香港本屋めぐり 第11回

投稿者: | 2021年9月3日

2つの「ブックフェア」

 

●香港社会の一大イベント「香港書展」

香港では毎年夏休みの時期に、香港島の大型会議・イベント施設「香港コンベンション・アンド・エキシビション・センター」を会場に、政府系機関が主催する「香港書展(ブックフェア)」が開催されている。

1990年に第1回が開催され、今年2021年で第32回を迎えた。特に2014年からは、入場者が延べ100万人を超える大盛会となっており、香港全体のお祭りのような様相を呈している。

しかし昨年はコロナ禍のため中止となり今年の開催も危惧されたが、感染拡大に一定の歯止めがかかったこともあり、無事に開催された。期間は7月14日から20日まで。ただ、前回――社会運動が盛んだった2019年でさえも入場者が延べ98万人だったのに対し、今回は延べ83万人にとどまった。また、出展者数を見ると、前回は680余りだったのに対し、今回は600に満たなかった。入場者1人当たりの消費額は、前回の875香港ドルに対し、今回は817香港ドル(約11,580円)。

香港ブックフェア入場の列に並ぶ市民

ブックフェアでは大手チェーン書店が大きなブースを構える

●多くの来場者を集める理由

この催しがなぜこれほど人気を博してきたのか。1つに、香港の出版社や大手書店の大部分がこのフェアに出展することから、ここに足を運べば香港中の書店の店頭に並んでいる書籍のほとんどを手に取り購入できることがある。

もう1点として、香港には日本のような再販制度はなく、本には定価が印字されてはいるものの書店が自由に価格設定できることから、このブックフェアで各出展者が「大幅値引きセール」を行うことも少なくない。小中学校の参考書なども多く並ぶことから、親子がスーツケース持参で大量に買い込む姿も多く見られる。こうしたことから、このイベントを「在庫一掃セール」だと皮肉る声もある。

また、中国大陸・台湾を含め、海外の出版社も毎年出展してきた。また内外の作家や知識人を招いての講座・トークショーも多数行われ、これらを目当てに会場に足を運ぶ市民も少なくない。ただ今年はコロナ禍により、海外の出版関係者の参加はほぼ無い状況だった。

香港ブックフェアのトークショーの1コマ

●これまでとは異なる状況

2020年6月30日、香港では「国家安全維持法」が施行された。その第29条に、「各種の不法な方式を通じ、香港特別行政区住民の中央人民政府または香港特別行政区政府に対する憎しみを引き起こし、かつ重大な結果を招く恐れのある場合」犯罪に属する、とある。

この「憎しみを引き起こす」について、具体的なガイドラインが示されていないことから、どのような言論がレッドラインに触れるのかが明確ではなく、多くのメディアや芸術界などが自主規制を強いられる状況となっており、それがこのブックフェアにも影を落とした。

主催者は開催に先立って、「出展された書籍の内容について来場者から『国家安全維持法に触れるのでは?』という指摘が寄せられた場合、警察に通報する」とアナウンスをしていた。自らその内容を吟味することはしない、ということだ。

実際に、出版社によっては政治的な内容の本はこのイベントに出展しないにとどまらず、今年はそうした類の本の出版そのものを控えるところもあった。

それでも中には、2019年以来の香港の社会運動を扱った本などを出展した出版社もある。そしてそれを「違法では?」と指摘する声が実際に主催者に寄せられたが、その後、「取締」を受けたというニュースは聞いていない。

数少ない香港の社会運動関連書籍

これまでほぼ毎年延べ100万人を超えていた入場者が、今年は80万人台にとどまったのは、コロナ禍の他に「自分が求める本が、今年はブックフェアに並ばないのではないか」と考えた市民が少なくなかったからなのだろうか。

ある出版社の責任者は、「今後、このブックフェアに並ぶのは、娯楽系やマニュアル本・自己啓発本がメインになるかもしれない。他のジャンルの本を求めるなら、別のチャンネルを探らなければ購入できなくなるのでは?」と語っていた。

 

●「獨立出版迷你書展」――もう1つのブックフェア

政府系ブックフェアの会場から徒歩15分ほど――この「香港本屋めぐり」の第2回で紹介した「艺鵠書店」と、そのビル「富徳楼」ではもう1つの「書展」が開催されていた。それは「獨立出版迷你書展(独立出版ミニ・ブックフェア)」。

今年で4回目となるこのミニ・ブックフェア。期間は7月14日から27日まで。富徳楼の14階にある艺鵠書店に20を超える独立系出版社の書籍が並び、他のフロアでは読書会やトークショーなどのイベントが開催された。

香港における独立系出版社は、個人経営、あるいは数人の社員による運営で、大手出版社の多くが商業的利益を優先し、大衆の好みに合うテーマを選ぶのに対し、社会的に余り注目を集めないようなテーマを取り上げることが多い。特に2019年以降は、香港の社会運動や地元文化・歴史に関する本を多く出版するようになっている。

平日の夜や週末には、若者を中心に多くの市民が訪れ、大手のチェーン書店では見つけるのが難しい本を手にとってページを繰っていた。その多くは、地元の文化・歴史・社会活動に関するもの、また香港や海外の作家の哲学書などだ。政府系ブックフェアには出展されにくくなったものが多いと言えるだろうか。

上の、とある出版社の責任者の言葉――「他のジャンルの本を求めるなら別のチャンネルを」。ここにその1つのチャンネルがありそうだ。

富徳楼14階の艺鵠書店に並んだ独立系出版社の書籍

他のフロアではさらに「独立書店が集結したブックフェア」も行われていた。艺鵠書店以外の各独立書店が、自らが推す書籍を持ち寄っての即売会。ここにも多くの市民が足を運んでいた。書店間にこうした横のつながりがあるのも、香港の独立書店界の特色の1つだろう。

別のフロアでは、各地の独立書店が自ら選んだ書籍を持ち寄っての即売会が

 

●独立書店が果たす役割

このミニ・ブックフェアがそうであるように、独立書店は読者が1人静かに思索するだけではなく、市民に交流の「スペース」を提供している。

期間中、「獨立書店接力Run」(独立書店バトン・ラン)と題するトークショーが開かれた。スピーカーは、2人が現役の独立書店の経営者、1人が元書店経営者で、今は読書普及ブロジェクトのソーシャル・エンタープライズの主宰者。3人は、書店経営の楽しさや苦労、読者との交流の様子などを語っていた。その中の1人――この連載の第8回で紹介した「夕拾x閒社」の書店主・シャロンさんは、司会者からの「本を売ることとスペースを提供すること。そのどちらが重要か?」との質問に、次のように答えていた。

「うちの書店に来て、ここ数年の社会運動関連の本を見て、胸がいっぱいになり泣き出してしまう人もいます。書店が具えるスペースで、そうした気持ちを落ち着かせ、それを消化しようとしているのでしょう。そうした人に私たちは寄り添っています」

これまでの、香港の自由な社会の先行きが不透明な中、独立書店は市民の1つのよりどころであり、希望であるのかもしれない。

トークショー「独立書店バトン・ラン」

 

「香港書展」Website:
https://hkbookfair.hktdc.com/

「獨立出版迷你書展」Facebook:
https://www.facebook.com/hkindiebookfair/

 

~~補足~~

▼注目の雑誌
(上の「獨立出版迷你書展」の写真にある『迴響』)

これまで香港では、口語である広東語と、書き言葉である「書面語」(中国大陸の「普通話」、台湾の「国語」で書かれた文章と共通点が多い)は棲み分けがなされてきた。

例えば「彼は先にご飯を食べる」を広東語では「佢食飯先」と言うが、書く時は「普通話」「国語」と同様「他先吃飯」と記す。漢字1つ1つの発音の相違だけではなく、語彙や文法にもかなりの開きがある。

それがここ十数年くらいだろうか、新聞・雑誌の芸能欄やゴシップ記事など、また香港市民同士がネットでやり取りする際、「広東語で書く」ことが珍しくなくなってきた。広東語母語話者にとって「高尚ではない話題」が広東語で書かれていれば親しみを感じるからではないだろうか。しかし、それ以外――政治や社会面の記事、雑誌や一般書籍、特に文学作品が「広東語で書かれる」ことは極めて稀だった。

そうした中で、2020年5月、この雑誌『迴響』の発行人「山城豬伯」氏がネットで「広東語の発展のため、広東語による雑誌を刊行したいと思う」と告知し、クラウドファンディングを始めた。まもなく目標額に達し、同年7月に創刊。最新号は今年の8月発行で、通算第14号となった。

これまで稀だった「広東語で書かれた文学作品やエッセイ」で埋め尽くされた雑誌が、1年以上にわたって固定購読者を獲得したのは、香港の、特に若い読者層に広がっている「地元文化に目を向け、それを大切にしていこう」という考え方の現れかもしれない。

『迴響』:Facebook
https://www.facebook.com/ResonateCantonese

 

写真:大久保健

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大久保健(おおくぼ・たけし) 1959年北海道生まれ。香港中文大学日本学及び日本語教育学修士課程修了、学位取得。 深圳・香港での企業内翻訳業務を経て、フリーランスの翻訳者。 日本語読者に紹介するべき良書はないかと香港の地元書籍に目配。

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