうとも考えたが、文章を扱う仕事にも興味があり、記者や編集者・ライターなどの求人に応募したところ、ある雑誌社に編集アシスタントとして採用された。職務は「編集」であったが、実際には記者も兼ね、各種の小さな店の店主に取材し、起業のエピソードを綴っていった。
それから1年後、出版社に転職した。職務は同じく編集アシスタント。しかし仕事の内容は全く異なり、1冊5〜6万字の原稿に向き合うことになった。編集長が作家と出版の話をまとめ、その原稿を何人かのアシスタントが校閲していく。この出版社は香港の作家の他に、村上春樹や赤川次郎など、日本の作家の版権も獲得していた。書籍編集の素人であった阿丁さんはこの会社で、毎月4~6冊の出版に携わるという「修行」を4年ほど続けた。
彼女はこの後、さらに2社の出版社勤務を経験している。そこでは出版の企画、発刊に向けての進捗状況の管理、作家との交渉などを担当した。

 

●自分の出版社を立ち上げ

これら出版社で経験を積むことはできた。しかしいずれの会社も業務の流れは大差なく、また毎月の売り上げノルマがあり、それを達成するため、芸能人も含めた「売れる作家」の本を扱うことが多かった。
書籍出版の仕事はとても好きだったものの、業績を重視するスタイルには食傷気味になった。そして2012年の末になって、ふと思った。まだ世界の終わりを迎えないのであれば、今の枠から飛び出し、自分の出版社を立ち上げてみよう。こうして生まれたのが「格子盒作室」だ。

 

●一人の出版社 でも一人ではない

中国語の「格子」。日本語と同様、格子の意味があり、また「ますめ」も意味する。格子盒作室は社長兼スタッフの阿丁さん一人の会社だが、本は一人では出版できない。まず執筆者がいて、装丁家も必要だ。時には挿絵を画家に頼むこともあり、もちろん印刷会社も欠かせない。さらに書店員の協力も得て、ようやく読者に届けることができる。それぞれの得意技が一つの格子だとすれば、それが組み合わさって大きな格子の塊となる。それらがさらに立体的に組み合わされて3次元の「盒」(箱の意)になる。それが本だ。
阿丁さんはこのようなアイデアから自分の出版社を「格子盒作室」と名付けた。そして次のようなモットーも。
「人生の格子の中に何を入れるか。あるいは空白のままにしておくか。それは自分で選べばよい」。自分がどのような人間になりたいのか? それは一人一人が自由に自分で選び取ればよい、ということでもある。

 

●自社企画と「持ち込み」

格子盒作室は発足以来、およそ50冊を刊行している。ライフスタイルに関する本や創作文学が多い。阿丁さんが自ら企画したものもあれば、持ち込みもある。
『手尋夢想――三指鋼琴家的生命樂章』(手で夢を手繰り寄せる――3本指のピアニストが奏でる生命の楽章)は、黄愛恩さんというピアニストの語りを阿丁さんが口述筆記した本だ。黄さんは生まれつき指が3本しかない。子供の頃ピアノを習いたいと思ったが多くの人は無理だという。しかし彼女の父母は希望を叶え、習わせてくれた。その結果、大学で音楽を専攻し、卒業後は大学で音楽の教鞭をとるようになった。このエピソードを聞いた阿丁さんが黄さんにアプローチし、出版が実現した本だ。不利な条件の中でもあきらめないで、と若者たちに励ましを届けるこの本を出版できたことに、阿丁さんは大きな意義を感じている。

『手尋夢想──三指鋼琴家的生命樂章』の原作者・黄愛恩さんと阿丁さん(右)

一方、上述の『書店現場』は2018年の出版で、その前に『書店日常』が2016年に刊行されている。これは著者・周家盈さんからの持ち込み企画だ。

もともと書店巡りが大好きだった阿丁さんは、香港では書店に関する本が少ないと感じていた一方、台湾の独立書店・独立出版社が盛んに活動している様子にも注目していた。香港の出版・書店業界も同様に盛り上がっていけばと願っていたところに飛び込んできた企画で、是非出版したいと思った。
阿丁さんは、台湾の多くの書籍の帯に、著名人が寄せた推薦文が印刷されていることに着目していた。周家盈さん初となる本にも、このような帯を実現したいと考えるも、周さんは当時は無名でZineを除けば著書もなく、格子盒作室の名もあまり知られてはいない。そのような状況ではあったが、香港と台湾の文化人に推薦文を書いてもらうことができた。香港の独立書店を真摯に記録した原稿が阿丁さんを感動させ、その想いがまた推薦者を感動させた。

格子盒作室が出版した周家盈さんの書店3部作

推薦文を寄せた香港の作家の一人が陳浩基氏だった。彼は台湾でデビューし、その作品も台湾の出版社から刊行され、香港版がその香港のグループ出版社から発行されてきた。香港人である彼は、香港という比較的小さなマーケットの独立書店・出版社も存続していくようにと願い、推薦文という形で『書店日常』を応援してくれた。これが縁となり、その後、彼の初の短編集『第歐根尼變奏曲(ディオゲネス変奏曲 )』が格子盒作室から出版されることになる。

陳浩基氏の作品も含む格子盒作室出版のSFとミステリー

 

●書店でのイベント

実は、筆者が独立書店で開催される各種のイベントに足を運ぶと、ほぼ毎回と言っていいほど阿丁さんの姿を見かける。格子盒作室は自らネット書店も展開しているが、やはり読者に書店で直接本を手に取り、ページをめくってもらうことが大切だと彼女は言う。
書店での新刊書発表会などでは、作者と読者が直接語り合うことができ、読書は一方通行ではないことが感じられる。それを通して読者が作家のファンになれば、本の売り上げ増加にもつながり、次の一冊への道が開けるだろう。
売り上げという意味では、作家自身がSNSを積極的に活用することも重要。フォロワーが多いほど、現実的な売り上げにも貢献する。

 

●新しい書店のこと

この連載では主に、ここ数年に新たにオープンした書店を取り上げている。その店主たちは異口同音に「最近、若い読者人口が増えている」と言う。出版社の経営者として、これをどのようにとらえているか尋ねてみると、次のような答えが返ってきた。

このところの、香港での社会運動が関係しているのではないだろうか。以前に比べ、読書を通して世界を理解しようという若者たちの意欲が増している。例えばルポルタージュや現実をもとにした文学は、様々な人々が置かれた社会的境遇を知ることができる。SFやミステリーは、フィクションを通して暮らしの中の現実問題を考える契機を与えてくれる。どのような種類の本であれ、自分が好きなものを読み、そこから何かを汲み取り、読んだ人が自分をより充実させていけばいいと思う。

 

●一人で出版社を経営すること

格子盒作室を一人で経営する阿丁さんの主な業務は書籍の編集作業だ。「自分が出したいと願った本」のための編集作業はやりがいがある。この他に、組版やデザインを自ら行うことも。また日常的な事務作業やPR活動もある。
一人であるが故の苦労もある。その最大のものは本の運搬と倉庫管理だ。通常は書籍の流通会社が書店まで運ぶが、書店から直接注文が入ることもある。そのような場合は阿丁さんが自分で10冊、20冊と運ぶことになり、これがなかなか骨が折れる。
格子盒作室は現在、オフィスを構えていない。阿丁さんはコワーキングスペースで編集作業をし、自社出版の書籍のために小さな倉庫も借りている。作家など関係者と会う時はカフェなどを使う。資金的に余裕が持てればオフィスを借り、本の陳列スペースも設け、読者にも開放したいとは思うが、今のところ、業務上は特に不便は感じない。

 

●これからのこと

規模の小さな一人出版社なので、以前勤務していた大手出版社のような長期的な営業目標は特にない。またコロナ禍もあり、この2年ほどは仕事のペースを緩めていた。今後も文学や都市をテーマとした書籍を出版していきたいとは考えているが、今のところ具体的なプランはなく、手元にある仕事を進めながら考えていきたい。
このような状況ではあるが、香港の作家の他に、日本の作家・松浦弥太郎のエッセイ集を2冊出版することができた。今後の読者の反響を見ながら、海外の作家の翻訳作品も展開できればと考えている。

と、阿丁さんはこのように話す。ところが、コロナ禍が香港に影響を及ぼし始めた2020年以降、すでに10冊以上を出版している。香港ではまた、2021年に国家安全維持法が施行され、言論空間にも変化がもたらされている。そのような時代に、阿丁さん自身がどのように構想していくのか、新人作家がどのような企画を持ち込んでくるのか、格子盒作室の動向に注目していきたい。

(取材日:2022年4月15日)

 

▼格子盒作室の新刊

 著者:松浦弥太郎

『倘若人生是一場旅行』(原著:場所はいつも旅先だった)
初版:2021年11月01日
ISBN:9789887572503

『最糟也最棒的書店』(原著:最低で最高の本屋)
初版:2021年11月01日
ISBN:9789887572510

▼格子盒作社SNS
https://www.facebook.com/gezibooks
https://www.instagram.com/gezi_workstation/

▼オンライン・ストア
https://gezistore.ecwid.com/

▼出版目録
https://sites.google.com/view/gezi-workstation

写真:格子盒作社提供

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大久保健(おおくぼ・たけし) 1959年北海道生まれ。香港中文大学日本学及び日本語教育学修士課程修了、学位取得。 深圳・香港での企業内翻訳業務を経て、フリーランスの翻訳者。 日本語読者に紹介するべき良書はないかと香港の地元書籍に目配。

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