香港本屋めぐり 第14回

投稿者: | 2022年3月14日

界限書店(ガーイハーン シューディム)

 

▼限界を打ち破れ

九龍半島に界限街(Boundary Street)という道がある。イギリスが香港島と九龍半島の一部を植民地とした後、その北の「新界」を租借地とした。その境界に設けられた道がこの界限街だ。
中国語の「界限」には、日本語の「境界」の他に「限界」という意味もある。「限界を打ち破れ」という力強いスローガンを掲げた「界限書店」が、この界限街からさほど遠くない旺角で今年の1月26日にオープンした。店主は24歳の女性・Minamiさんとパートナーである。
この連載の前回で紹介した「七份一書店」。この末尾で筆者は、この書店を巣立った人たちが立ち上げる新たな書店も追っていきたい、と書いた。実は、これほど早くその「新たな書店」を取り上げるとは、当初は予想していなかった。

店主のMinamiさん

 

▼「オタク・ビル」の隣で起業

人とすれ違う時、常にぶつからないよう気をつけなければならないほどの賑わいを見せる旺角の彌敦道(ネーザン・ロード)。香港迷の中には「オタク・ビル」として知られる信和中心をご存知のかたも多いのではないだろうか。その隣のビル「彌敦中心」の10階に界限書店がある。取材の日、窓から下を眺めて見ると、コロナ禍のためか、車も人通りもかなり少ない。オミクロン株の陽性者も急激に増えている。このようなビジネス的には厳しい時期に、どのように「起業」を考えたのだろうか。

オフィスビル「彌敦中心」がある彌敦道

 

2021年の12月27日、インスタグラムにこの書店のアカウントが立ち上がり、「1カ月後にオープンします」と告知された。そして今年・2022年1月26日に正式オープン。なぜ「1月26日」を選んだのか。香港ではこの日を「開埠紀念日」と呼ぶ人たちが少なくない。「香港が港として開かれた日」。1841年のこの日、イギリス軍が香港島に上陸した。香港が現代史に登場することになった日である。Minamiさんは「私たちの書店は地元香港に関する本をメインにしたいと考えました。読者には香港の歴史を見つめてほしいと思っていたところ、オープンが1月になったのでこの記念すべき日を開店の日に選んだのです」と。

書店の入り口に掲げられた「打破界限」――限界を打ち破れ

書店の入り口のプレートには「界限街」を中心とした九龍半島の地図が。

 

▼学生時代から出版界に関わる

Minamiさんの子供時代、父親がよく書店に連れていってくれたこともあり、早くから読書が好きだった。
大学では文学部で学んだ。インターンシップをすることが卒業の条件で、選んだのは出版社だった。その後も出版社でアルバイトをし、卒業後は正社員となり、出版界にはトータルで3年ほど関わってきた。
出版というのは一つの流れであり、著者を見つけ、何を書くかを打ち合わせ、編集し、印刷所にまわし、出版となる。Minamiさんはこの一連の流れはそれなりに把握できたな、と思った。しかしそこから先――本が書店に届いてから後のことは分からない。
書店の経営にはどのような課題があるのだろうか? 書店員が抱えている問題は? 新しい本が発売されて書店で平積みとなっても、売れなかった本はその後どうなるのだろうか? このような事情を自分でも知りたいと思った。

 

▼「七份一書店」への参加 そして書店の立ち上げ

ある時、東京には「泊まれる本屋」(宿泊室を出ると壁一面に書架が並び、24時間読書ができる)があると知り、こうした書店を開いてみたいと思った。しかし香港の現実は――わざわざ本を読むために外泊する人はいないだろう。この構想は棚上げ。そのような時に「七份一書店」が「店長」を募集しているという話を聞き、応募した。そして7つある書架のうちの一つ――「跟住」(ガンジュー)の「店主」になった。この「跟住」は広東語で「そして」の意味があり、「まず純文学を読んでみる。『そして』その後、エンタメ小説を読んでみよう」。Minamiさんは「日本で言えば、芥川賞や直木賞の受賞作品を交互に読んでみてはどうでしょうか」という表現で説明してくれた。

「七份一書店」時代のMinamiさんの書架「跟住」

 

こうして会社の休みの日に「七份一書店」の当番の店長を務めていたが、体調を崩したこと、そして出版社でできることは限られていると感じ、会社を辞めた。「七份一書店」に専念する中で、パートナーも書店立ち上げについて同じ構想を持ち、去年の12月に物件を確保して1月の開店に漕ぎ着けた。開業資金はパートナーと折半。Minamiさんはこれまで日本への留学を考え、そのための貯金をしてきた。コロナ禍により留学は一旦断念し、その貯金を開業資金に充てたのだった。

 

▼テーブルと書架に並ぶ本

店内に入ると、50平米ほどの空間が広がっている。まず視界に入るのは中央に並べられたテーブル群だ。多くの本が平積みされている。視線を左右に移動すると、ようやく本屋らしい書架が壁に沿って並んでいる。このワンルームの左隅にレジがあり、その奥には倉庫を兼ねたオフィスが。右の奥にはもう一つ小さめの部屋があり、展示室になっている。中央のテーブルと書架の間は広く空けられている。車椅子でも本を探せるようにという配慮からだ。また今は、コロナ禍で人が多く集まることが制限されているためイベントなどは開催できないが、将来はテーブルを移動して生まれる空間で様々な活動を展開したいと考えている。

書架には手書きの分類カードが貼られている。その分類。例えば

「狗派VS貓派」(イヌ対ネコ)
「生死有命」(死や老いに関する本)
「呢啲書,瞓醒先睇」――ここの本は「目覚めてから」読め。カミュの『反抗的人間』『正義の人々』などが
「書店入面嘅書店」――書店について書かれた本
「本土文学」――香港で生まれた文学

既存の分類方法ではなく、店主が考えるカテゴリーで書架を作っていくのが最近の香港の独立書店の流れなのかもしれない。

Minamiさんが語った「香港の歴史を見つめる」本は、一カ所にまとめられて平積みされていた。この中に彼女の推薦図書『香港簡史』もある(詳細は末尾に)。また奥の展示室には「香港人の集団記憶」――昔のテレフォンカードや映画館のチケット、社会運動で使われたメガフォンなどが並んでいる。客が持ち寄ってくれたものだという。

 

独立した「展示室」

展示室の「香港人の集団的記憶」

 

こうした香港の歴史、市民の記憶は香港人というアイデンティティと強く結びついている。Minamiさんは読者に、母語である広東語、日常食べている料理――歴史書の他にもこうした文化的要素を記録した本を通して、香港人であるということを忘れないでいてほしいと望む。

 

▼日本の読者へのメッセージ

日本への留学を考えたことのあるMinamiさんに、日本人読者へのメッセージを語ってもらった。
「コロナ禍の終息後、多くのかたにまた香港に来てほしいと思います。そしてこの『香港人の書店』にもいらっしゃってください。大歓迎です。私の日本語は流暢というレベルではありませんが、意思の疎通はできると思います(笑)。本を見ていただく他に、香港の文化などについてもお話しできればと思います」

取材に訪れたのは開店してほぼ1カ月の頃。不躾に「開店以来の収支はどうか?」と尋ねると、「実はまだ計算できていなのです(笑)。でも、お客様の数は当初の予想を上回っていますね。『七份一書店』に来てくれていた読者も来てくれています」。

近い将来、この場が新たな交流と触発の場になるよう期待したい。

Minamiさんは毎週木曜の晩、インスタグラムで「深夜閲読」というライブ配信を行なっている。3月の第1週は、香港でも上映され話題となっている映画『ドライブ・マイ・カー』の原作『女のいない男たち』(村上春樹)を取り上げた。

(取材日:2022年2月28日)

 

▼Minamiさんのお薦め

『香港簡史――從殖民地至特別行政區』
著者:John M. Carroll
翻訳者:林立偉
出版社:蜂鳥出版
初版:2021年7月
ISBN:978-988-75053-0-3

香港大学のJohn M Carroll教授が香港の植民地時代から返還後に至る歴史をまとめた著作『A Concise History of Hong Kong』の中国語版『香港簡史』が香港の大手出版社から発行されたのは2013年。ところがそれは、原著の一部が削除されたものだった。その後、2018年に発足した蜂鳥出版が中国語版の版権を買い取り、削除された部分を補い発行した。

▼界限書店SNS
https://www.instagram.com/boundary.bookstore/
https://www.facebook.com/Boundary.bookstore

 

 

写真:大久保健
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大久保健(おおくぼ・たけし) 1959年北海道生まれ。香港中文大学日本学及び日本語教育学修士課程修了、学位取得。 深圳・香港での企業内翻訳業務を経て、フリーランスの翻訳者。 日本語読者に紹介するべき良書はないかと香港の地元書籍に目配。

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