崩壊と復興の時代 戦後満洲日本人日記集
「満洲の記憶」研究会叢書 第2集
佐藤仁史・菅野智博・大石茜・湯川真樹江・森巧・甲賀真広編著
出版社:東方書店
出版年:2022年7月刊
価格:7,700円978-4-497-22208-4
「はじめに」より(注は省略)
2、「満洲の記憶」研究会による翻刻・整理
本書に収録された4種の日記は、「満洲の記憶」研究会の活動の中で発見・整理されたものである。日記史料が引揚史研究にもつ意義については次節で取り上げるので、以下では研究会の活動の中でどのようにこれらと巡り合うに至ったのかを紹介する。研究会の歩みや重点を置く活動内容の変遷は本書刊行に至った経緯と密接に関連している。
2013年7月に結成された研究会では当初、様々な引揚者団体や各種同窓会の事務局をはじめとする関係者と接触し、団体の運営の状況などを伺いつつ、ライフ・ヒストリー調査の対象を探すことに重点を置いていた。また、これに先立って国立国会図書館において引揚者団体や同窓会の会報調査を有志数名で行った。その時点において既にライフ・ヒストリー調査の困難さを認識していたこと、会報には単独では回想録を出版する力がなかったような引揚者の声が広く収録されていることを一定程度認識していたからである。
この調査においては、大連会、日本長春会、東京ハルビン会、岡山ハルビン会、20世紀大連会議などの会報の所蔵状況と誌面を確認し、特に東京ハルビン会と岡山ハルビン会の会報の記述が極めて詳細で興味深いことに強い印象を受け、一次史料としての会報の可能性を確認するに至った。したがって、ライフ・ヒストリー調査と同時に、引揚者団体の関係者が所蔵する会報の収集を併せて進めた。このようにして接触した主要な引揚者団体や同窓会には、政府や国策会社などの関係団体(国際善隣協会、満鉄会)、企業(満洲電業会)、都市団体(長春会、大連会、奉天会、安東会、岡山ハルビン会)、同窓会(大同学院、神明高等女子学校、公主嶺小学校)、軍隊関係(満洲国軍士官学校)、農業移民(満蒙開拓団、満蒙開拓青少年義勇軍)などがあり、収集した主要な会報には日本長春会『長春』、満鉄会『満鉄会報』、安東会『ありなれ』、岡山ハルビン会『わが心のハルビン』、大連会『大連会会報』、錦州会『錦州会報』、大同学院同窓会『会報』、大同学院2世の会『柳絮』、大連大正小学校『たいしょう』、天水会『天水会会報』、20世紀大連会議会報『Great Connection』、奉天会『奉天会会誌』、満洲電業会『電業会報』、満洲美会『満洲美会会報』、満拓会『満拓会会誌』、蘭星会『蘭星同徳』など枚挙に暇がない。会報の収集後は今後の分析に資するため記事目録の作成を進めた。2017年に至ると会報の記事にみられる満洲の記憶とその変遷のありように関する共同研究へと発展し、その成果の一部は2020年に刊行した佐藤量・菅野智博・湯川真樹江編『戦後日本の満洲記憶』(東方書店、2020年)として結実している。
ところで、研究会メンバーやその接触範囲が広がる中で様々な資料を関係者から提供されるようになり、関係資料が実に多様であることが次第に認識されるようになった。そのほとんどが個人蔵資料であり、引揚者や満洲在住経験者の日記、手記、筆記、回想録、写真、各種証明書など種々のエゴ・ドキュメントが多くを占めていた。このような経験を積み重ねる中で、戦後日本社会において引揚者が置かれてきた位置や満洲の表象の変遷を追うのと同時に、彼らの満洲体験や引揚体験を同時代的に追跡していく作業の必要性を痛感するに至った。そして2018年初頭には、その前提作業として収集した日記の翻刻・整理を行うことが提起された。
本書に収録されたのは以下の4種であるが、ほかの候補がなかったわけではない。引揚げ直後に記した手記の稿本なども提供されており、本書への収録候補として議論されたが、敗戦から引揚げに至る時期において同時代に記された史料のみを収録することにした。それぞれの概要は表の通りである。
名称 | 地域 | 主要な職業など | 執筆時期 | 字数 | |
① | 八木聞一『長春日僑生活誌抄』 | 長春 | 満業理事 | 1945年8月9日~1946年10月3日 | 約50,000字 |
② | 安武誠子『長春・安東日記』 | 長春・安東 | 満洲日報記者 | 1945年1月1日~1946年7月28日 | 約88,000字 |
③ | 池田實・雪江『公主嶺日記』 | 公主嶺 | 農事試験場技師とその妻(主婦) | 1945年8月9日~1947年10月26日 | 約30,000字 |
④ | 渡部通業『通化日記』 | 東通化(二道江) | 満洲製鉄東辺道支社副支社長 | 1945年7月1日~1946年10月8日 | 約28,000字 |
詳細については各日記の解題を参考されたいが、以下では全体を見渡すために概要を紹介する。①八木聞一『長春日僑生活誌抄』は滋賀大学経済経営研究所が所蔵する“満洲引揚資料コレクション”の一部であり、当時滋賀大学に奉職していた佐藤仁史によって2003年秋にはその有用性が認識されており、その後2012年度・2014年度の大学院ゼミでの講読などを通じて翻刻が進められた。②安武誠子『長春・安東日記』は、菅野智博が2016年2月21日に「長春会の集い」に参加した際、そこで知り合った筆者のご子息である加藤春千代氏よりその存在を知らされ、後日入力した日記データを頂いたものである。③池田實・雪江『公主嶺日記』は、大石茜が竹内テル子氏の紹介で知り合った日記筆者のご息女である土屋洸子氏を、2017年10月7日に湯川真樹江と大石茜とで土屋氏宅においてインタビューした際にその存在を知らされたものである。④渡部通業『通化日記』は、2016年6月30日に国際善隣協会において、大同学院2世の会所蔵の資料群を整理している際に発見したものである。満洲史研究に資するために使用するという条件で同会より研究会に寄贈された。①を除けば、研究会の調査活動が進展した2016年と2017年に集中して収集されたものである。
さて、2018年に日記集刊行の提起がなされてはいたものの、実際の作業が集中して行われたのは2019年下半期になってからであった。作業過程においては重要語句の注釈作業と難読文字の判読に編者一同は苦慮することとなった。日記史料の性質から、日記の筆者が自明のこととして省略をした人名などはそもそも判別し難いことに加え、作者の性別、社会的地位、活動範囲などが相当異なるため、注釈範囲の統一などの基準を立てることが難しかったからである。この作業には半年以上の時間を費やすこととなった。また、崩し字読解の訓練を正式に受ける日本史研究者と異なり、編者一同はかような訓練を正式に受けたことがなかったため、判読不明の文字が相当出現してしまった。幸いにも、国立公文書館アジア歴史資料センターの中野良氏のご厚意によって、大部分は判読することができた。同氏にはこの場を借りて衷心からの謝意を表したい。