香港本屋めぐり 第10回

投稿者: | 2021年7月1日

一拳書館(ヤッキュン シューグン)

 

・ディープな下町エリアの新店

九龍半島南端の商業の中心地・尖沙咀(チムサーチョイ)から地下鉄で5駅。深水埗(サムスイポー)は、年季の入った住宅ビル群の間に、秋葉原のような電気街あり、衣料品を扱う問屋街あり、B級グルメやストリートフードありと、ディープな下町エリアだ。しかし、ここ数年、深水埗には若者が経営するカフェやギャラリーのオープンが相次いでいる。

今回紹介する「一拳書館」は、そんな深水埗に2020年9月にオープンした書店。皮革の問屋や専門店が集まる大南街のビルの3階に入居している。他の独立書店同様、ビル1階入り口には、見落としそうな小さな看板のみ。取材に伺ったのは平日の午後であったが、絶えず客が訪れていた。

 

 

 

一拳書館の店主・龐一鳴さん。「一拳書館で本を見た後は、近くのカフェやギャラリーに行ったりローカルな店をのぞいたり、通りにある小さな店を楽しんで欲しい。そんな文化的な循環ができればいいですね」

 

・他店にない店づくりを

「一拳書館」の英語名は「Book Punch」。“拳”に“Punch”にと武道館のような名前だが、店主の龐一鳴さんによると、日本の漫画「ワンパンマン(中国語名:一拳超人、英語名:ONE PUNCH MAN)に因んだものという。

「ワンパンマンは、生まれながらの超人ではなく、元々は普通の人。3年間毎日体を鍛えた結果、敵をパンチ1発(ワンパン)で倒してしまう最強のヒーローになりました。このワンパンマンになる過程――普通の人が努力をして超人になる――は、人々を鼓舞する力があると思います。強くなりたければ、肉体的にも社会の中においても、ワンパンマンのように自分を鍛えていけばいいと。こうした精神が今の時代に合っていると思い、名付けました。また、他の書店は、『見山』や『序言』など文学的な店名が多いので、重複しないように(笑)

龐さんは学生時代、映画を専攻。しかし卒業後は、社会奉仕の道へ進んだ。その中で「地產霸權」(大手不動産ディベロッパーによる経済支配)に異を唱える社会運動に参加し、「港嘢」(香港産農産物を販売するプロジェクト)にも携わった。「香港で社会運動がより活発になってから、人々が書店に求めるものが以前と変わってきた」と感じた龐さんは、無類の本好きだったこともあり、自分が社会に還元できることとして「一拳書館」を開いた。

「いろんな書店を見て知っているので、他の店がやっていることはやらないことにしました。同じ本を売れば、同業者同士で客の取り合いになってしまうし。なので、他店が取り扱っていない本を置くようにしています。ある意味、書店間の“分業”とも言えるでしょう。そうすることで、読者が本を選ぶ自由や機会を守れればと思っています」

 

上:深水埗大南街/下:一拳書館が入るビル1階入り口。

 

・ユニークな棚作りとサービス

選書の基準には、龐さんのこれまでの経験が大いに生きている。

「長年、社会奉仕の仕事をやってきたので、読む本も社会運動、環境運動、フェミニズム、労働問題といった社会問題関連の本が多いですね。特にブラジルの教育者パウロ・フレイレの本は好んで読んでいます。こういった私自身が好きな本、関心のあるテーマが選書のベースとなりますが、読者に新しい視点を提供するような本、装丁デザインが美しい本なども意識して選ぶようにしています」

「一拳」が入居するテナントは、もともとは皮革の問屋が入っていた。壁面に今も反物を置いていた棚が残る。店の広さはおよそ100平米。書棚や作業スペースのほか、50人程度の上映会が開けるそうだ。「これ以上狭いと使い勝手が良くないですし、逆に広いと家賃が払えません」と龐さんは笑う。

一拳書館の店内。独立書店では珍しく児童書の取り扱いがあり、保護者や子連れの客も多いそう。窓辺の机を使って、服役中の人に手紙を書く講座も行っている。

 

開業当初は本の種類は1000余りだったが、現在は3000種類に。これらの本は、それぞれ黄色いプレートでジャンル分けが施されている。「愛書及衣」「煲底見」「香港有譯」「無用之用」「恩書」など14種類。とてもユニークでテーマ性のある分類方法だ。

「読書を広めたいという思いから、このジャンル分けとなりました。例えば『歴史』と聞くと、興味のない人はつまらなくて眠ってしまう。そこで、歴史書を別のテーマで分け、読者の琴線に触れるよう工夫してみました。

いくつか紹介すると……『愛書及衣』では、装丁が美しい本を集めています。哲学だったり詩集だったり、普段こうした本を読む習慣がない人でも、表紙に惹かれて手を伸ばしてくれればと思って作ったコーナーです。『煲底見』は『立法会ビルの下でまた会おう』という意味。大手書店や公共図書館の書棚で取り扱われないような社会運動関連の本を置いています。

『香港有譯』は、香港人作家の作品で外国語の訳書が出ているものを置いています。香港はさまざまな国籍の人が集まる場所。外国人も読める香港作品があることを伝えるための試みです。『13・67』は英語版の他にインドネシア版も置いており、今年の冬には、香港在住のインドネシア人が集まって、作者の陳浩基氏を招いた読書会を行いました。こういう風に発展していくのは嬉しいですね。

『無用之用』は荘子の哲学から採りました。香港は殊に商業を重視する傾向があり、文化・芸術・文学の価値が軽視されがち。そこで考えたのがこのコーナーです。金を儲けるには役に立たない(=無用)かもしれないが、他の場面では価値がある。『無用』と思われるものを別の視点から見ると、人生を豊かにする要素が詰まっているのではないでしょうか。

『恩書』では、『その本に出会って救われた』『人生が変わった』『人生の節目に再読したい』という本を集めています。ある作家の話なのですが、彼の家には『恩書』を詰めた箱があるそうです。万が一、家が火事になったら、その箱を持ち出せるようにと。その話を聞いて面白いと思い、うちでもやってみることにしました。客に自身の『恩書』について書いてもらい、『一拳』ではその本を仕入れ、本とともに感想を書棚に貼って他の客にシェアしています」

こういった独自のジャンル分けにとどまらず、購入時のサービスも他店に見られない取り組みがある。一定額以上の購入客には、地元産の野菜やエコペーパーなどの生活用品から自分の好きなものを選んでもらい、プレゼントをしているのだ。

「香港の独立書店経営の難しいところは、割引の習慣です(注:香港では本を定価より安く売る書店が多い)。本屋の利益はもともと非常に少ない。そこから割引すると、さらに厳しくなります。この習慣を変えたかった。そこで、割引の代わりに地元産の農産物や製品を贈ることを考えました。これには『港嘢』プロジェクトに関わった経験が生きています。『割引はないが良い物がもらえた』『香港産の野菜だなんて珍しいね(注:香港では9割以上の食品を海外から輸入している)』と思ってもらえれば、割引の習慣も徐々に変わっていくかもしれないし、地元の生産物への関心も高まるのではと期待しています。本は精神的な栄養、野菜は身体的な栄養。精神と身体の両方に益する。こうしたアイデアです」

ジャンル分けの黄色いプレート。龐さんによる解説が、プレートの下の方に添えられている。

 

一定金額以上を購入すると、地元産の野菜をもらえる。この日は中国野菜の菜心。「撐本地農業」とは「地元農業を応援します」の意味。

 

・社会が変化する中で

「一拳」は開業してからもうすぐ1年を迎える。しかしこの1年の間に、新型コロナの感染拡大や国家安全維持法の制定と、香港社会を取り巻く状況は大きく変わった。

「書店に対する思いは、開店当初も今も、大きな方向性は変わりません。書店はますます重要になっている。この店を続けていかなければという使命感を感じています。

この1年の間に『一拳』には新たな役割が生まれました。それは『空間(スペース)』です。近年、さまざまな要因で、多くの活動が行えなくなってきています。しかし『一拳』にはスペースがあるので、映画を上映したり、展示をしたり、社会のテーマについて語り合ったりできる場を提供し、活動を支援しています。

今後、書籍はさらに大きな圧力を受けていくでしょう。図書館に配架されない本があるばかりか、香港での印刷が難しくなっている本があります。売れ行きが良いので重版しようとしても印刷会社が受けつけない。また、内容を修正しなければならないなどの事が起こっています。これは書店だけでどうにかなる問題ではありませんが、何かサポートできないか考える必要があると思っています」

常に書店として、社会に貢献できることを考えて続けている龐さん。今後のことを語る彼の目には、強い意志が宿っていた。

(取材日:2021年5月14日)

 

▼今回訪ねた書店

一拳書館 Book Punch
深水埗大南街169號大南商業大廈3/F
https://www.facebook.com/bookpunch/
https://www.instagram.com/BOOK.PUNCH/

 

▼一拳書館のオススメ

無權勢者的力量The Power of the Powerless 中文版)

作者:哈維爾(Vaclav Havel)
譯者:羅永生
蜂鳥出版有限公司、2021年5月

チェコスロバキアの「ビロード革命」を導いた、劇作家でのちに大統領となったヴァーツラフ・ハヴェルによるエッセイ。全体主義を鋭く突いた名著。「中国語版が絶版となって十数年。香港の読者は英語版を読むしかありませんでした。中国語版が再版されることを知った時、嬉しくて眠れませんでした(龐さん談)」。
※日本では『力なき者たちの力』(人文書院)のタイトルで邦訳が出ている。

 

写真:大久保健・和泉日実子

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和泉日実子(いずみ・ひみこ)
1974年生まれ。筑波大学大学院芸術研究科修了。東京、北京で出版社勤務後、2018年より香港在住。趣味の街歩きを通して、香港の独立書店やロケ地めぐりをしている。ブログ「香港書店めぐり。時々…」

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