中国蔵書家のはなし 第Ⅱ部第6回

投稿者: | 2022年7月15日

蔵書家と蔵書の源流 ─山東省─(6)

髙橋 智

 今回は馬国翰(1794~1857)について述べてみよう。馬国翰は字(あざな)は詞渓、また竹吾、原籍は章丘(山東省済南市章丘区)で後に歴城(山東省済南市歴城区)に居住した。学者の間では、歴城の馬国翰と称されている。道光12年(1832)の進士。官職は陝西省各県の知事を務め、故あって道光19年(1839)帰郷し、再び官に就いたが、咸豊3年(1853)致仕した。
 その業績は『玉函山房輯佚書』の撰者として学術史に不滅の金字塔を打ち立てたことにある。玉函山房はその室名である。本書の意義を簡述すると次のようになる。即ち、漢時代以来、存在する典籍に対して様々な目録が編まれ、書名の数も膨大な量に達するが、その中には、清時代に至るまで早くに伝本を失い、見ることのできない著述が数多いのは読書人にとってもどかしいことであった。ところが、失われた典籍の一部分が他の典籍の中に、某書曰として引用され遺っていることが多いのも、中国典籍の特徴であるところに鑑みて、馬国翰はそれらの引用文を丹念に拾い集め、部分的にでも、失われた典籍を復元しようと試みたのである。とりわけ、漢時代以来の重要な目録である『漢書藝文志』『隋書経籍志』に著録されるものなど唐時代以前に成立した学術書の失われた佚文を提示したことは、学者を驚かせて余りがあった。それ故に公刊後は様々な臆説も飛び交ったが、馬国翰の学問は、文献学的復元方法による輯佚学として大きく発展していくこととなった。
 そして、その規模も前例のないものとなった。経編(儒家文献)452種、史子編(歴史思想)640種の典籍を復元し、失われた典籍の広範さに世の読書人も驚きを禁じ得なかった。未完のまま撰者は去世するが、生前出版したものや稿本をもとに、章丘の李氏が清光緒10年(1884)印に付した。しかし、馬氏の稿本は散佚したものも多く、残缼を守り抜くのは容易ではないことを物語っている。
 後に、蘇州の王仁俊(1886~1913)が馬氏の偉業を補い、『玉函山房輯佚書続編・補編』を著した。本書は公刊されず、稿本のまま上海図書館に所蔵され、現在では影印本が流布している。王氏は光緒18年(1892)の進士で張之洞(1837~1909)の門下。著述稿本は甚だ多い。

 馬国翰の蒐書は宋・元の貴重書を対象とせず、実用書や普通の版本を主な対象とした。実用の典籍を多く蒐集することによって、始めて輯佚の研究が可能となったと言える。その蔵書は、5万7千巻と言われる。『玉函山房蔵書簿録』(清道光年間刊)にその実態が載せられていると言う。本書は稀見に属し、私も未見である。
 しかし、没後には後を継ぐ者が無く、蔵書は散じてしまった。偶々、湖南省の役人・張氏が山東に任官している時、流散したものの多くを手に入れ、長沙に持ち帰った。その後、蔵書は張氏を離れ、湖南の蔵書家・葉徳輝(1864~1927 観古堂)に収得されたとも伝えられ、また、銭塘の汪鳴鸞(1839~1907 万宜楼)に帰したとも言われる。
 真相は定かではないが、こうした転々と変わる蔵書の移動を明らかにするには、一点一点の蔵書を丁寧に当たってみなければならず、公共図書館に収められていても、一般の閲覧では殆ど調査は不可能である。
 葉徳輝の観古堂蔵書は、湖南省図書館に多く所蔵されるが各所に散じている。一方、汪鳴鸞の万宜楼蔵書は汪氏没後、同じ浙江の蔵書家・蔣汝藻(1877~1954 伝書堂)が収得した。蔣氏伝書堂蔵書の殆どが、張元済の商務印書館涵芬楼を経由して、現在の中国国家図書館に収蔵されていることに鑑みれば、この2館には、玉函山房の旧蔵書が眠っていることになるであろう。
 『書林清話』で有名な版本学者・蔵書家、葉徳輝の『園読書志』巻5に『塩鉄論』(漢桓寛撰)明刊本を載せるが、解説の末に、「巻首有玉函山房蔵書六字朱文印記、曾経歴城馬竹吾国翰収蔵、善化有張姓于山東購帰、展転為余所、有狂喜不寐、故詳記之、光緒癸卯長至鐙下」とある。清光緒29年(1903)に明刊本『塩鉄論』を手に入れ、馬国翰の旧蔵であることを知り狂喜して眠りにもつけなかったということである。
 また、傅増湘(1872~1950)の『蔵園群書経眼録』に以下の馬国翰旧蔵書が記されている。巻1に『春秋五礼例宗』(宋張大亨撰 旧写本)、巻16に『静居集』(明張羽撰 明弘治4年刊本)、『順成文集』(明王琛撰 明天順刊本)。いずれも「玉函山房蔵書」の印記があり、『春秋』はやはり葉徳輝の旧蔵でもあると言う。これらの遺品から馬氏蔵書の一斑をうかがうことができよう。
 馬国翰は若き頃から詩文に長じ、進士となって官務に勤しむまでは、近親や友人と詩文の交流を楽しんでいたようである。図版の『玉函山房詩鈔』もこうした頃の詩を集めたもので、本版は、生前刊刻されていたのであろうが、没後に重刊されたものである。佚文輯佚の蓄積も一夕になるものではなく、『玉函山房輯佚書』に附された『目耕帖』の解説は、まことに蔵書文化の奥深さを伝えているものである。

『玉函山房詩鈔』清光緒年間重刊本

(たかはし・さとし 慶應義塾大学)

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