『歴史と文学のはざまで』評 佐野誠子

投稿者: | 2024年3月15日
『歴史と文学のはざまで』

歴史と文学のはざまで
唐代伝奇の実像を求めて


高橋文治 著
出版社:東方書店
出版年:2023年10月
価格 2,640円

唐代伝奇の〈伝〉・〈記〉性の検討からみえる実像

 

 唐代伝奇は、〈事実の記録〉として書かれた。と説明すると、中国文学史の知識がある人はびっくりするかもしれない。一般には、六朝志怪は、歴史記録に毛が生えた事実の記録であるが、唐代伝奇は、そこから飛躍して虚構を描くようになったと説明されるからである。しかし、著者は、唐代伝奇がおさめられる『太平広記』が記録を集めた汎称として書名に〈記〉を用いていること、また、『文苑英華』におさめられる伝奇は、題名が人名プラス〈伝〉としるされることから、伝奇は、〈異記〉や〈雑伝〉であり、〈事実の記録〉であって〈ものがたり〉ではないとする(四―五頁)。書き手が〈記〉や〈伝〉の形式を用いて書けば、それは、読み手も〈事実の記録〉として読むものであった。
 著者はこのような立場に立った上で、伝奇から何が読み解けるのか、伝奇の実像に迫った。章節毎に、作品の翻訳と解説が附された形となり、全部で十二篇の唐代伝奇が紹介されている。
 以下目次にそって、その収録作品と簡単な要点を述べたい。
 第一章 君臣たちの楽園では、『古元之』(牛僧孺『玄怪録』)にみえるユートピア和神国、また、『張佐』(牛僧孺『玄怪録』)の耳の中の兜玄国の描写を通し、唐代の楽園は陶淵明『桃花源の記』にみえる平等社会とは違って、儒家思想を反映した徳と文字による統治構造がはっきりとした世界であったと述べる。
 第二章 死んだ妻が語るにはでは、士大夫にとって、夫婦関係は、君臣・父子関係と同等の重さがあり、婚姻を結ぶということ、妻を失うことの当時の重みについて指摘する。その上で、妻の亡霊との会話が示される『唐晅』(陳卲『通幽記』)と、馮媼が死んだ人妻の亡霊に出会って恨み言を聞く李公佐『廬江の馮媼』(『異聞録』)を紹介し、正妻の死は、愛情や嫉妬のものがたりでは決してないことを論じる。
 第三章 妻の実家と夫の処世では、出世にまつわる妻の実家の影響について論じる。士大夫にとって、出世と結婚(正妻)と性愛(側室)の三つがそれぞれ独立したものとして扱われている例として、『曹恵』(牛僧孺『玄怪録』)の木偶が語る謝朓の冥界での生活と、『苗夫人』(范攄『雲谿友議』)、『玉簫化』(范攄『雲谿友議』)にみえる、唐代の実在の節度使である韋皋についての婚姻の不幸、そして死んだはした女玉簫の生まれ変わりと邂逅した内容を紹介する。
 第四章 柏林の奥にひそむものでは、墓場によく植えられた木でもある柏(ヒノキ)林にいる狐を取り扱う。『王生』(張薦『霊怪集』)、『李自良』(薛漁思『河東記』)の狐は、超常的な力をもつはずなのに、〈天書〉や〈天符〉を人間に奪われる。その上で、類話として、狐は登場しない『居延部落主』(牛僧孺『玄怪録』)の袋が水銀の力で道化となって出現し、その後退治される話を紹介し、その象徴するものを歴史的に考察する。また、『王知古』(『太平広記』での小題は『張直方』、皇甫枚『三水小牘』)では、王知古が狐妖の餌食となった。ただ、『王知古』にあっては、狐は、悪ふざけができるだけの存在にまでなってしまっていた。〈狐妖〉の領分は、人間界の魑魅魍魎によって侵犯されてしまっていていかほども残っていなかったのだとする。
 終章 「人虎伝」の系譜が語ることでは、『李徴』(張読『宣室志』)から清朝の李景亮『人虎伝』(『唐人説薈』)へのテキスト変化の系譜をたどり、合計六種類の文献があることを示す。これら六種類の文献いずれもで「狂疾によって山谷に入った」との表現があり、虎がなんでも食らったという描写が共通していることを指摘する。その上で、唐代の虎変身譚の中で、『李徴』だけが〈虎の気持ち〉を直接的に語っているからこそ特別な系譜を形成し得たのだとする。ただし、唐代の『李徴』においては、純粋な挫折したエリートの記録であったのが、宋代以降、変身の原因や心境描写の詩歌などが追加されていくことは、興味本位のゴシップでしかないと喝破する。この変化は、序章で述べられていた、宋代以降『桃花源の記』の実在をリアルに考えようとした文人たちの登場と軌を一にするものであり、過剰なリアリティー追及だとする。
 このように本書は、『李徴』を除けば、唐代伝奇として有名ではない作品ばかりをとりあげている。それは、浅見洋二・高橋文治・谷口高志著『皇帝のいる文学史──中国文学概説』(大阪大学出版会二〇一五)におさめられる著者による「史書と小説」の章において、夢にまつわる有名な唐代伝奇(『南柯太守伝』『枕中記』『魚服記』)をすでに読み解いているからでもあるだろう。しかし、現在の有名無名にかかわらず、唐代伝奇として、読み解けることは共通しているということでもある。
 中でも鍵となっているのが、〈発跡変泰(爆発的に出世して富貴を得ること)〉の語である。第二章のはじめでは沈既済『枕中記』を用いて〈発跡変泰〉について説明し、〈発跡変泰〉こそが士大夫のあこがれであったとする。そもそも伝奇が〈記〉や〈伝〉であるということは、士大夫による士大夫のための文(散文)だということであり、その主たる内容も士大夫たちの実情と意識を反映したものだということになる。本書のこのような探求の方向性は、史学の範疇のことかもしれないし、感情史のようなものと捉えてもいいのかもしれない。
 さらに著者は、伝奇を文学ではないともし、〈ものがたり〉をフィクションとして楽しむ文化風土は、中国にもともとなかったといってよかったという(二二四―二二五頁)。また、著者は同時に中国の歴史書が常に文学的な傾斜を持つともする(二二五頁)。しかし評者は、伝奇は文学であり、本書は、やはり文学をも扱った書物であると考える。
 まずは、背後に存在する「語り」の存在である。本書序章では、伝奇と〈ものがたり〉の関係について、沈既済『任氏伝』の末尾を用いて論じ、語りが士大夫間のものであり、士大夫が文字にする価値があると認めた事実(ここでは超常的でないものという意味ではない)だけが〈記〉や〈伝〉になるとしている(三八―三九頁)。〈記〉や〈伝〉の背後に確実に語りは存在した。実際本書では、章題・節題に「語る」の語が多用されている。本書での「語る」は、主に実像を述べるという意味で用いられているが、同時に伝奇の中の話し手を指すものも含まれている。娯楽としての語りをそのままでなく、文字化する際に取捨選択の行為を行っているのが伝奇を含む士大夫の文学なのである。
 次に、〈記〉や〈伝〉にあるレトリックの存在である。伝奇を〈記〉や〈伝〉といった散文として整えるところにこそ、表現者の技量があらわれ、文学性が宿ることになる。本書では、第二章の李公佐『廬江馮媼』の記述の工夫についての指摘がある(一一六頁)。そして、李公佐は『南柯太守伝』の著者でもあり、そこに登場する人名淳于棼や国名槐安国には、創作の意図が込められていることが指摘されている(黒田真美子訳『中国古典小説選5 枕中記 李娃伝 鶯鶯伝他』明治書院二〇〇六参照)。伝統中国では、創作された虚構さえも〈記〉や〈伝〉の形式によって事実として包含させることにより〈ものがたり〉を享受していたとも考えられないだろうか。だからこそ、唐代伝奇は文学として精彩を放っているのである。
 唐代伝奇について、〈異記〉や〈雑伝〉の形式として整えられていることにもっと注意を払うべきだというのが著者の主張であろう。著者の主張と、従来の概念とを統合して説明するのであれば、中国の散文においては、虚構さえも、〈異記〉や〈雑伝〉といった実録の形式でないと士大夫たちの俎上にあがらなかったということであろうか。
 本書は、各種概念を〈 〉でくくっており(本書評での利用も本文に準じた)、その多用がやや読みにくさを感じさせるが、訳文の注と本文の注をわけた工夫は、読者に親切である。
 ありきたりな切り口、ありきたりな分類でなく唐代伝奇をとりあげた本書は、伝奇の読み方・向き合い方に一石を投じるものであり、まさに、唐代の伝奇が真に反映しているものに迫った書だといえよう。

(さの・せいこ 名古屋大学)

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