香港本屋めぐり 第16回

投稿者: | 2022年7月1日

獵人書店(リッヤン シューディム)

書店は全面ガラス張り。晴れの日には店内からソファーが外に出され、市民に愛用されている。『未焼書』は台湾の楊渡の作品で、6月のテーマ書籍となっていた。

店内の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼注目エリア「深水埗」の新書店

香港は九龍半島の注目エリア「深水埗(サムソイポ)」。ここには連載第10回で取り上げた一拳書館がある。
この一拳書館から徒歩3分とかからないところに2022年5月21日、新たな書店がオープンした。その名は

獵人書店(Hunter Bookstore)

最近オープンした独立書店には珍しく路面店だ。しかも店内には中二階があるというユニークさ。

コンパクトだが心地よい中2階の空間。

書架の一部。日本関連の本も少なくない。

 

▼新聞記者から区議会議員 そして失業

パートナーのWayneさんと共にこの書店を立ち上げたのは黄文萱さん(29歳)。彼女の成長過程を追ってみよう。
小さな頃から香港の児童文学に親しんできた文萱さんは、小学3年生になると父親の影響で金庸の『射雕英雄伝』を読み、武侠小説にはまってしまった。その後、同じく金庸の長編小説『天龍八部』全8巻を5日間で読了してしまう。子供時代から無類の読書家であったわけだ。
香港では、新聞は街角の新聞スタンドで購入するのが一般的だ。一方、ソーシャルワーカーを務める文萱さんの両親は、自宅で複数の新聞を購読していた。毎日、新聞を読み、本を読む両親の行動を見る中で、文萱さんは内容が全ては理解できなくとも、とにかく新聞を読むという習慣がついた。そして社会の出来事への関心が生まれていく。

正式開業の日。挨拶する文萱さん。

大学ではジャーナリズムを学んだ。卒業後は新聞社政治部の記者となり、様々な社会問題を取材。その原因を深く探り、さらに解決策も提示するためにはさらに学ぶ必要があると痛感した文萱さんは、再び大学で国際政治・経済の修士課程で学んだ。そしてこの社会にはまだまだ不足しているものが多くあると気づくことになる。

2019年秋、香港では区議会議員選挙が迫っていた。文萱さんの地元--新界の沙田の選挙区ではこれまで、区議会選挙では競争がほぼなく、議員の顔ぶれは毎回変わり映えがしなかった。競争がなければ進歩はないと考えた文萱さんは立候補を決断した。この年、香港で起こった逃亡犯条例改定に反対する大規模な社会運動の盛り上がりもあり、初挑戦で当選。議席の8割以上を民主派が占めることになる歴史的選挙となった。
しかしその後、香港では国家安全維持法が施行されるなど、社会は大きく変わる。2019年の選挙で当選した区議会議員の多くは辞任を選択した。文萱さんもその1人だ。

 

▼失業から期間限定書店プロジェクトへの参加

無職になった文萱さん。その経歴から、どこかの企業で正社員として働くことは難しいかもしれない。そんな時、友人から「『七份一書店』という期間限定(半年間)のプロジェクトがもうすぐスタートする予定で、『店長』を募集しているよ」という話を聞いた。新たに書店を開くとなればかなりの資金が必要となるが「七份一書店」は本を仕入れる他にはほとんど元手はかからないという。幼少時から常に本を友としてきた彼女は応募を即決した。そして「七份一」が深水埗に開いた「大南街店」に書架を構えることになる。その名は「夜露死苦」。

店主の黄文萱さん。「七份一書店」の「夜露死苦」で使っていた書架(実はロッカー)を獵人書店でも。

 

実はこの連載の第13回で七份一書店を取り上げた時、筆者は彼女に取材している。その部分を再掲してみよう。

(「大南街店」の中の書架の一つである)「夜露死苦」は「よろしく」そのままで、この「店長」に伺ったところ、「私の書架では主に海外での社会実践の本を扱い、そこから何かを学びたいと考えています。『よろしく』は中国語では『請多指教』と訳されますよね。教えを請う、という気持ちです」という答えが返ってきた。

この「夜露死苦」での半年間で文萱さんは書店経営を自然に学ぶことになった。運営に携わる中で、彼女は自分の書店を開こうと決めた。場所は自分が育ち、区議会議員としても活動してきた沙田がいい。なにしろこの地域は人口70万人を抱えながら書店が1軒しかないのだ。
しかし、残念ながら書店を開くにふさわしい物件は見つからなかった。コスト的にも、ロケーション的にも。しかし「大南街店」の近くに面白い物件が見つかった。「家賃もそれほど高くはない。ここに決めよう」。

 

▼獵人書店--店名の由来はあの日本の人気マンガ

2022年の5月初旬にソフトオープンし、同月21日に正式開店した。
さて、「獵人書店」という店名の由来はなんだろう。「獵人」とは狩人。ハンターである。

「私は日本の漫画『HUNTER×HUNTER』が大好きで、この店名に決めました。もともとはパートナーのWayneがこの作品が好きで紹介してくれたのです。私は漫画はあまり読まなかったのですが、読み始めてみると引き込まれてしまったのです。この作品には戦いの凄惨なシーンもあります。人間が持つ底知れぬ悪意も描かれています。でも、とても優れたストーリーです。中に印象深いセリフがありました。『大切なものは欲しいものより先にきた』。
香港人の多くは今、多くのものを失ってしまったと感じています。でも、ひょっとしたら、私たちが求めているものがすでにどこかにあるのかも知れません」

正式開業の日。多くの友人知人が開店を祝った。

 

▼これからの香港のために

香港で起こっていることがこの世の全てだ、と考えている香港人が少なくないと文萱さんは感じている。「そこには絶望がある。希望が見えない。でも、世界に目を向けてみれば、同じようなことを経験してきた場所があります。台湾の戒厳令。日本で学生運動が活発だった時代、等々。そこから学べることがあるはずです。そうした経験を収めた本を売っていきたいと考えたのが『夜露死苦』で、それを獵人書店でも続けていきます。それに加えて、地元香港の文化を紹介する本にも力を入れていきたいですね。さらに、ガイドブックではない旅の本や写真集も扱っていきます。香港の小説ももっと読んでもらいたいですね」。
文萱さんは、中2階のスペースでは将来的に小規模イベントを開催したいと思っているが、普段は小説を「座り読み」してもらえればと考えている。特に文学は「味見」をしてみないと買おうという気にならないケースもあるだろう、と。

中2階への階段。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冒頭にも書いたように、獵人書店は路面店で、店のすぐ前にはバス停もある。店の正面は全面ガラス張り。その中はどうなっているのかと、フラッと入ってきて本を手に取る人もいるとのこと。そこからが書店主の勝負だという。店内にある本の魅力をいかに語っていくか、どのようにして読んでみようという気になってもらうか。また、(失礼ながら)外見から本を読みそうにないのでは?と思ったオジサンや少年少女が本を購入してくれることもある。

今では、沙田ではなく深水埗で開店してよかったと思っている。現在、特に週末は若者を中心に多くの人が足を運ぶ地域になっている。万年筆の専門店、日本の面白グッズを売る店など、特色のある小規模店が増え続けているのがこの街。ソフトオープンからすでに1カ月余り。書店の収支は悪くないという。

書店を出て角を曲がると、布の露店が延びている。深水埗の特色の一つ。

 

実はこのところ、香港の公共図書館では一部の本を書架から撤去する動きがある。しかし「禁書」というわけではない。なにしろ図書館はそうした「撤去した書籍」のリストを発表するつもりはないというのだ。この状況ついて文萱は言う。「そうした所作から自粛効果を狙っているのでしょうか? でも、撤去された本がさらに注目されるという例もあります。逆効果ですよね。明確に『禁書』という措置がとられるまで、何も恐れることはありません。私の店では良書を揃えて売り続けていきます」

取材日:2022年6月14日

 

 

●文萱さんのお勧め

『一瞬之光』(『一瞬の光』中国語版)
著者:白石一文
翻訳者:黃心寧
出版社:麥田出版社(台湾)
初版:2012年6月
ISBN:9789861737034
日本の小説家 白石一文の「再デビュー作」の中国語版。文萱さんは「作品の中の一節『最後の瞬間に輝く 誰にでもそうした時がある』に強く惹かれた」という。

 

 

●獵人書店
住所:九龍 深水埗 黄竹街1C
Instagram:https://www.instagram.com/hunter.bookstore
Facebook:https://www.facebook.com/Hunter.bookstore

 

Google Map 香港本屋めぐりMAP

―――――

大久保健(おおくぼ・たけし) 1959年北海道生まれ。香港中文大学日本学及び日本語教育学修士課程修了、学位取得。 深圳・香港での企業内翻訳業務を経て、フリーランスの翻訳者。 日本語読者に紹介するべき良書はないかと香港の地元書籍に目配。

 

LINEで送る
Pocket