香港本屋めぐり 第26回

投稿者: | 2024年3月19日

木棉樹(モッミンシュ)出版社と長頸鹿繪本館(チョンゲンロッ・クイブングン)

 

「本屋めぐり」と銘打っている本連載では、その第15回で本屋ではなく「格子盒作室」という出版社を取り上げた。書店に並ぶ本の作り手がどういう人(出版社)なのか関心があったのだ。
これまで取材した書店のうち、何店かは絵本コーナーを設けていて、そこで『和平是什麼?』という絵本をよく見かける。著者は浜田桂子さん。原著名は『へいわって どんなこと?』。2011年に日本の童心社から出版された絵本だ。奥付には「出版:木棉樹出版社」とあり、初版は2019年12月。どのような経緯で日本の絵本がこの出版社から発刊となったのだろう、などと考えている時、この出版社が書店を併設していることを知った。本屋があるなら訪ねてみない手はない。

▼かつての工業地域にある出版社兼書店

出版社は、新界の火炭という地域にある。ここには工場ビルと呼ばれる巨大な建造物が立ち並び、かつてはその名の通り、多くの工場がビルの中にあったが、その大多数は広東省などに移転し、空いたスペースは倉庫になったり、木棉樹のような他業種が利用したりしている。
火炭の駅から徒歩20分ほど。木棉樹が入っているビルに着く。まさに工場ビルと呼ぶに相応しく、いかつい外観だ。

木棉樹出版社が入っているビル

出版社のドアをあけると、そこは出版社ではなく本屋だった。「長頸鹿繪本館」の奥が出版社の事務所になっている。
「長頸鹿繪本館」は、木棉樹出版社で編集を担当している黄雅文さんの知人が九龍の市街地で営業していた本屋だが、物件の契約更改で続けられなくなり、在庫の本が店名とともに木棉樹出版社の一角に移って続いている。

子供たちが書店内の本を自由に読めるコーナー。長頸鹿繪本館には専任の「書店員」はおらず、子供たちから声がかかれば、黄さんたちが編集作業の手を止めて対応する。以前、テーブルでは小学生・中学生が雑誌「木棉樹」に投稿する原稿を書いていたこともあった。

▼出版社の立ち上げ

編集者の黄雅文さんに、出版社の立ち上げについて話を聞いた。
木棉樹出版社は1998年創業。黄さんと、大学の先輩など数人で始めた会社だった。

編集者の黄雅文さん(左)と同じく編集者の陳美恩さん

「経営者や社長というものは存在しません。私たち編集者が自由に運営しています。ただ、そういう状況なので、この出版社がいつまで続くか自分たちでもわからず、当初はオフィスを借りることはなく、知人の会社の机を借りてスタートしました。火炭のここに移ったのは2005年頃のことです」。
発足当時は絵本などの書籍を出版する予定はなく『木棉樹 児童文学月刊』という雑誌を発行していただけだった。
数年後、雑誌だけでは面白くないと感じ、小学校高学年向けの小説を発刊した。文章にこだわる黄さんは「面白い物語があれば子供たちは読んでくれる。挿絵などは単なる飾りに過ぎない」と考えていたが、読者からは「長すぎるよ」という率直な感想が寄せられたこともあり、その後は小学校低学年も対象に、挿絵も多くカラフルな児童書を出版するようになる。
小さな出版社であり、作家との人脈はないに等しい。そこで、文学関連のイベントに参加し、講師を務める作家がトイレから出てくるところを捕まえて、雑誌への執筆を依頼した。

 

▼絵本出版の経緯

2008年から09年にかけて、黄さんは絵本について学ぶようになる。
「偶然、海外の著作権エージェントと知り合う機会がありました。彼らが扱う絵本を見せてもらったところ、その美しさに魅せられてしまったのです。たしかに絵は美しい。でも、テキストは何を言いたいのかよくわからない(笑)。でも、その美しさに惹かれる気持ちが勝ってしまい、私たちも絵本を出版しようと考えたのです」。

その頃、香港では絵本の出版は盛んではなく、「学ぶ」という意味で海外の絵本を扱うことが多かった。現在出版している絵本も、その大半が海外の作品を中国語に翻訳したものだ。
「最初に出版したのはベルギーで出版されたフランス語の絵本でした。たまたまその出版社のエージェントが香港に住んでいたので、スムーズに進みました。ところが、その後が大変。
まず、海外の出版社からは『香港? どこ?』と言われることが多かった。中国語版を出したいと言っても『もう中国語版は出ているでしょ?』と返される。『そうなんですが、それは中国大陸でのことで、香港ではないのです。大陸と香港では使う文字が違うのです』と、簡体字と繁体字の違いを説明します。すると『繁体字版なら、もう出ていますよね』と。『はい。でもそれは台湾でのことで、香港ではないのです』と一から説明しなければなりませんでした」。

ハードルはこれだけではなかった。
「契約の段階でまた難題が。香港の人口は七百数十万人。マーケットが小さく、発行部数も限られます。でも相手の出版社は『契約のフォーマットは世界共通。お宅のマーケットのサイズに合わせて契約書を書き換えることはできない』などと言います。そこからは、こちらの熱意を訴えるしかありません」。
このようにして出版された絵本は300冊ほどに及んでいる。

翻訳本の他に、最近は地元香港の作家の絵本の出版にも力を入れている。

▼日本の絵本も香港で出版へ

ある時、日本の出版関係者が木棉樹を訪ねる機会があった。そこには日本でもまだ出版されていない北欧などの優れた絵本が並んでいたが、残念ながら日本の本はなかった。日本の関係者が黄さんにその背景を聞いてみると「経済的に日本の版権取得はかなり厳しいのです」と。そこからその日本の関係者の尽力が始まり、長谷川集平氏の作品や、黄さん自身が強く願った『へいわって どんなこと?』の香港版の出版が実現した。

 

▼絵本を安価に

木棉樹が出版する絵本には特徴がある。それは「安価」であるということ。他の香港の出版社の絵本が1冊100香港ドル近くするところ、木棉樹は40香港ドル前後だ(2024年3月時点で1香港ドルは約19円)。この価格設定について黄さんは語る。
「私自身、子供の頃から本が大好きでしたが、本を買うにはお小遣いが足りず、よく図書館に行きました。絵本は子供たちにとって必需品です。一般的に、各政府は水道代や穀物の値段を低く抑えていますよね。誰もが手に入れられるように。それと同様、必需品である絵本も安くなければなりません。そうじゃないと、人生のスタートの時点で差がついてしまう。
価格を抑えるために、木棉樹の絵本はソフトカバーです。これはむしろ住宅事情が厳しい香港には合っています。ハードカバーの本は場所を取りますから。また、見返しのない製本にしています」。

 

▼児童書と教育の関係

児童書や絵本というと、教育と密接な関係があるのではないだろうか。その企画などについて、教育機関と協力するということはあるのだろうか。
「香港の教育は功利主義的です。児童書や絵本にしても、教師や保護者は『この本は何の役に立つのか?』ということを重視します。でも私は、子供たちが読書自体を楽しむことが重要だと考えます。本が、何か別の目的のために存在するということは望みません。ですので、私たちは教育界とは一定の距離を保っています」。

 

▼雑誌の停刊

創業時から発行を続けてきた児童月刊誌『木棉樹』は、2019年5月号(通算第203号)が最終号となった。主な理由は編集を担ってきた黄さんが病を患ったことだ(今はすっかり回復)。

「木棉樹 児童文学月刊」最終号

この最終号を開いてみると、ニュースのページにニューヨーク・タイムズからの翻訳として、中国のことが載っていた。
「1919年の5月、北京では学生たちが政府に抗議するためデモ行進を繰り広げた。(中略)今年はその五四運動の100周年。しかし今、若者たちは抗議の声をあげられるだろうか」。
黄さんは「ニュースのコーナーですから、どんなテーマでも書けましたよ。でも、今は難しいですね」。

「何か他のことに役に立つ」読書ではなく、子供たちがそこから自分で吸収し、自分で考える契機になる児童書・絵本を、木棉樹が今後も末長く出版していけるようにと願うばかりである。

(取材:2024年2月)

 

▼編集者のお勧め

『BOOM 色彩世界的戰爭』

著者(作画):Ximo Abadia(スペイン)
翻訳:馬思一

出版社:木棉樹出版社
初版:2021年1月
ISBN:9789887945819

 

「子供には世の中の素晴らしい一面だけを教えればよい」と考える大人もいる。しかし編集者の黄雅文さんは、そのような純粋培養はかえって子供たちのためにならないと考える。
この絵本は『へいわって どんなこと?』の対極のように「戦争はどのように始まるのか」を描いている。

 

▼出版社・書店情報

木棉樹出版社 長頸鹿繪本館
住所:沙田 火炭 穗禾路1號 豐利工業中心 505室
営業時間:月〜土 10:00〜18:00

ウェブサイト:https://cottontree.com.hk/
Facebook:https://www.facebook.com/cottontree1998

 

Google Map 香港本屋めぐりMAP

 

写真:大久保健

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大久保健(おおくぼ・たけし) 1959年北海道生まれ。香港中文大学日本学及び日本語教育学修士課程修了、学位取得。 深圳・香港での企業内翻訳業務を経て、フリーランスの翻訳者。 日本語読者に紹介するべき良書はないかと香港の地元書籍に目配。

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