龍の横顔② 百科事典の龍くらべ

投稿者: | 2024年3月15日

瀧本 弘之

 

 前回、龍の図像として中国のものを取り上げたが、今回は日本のものを中心に取り上げてみたい。
 私が龍で思い出すのは、タコである。
 ……と言っても食べるではなく、飛ばす凧(風筝)である。正月の風物詩の一つだ。昭和30年代は暮れから年の初めにかけて、都内の空地でいたるところ凧揚げが行われていた。主役は団塊の世代の男子たちで、彼らが手にしていたのは竹ひごを四角く組んだ枠組に張られた白い紙でできた安価な凧。その白い長方形の画面に、縦に「龍」の字を赤で大きく描いた凧だった。両隅に白い細長い紙を垂らして、これが安定を図る重石の役割を果たす。この形態からタコと呼ばれたのだろうか。当時は戦後10年ごろで、都内には空地が豊富で子供の遊び場はここに決まっていた。掲載写真は、現代のネット販売されている浜松地域のものだが、縦に竹の棒が突き出ているだけで長い紙の足がない。自分で貼り付けて安定させればいいのだろうか。もっと安直な手作りの、昔の即席風のものの方が却ってその時代らしい風格を感じさせて好きだ。

 中国には、類書とよばれる調べものに便利な書物があるが、そのうちで最も名高いのが『三才図会』(「図」と書いている辞典もあるが誤り)だろう。成立は明時代で、明末から流布しており、これは日本にも輸入されて普及していた。一種の百科事典である。日本ではこれを元にして「日本版」の『和漢三才図会』をつくった。といっても、『三才図会』を日本でそのまま翻訳や復刻したのではなく、日本向けに内容を噛みくだいたものがつくられた。それが『和漢三才図会』である。「三才」とは「天地人」の謂いで、ありとあらゆるものということだろう。つまり、日本及び中国の森羅万象についての事典・辞典だ。しかも図が入っている。当時は「和漢」だけで「世界」に等しい意味があったろう。

図1 和漢三才図会(早稲田大学図書館蔵)

『和漢三才図会』は正徳二(1712)年の序を持ち、大阪の医師・寺島良安の編で大坂杏林堂が刊行。初学者でも分かりやすいよう、大きな図に和名・漢名と説明を付している。一種のベストセラーで、増補改訂を加えつつ多数の版を重ねた。明治になっても刊行されている。
 『和漢三才図会』の「巻之四十五」は「龍蛇部」で、ここには「龍類」「蛇類」が図版入りの漢文で説明されている。図は目次の一部だが、こうしてみると、龍は現在では想像上の動物とされるものの、当時は蛇の仲間と考えられていたと思われる。
 龍について典拠としていうところは、「本艸(草)綱目に曰く」で始まるが、当時のものはすべてこのようにまず中国の古典にその著述のよりどころを求めている。
 「龍形有九似頭似駝角似鹿眼似鬼耳似牛項似蛇腹似蜃鱗似鯉爪似鷹掌似虎也。」
 頭は駝に似、角は鹿に似、目は鬼に似、耳は牛に似……以下同様に、九種類の異なった動物に似ているとする。興味のある方は、白文を読み下してほしい。いざという時は、『東洋文庫』などに、現代語訳もある。
 図1では縦に五本爪の龍の頭部を描いている。五本の爪をもつ龍は、皇帝の持ち物などのデザイン・装飾に使う。臣下は使うことを許されない。四本か三本だ。鱗の数は調べていない(背中に81枚と書いてあるが実際にあるかもしれない)。龍の読みを「たつ」、また「梵書」とあるのは梵語で「那伽(ナーガ)」、和名の「太都」は「たつ」、唐音で「ロン」と詳しい。音は「弄」(ろう)としている。龍の音読みはりょう・りゅう、そして訓読みがたつだ。

■江戸の物知りの必携書

 続いて江戸時代の代表的な百科事(辞・図)典の『訓蒙図彙』の類を調べてみよう。
 「訓蒙」は、江戸時代からの「読み癖」(慣用的な読み方)で「きんもう」と読む(辞書には「くんもう」の読みもある)。意味は「無知の者を教えさとすこと」と説明されている。『訓蒙図彙』の著者は京都の儒者・中村惕斎(てきさい、1629-1702)。彼による日本初といわれる図解百科事典『訓蒙図彙』を見てみよう。相当簡略に記述されていて、ほとんど図ばかりといってもよい。(図2)

図2 『訓蒙図彙』(国会図書館蔵)

 これでは不満が出るので、のちに絵も文字も大いに詳しく増補したというわけだろう。『訓蒙図彙』を増補したものが、『頭書増補訓蒙図彙』(「頭書」には「かしらがき」と読みが付いている)で、巻十四には「龍魚」として、「此部には海水川谷にすむもろもろの龍蛇魚鱗をしるす」とある。
 図3の描くのはみずち(図中のふりがなは「みつち」)で、「蛟は龍の角なきものなり。四足あるはせなか青まだらにわき錦のごとく水中また深山幽谷にすむなり」とある。そして「龍は鱗虫の長也。せなかに八十一の鱗あり九々の数をそなへたり…」と続く。
 「龍魚」は固有名詞でなく、分類上の仲間として付けた名前だろう。

図3 『頭書増補訓蒙図彙』(早稲田大学図書館)

 その次には、龍(あまれう・たつ)が登場し、螭(ち)が続く。龍の図としては三本爪で角のあるものが描かれ、螭は角がない。頭書の部分には、鯨(くじら)、鰐(わに)、鯛(たい)なども出ている。
 龍の部分を見ただけでも、『三才図会』を咀嚼して、より発展させていることは間違いないだろう。しかも絵も次第に力強さが増えて、読者を引き付けるような図柄を工夫している。

図4 龍と螭(同前)

 最後に、これらの図絵のおおもとになった『三才図会』の龍たちをのぞいてみよう。

図5 『三才図会』の龍。絵としては、出来が悪い。(内閣文庫蔵)

「龍」「蛟」を『三才図会』から取り出してみたが、絵画的には漫画に近く感じられる。線描のカドが多く角張っていて不自然だ。
 これが日本の江戸時代になると、大きく変化していく。江戸時代の中頃以降は民間に印刷文化が普及して、識字率も高まってきたから、文字と絵を入れた印刷物がどんどん普及した。次第に色刷りのものも増えてきた。そう、浮世絵の登場だ。そして出版社同士の競争もそれに拍車をかけただろう。だから民間の商業印刷物では、絵が次第にうまくなっている。中国の明の『三才図会』の図が、線画でややコミカルな味があるのは分かるが、絵としての面白さではずっと後から出てきた日本のものが優れている。「後来居上」というわけだ。

図6 『三才図会』の蛟。デフォルメが凄い。(内閣文庫蔵)

(たきもと・ひろゆき 著述家、中国版画研究家)

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