香港本屋めぐり 第36回

投稿者: | 2026年5月12日

飛地書店(フェイデイシューディム)

個人的な話から始めたい。

2025年の9月、東京の文学座アトリエで「野良豚」(いのしし)という舞台劇が上演された。原作者は香港の脚本家、莊梅岩(ジョン・ムイアム)。日本語への翻訳と演出は、日本で活躍する香港出身のインディー・チャン。筆者はこの作品を鑑賞するため、東京に飛んだ。

劇場には日本人だけではなく、香港や日本在住の多くの香港人が集まっていた。この時、台北の「飛地書店」の店主、張潔平と知り合いになる。以前から店名は知っていたが、2025年の台北国際ブックフェアの折は会えなかった。

2026年1月、張潔平に「2月の台北国際ブックフェアに行く」と連絡したところ、飛地書店のブースでのトークの依頼を受け、香港の独立書店事情を話してきた。

飛地書店のFacebookから

 

「香港の」書店在台北

「香港本屋めぐり」の連載でなぜ台北の書店を取り上げるのか? それはここが「香港の」書店だからだ。

西門町の一角に2018年オープンの「電光影裡書店」という書店があった。店主の蒲鋒は香港から来た映画の研究者にして評論家だ。その後、この書店を受け継ぐ形で2020年に開店したのが「意念書店」。店主はやはり香港出身で台湾に移住した香港人だった。

2021年、「意念書店」が営業を終えることになり、それを引き継いだのが上述の張潔平。翌2022年4月、装いも新たに「飛地書店」が同じ場所で誕生した。3代にわたる店主は皆、移民だ。2026年4月、開業4周年を迎えた。

台北の飛地書店

 

張潔平とは何者か

中国の無錫で生まれた張潔平は広州の中山大学を卒業後、香港大学大学院でジャーナリズムを学び、2006年に修士号を取得している。

2月に台北を訪れた折は彼女にインタビューする時間は無かったので、後日、リモートで取材した。最初の質問。なぜ香港の大学院にやって来たのか?

「当時、多くの中国の若者同様、私もアメリカで学びたいと思っていましたが、個人的な理由で断念しました。その頃、友人が香港の大学に行くということになり、私も申請したところパスして香港で学ぶことになりました。ある意味、香港行きは偶然だったのです」。

卒業後、香港の雑誌『亞洲週刊』や『號外』で記者や編集者を務め、2015年にはネットメディア「端傳媒」(デュンチュンムイ。現在、本部はシンガポール)の立ち上げに参画している。

2019年、彼女は香港でこの年に起きた大規模な社会運動を取材・報道している。2020年年末、張は3か月の台湾出張に出た。この年の6月、香港では国家安全維持法が施行され、逮捕された同業者もいた。そうした社会の変化を受け、友人から「香港には戻らないほうがいい」と言われ、以降、彼女は香港の地を踏んでいない。

 

突然の決断

意念書店は香港人経営と知りつつ、張が実際に訪れたのは営業最終週だった。

一度目は友人と本を買いに。二度目に行った時には書架はほぼ空になっていた。店内には多くの香港人がいて、名残惜しさと悲しみを抱えているようだった。

その様子を見て彼女は「ここは無くてはならない場所だ」と強く感じ、店主に家賃を尋ねた。答えは「2万台湾ドル強」。当時のレートで8万円余り、香港ドル換算で5〜6千ドル。彼女は「安い」と驚く。香港でビジネスが成り立つ場所で同じ規模の物件を借りるなら、5〜6万香港ドルはかかるだろう。台北基準では狭いが香港基準では決して狭くなく、西門駅からの立地も抜群。中二階にはトイレもあり、経営が行き詰まっても住めば今のアパートより安いと考えた。

そして店主に書店を引き継ぎたいと申し出て、そこから48時間と経たずに「飛地書店」の立ち上げが決まった。

飛地書店の店内

 

書店の立ち上げ

新たな書店を開店となれば、内装や新たに多くの本を仕入れなければならない。その資金はどうしたのだろうか。

「約100万台湾ドル(当時約400万円)が必要と見積もり、友人たちに出資を募りました。『いま本屋を開くなんて、頭がどうにかしている』と言われつつも8人の友人が応援してくれました。半分を友人から、残りを自己資金で賄いました。友人たちは株主になったわけですが、私は『出資金は回収できないかも、という心の準備をお願いね』と話しました」

こうして2022年4月、西門駅から徒歩3分とかからない場所で、飛地書店はスタートした。

飛地書店の書架

 

張潔平と本屋 そして香港

子供の頃から読書も本屋に行くのも大好きだった。書店に入れば手ぶらで出てくることはなく、必ず何か買う習慣があった。

しかし、将来本屋を開きたいという夢を持ったことはない。特に香港に住むようになってからは尚更だ。何しろ家賃が高すぎる。

張は香港パスポートを持って台湾にやって来た。当時、台湾政府は香港人に対して比較的寛容で、書店開業の各種手続きは、杓子定規的な煩雑さはあったが、中国大陸出身だから、香港から来たから、という意味での面倒なことはほぼなかった。

中国語の「飛地」は日本語の飛地とほぼ同じ意味。この2文字とこの書店、そして香港はどのような関係にあるのだろうか。

「私は自分のアイデンティティを『これだ』と決めつけたくないのです。中国人でもあり香港人でもあり台湾人でもある。あえて言えば『移民』となるでしょう。大陸から香港に来て16年、そして香港から台湾へ。

一方、飛地書店は香港のDNAを受け継ぐ書店です。私が香港を形容するなら、ダイバーシティー、カオス。そして、決して排外的ではない。香港の人々は、どこの出身かより『今、何をしているか』に注目します。これらは私にとってとても重要でした。香港にいた時は、こうしたことにあまり思い至らなかったのですが、香港を離れてそうした特色に気付きました。世界にこのような都市は極めて少ないのではないでしょうか。書店をそうした『香港精神』の『飛地』にしたかったのです」

「香港のエネルギー源の一つは『移民』であり、移民もまた香港から力を得る。私もその1人でした」

「話題の書籍」

西門町という場所 そこにある書店

西門町は張にとってどのような場所なのだろう。

「香港でいえば旺角のような場所。カオスでサブカルでアンダーグラウンドで、若者が映画や流行を探りに来る。香港時代、旺角はよく訪れていたので親近感があります。新規開業なら台湾大学近辺や中山区を選ぶでしょうが、『とても香港』な西門町で良かったと思っています」

開店当初から今まで、どのような傾向の書籍を扱っていたのか。

「3分の1は香港や台湾で出版された香港に関する本です。その他は、出版地を問わず、移民や家族・コミュニティーの離散をテーマにした中国語書籍(ノンフィクションも多い)。中国で移民・離散といえば、1949年や1989年のあとの数年が多かったと思いますが、場所によって空白になっている時代の回顧録や移民文学も、台湾では出版可能。中国大陸や東南アジアの中国語書籍も並べています。
同様のテーマで原作が中国語以外のものとしては、東欧・イラン・イスラエルなどに関する中国語翻訳本もあります。
総じて、ローカル(台湾・西門町・万華)とグローバルを結ぶ書店にしたいと思っています。香港に対してのみの関心ではなく、グローバルな移民の流れの中で関心を寄せていきたい……販売書籍の選択としては、今もこうした傾向が続いています」

「飛地書店の英語名は『Nowhere』としました。あなたが帰る場所を失った時―no where、ここで安らげばよい―now here、という意味を込めて。離散の時代にコミュニティーを再建する。また仲間に会える。そんなスペースにしたいのです」

“nowhere”と“now・here”

 

香港の書店との交流

香港の精神を継承する書店。香港の独立書店との交流はあるのだろうか。

「最初は見山書店で、同店の出版物を輸入・販売していました。見山は書店を閉じてしまいましたが出版は続けていますね。現在は留下書舍序言書室獵人書店と交流中。特に留下は経営者が元メディア関係者なので、絆は深いです」

 

飛地書店のイベント

イベント開催頻度について張は「週2〜3回、月8〜10回、年間100回ほど」と語る。

「開店時に考えたテーマは『台湾と香港の対話』。映画・文学・音楽・社会・政治など、様々な分野で同等の影響力を持つ香港人と台湾人を1対1で招き、『香港にはこんなに素晴らしい人がいる』と台湾人に知ってほしかったのです」

ゲスト選びでは「自分が今も記者なら誰にインタビューしたいか」を基準にした。

「ゲストが2人とも作家であれば、それぞれの読者である香港人と台湾人がイベントで出会い、何かが生まれることを期待もしました。そして実際に、香港人と台湾人の参加比率はほぼ1対1になっています」

 

書店経営とブックフェアへの出展

開店して4年。現実問題として収支はどうなっているのか尋ねてみた。

「1年目は赤字。2年目は8万台湾ドルの黒字(笑)、3年目はトントン。
4年目はかなり厳しいです。これは飛地に限らず、台湾全体の書店業界に言えること。ネット販売が普及していることもありますが、それ以上に、本を読む人が少なくなっているのです。その代わりに何をしているのかと言えば、ネットの動画視聴。そしてAI。わざわざ本を読まなくても、AIがなんでも疑問に答えてくれるという雰囲気があり、AIが最大の脅威だと感じています。飛地に特有の問題としては、香港に対する関心が台湾で薄れてきているということもありますね」

「2025年、台北国際ブックフェアをくまなく見て周りました。そこで世界中の中国語出版者と知り合い、2026年は飛地として出展。自社出版は5〜6冊と少ないので、売上よりもコンセプトを重視。
東京で簡体字による中国語書籍を出版している読道社の張適之氏にも話してもらいました」

 

増殖する飛地

飛地書店は台北に留まらず、他の国にも存在する。筆者は2025年9月、東京の飛地書店を訪れたことがある。

「世界各地の飛地書店はフランチャイズというわけではなく、それぞれ独立した企業(書店)であり、経営者は現地の華人の「移民」です。現在、オランダ、日本(東京。2025年4月開業)、ニュージーランド(2026年4月開業)にあり、イギリスでも準備中。タイのチェンマイにも飛地がありましたが、現在は休業中です。

台北の飛地が小規模出資するケースもあるが、オランダは非営利基金会が運営しており、私たちと資金関係はありません。

それぞれの運営者は『移民』です。台北の飛地の理念に共鳴してくれて、『飛地』を冠した書店を開きたいと連絡をくれました。私は『〈飛地〉と名乗る必要はありませんよ』とも言いましたが、新たな書店をゼロからブランディングするよりも、『飛地』としてスタートすれば1から2へ、さらに2から3へと発展できる可能性もあるでしょう。

私の記者時代の文章を読んでくれて、なにがしかの信頼を寄せてくれたということもあるようです」

張潔平氏と飛地書店出版の書籍

 

中国語系移民が世界各地で華文の本を広げていく。ロマンに満ちた物語ではあるが、「本が読まれない時代」に、前途は順風満帆ではない。と同時に、そうした移民たち自身も今後、それぞれの地でどのような課題に直面するのか、それも予測はできない。ある種の世界同時多発的冒険かもしれない。

そして、ふと我が身を省みてみると、筆者自身も日本から香港への移民であった。

写真:2026年2月
取材:2026年4月

 

飛地書店
住所:台北市萬華區中華路一段170-2號
営業時間:13:00-21:00(定休日:月曜)

オフィシャル・サイト
https://nowherebookstore.io/

Facebook
https://www.facebook.com/nowherebookstore

インスタグラム

台北店
https://www.instagram.com/nowherebookstore/

オランダ店
https://www.instagram.com/nowhere.netherlands/

東京店
https://www.instagram.com/nowhere__tokyo/

ニュージーランド店
https://www.instagram.com/nowhere.aotearoanz/

イギリス店
https://www.instagram.com/nowhereunitedkingdom/

 

張潔平さんお勧めの本
張さんが上の写真で手にしている2冊は、飛地書店が出版した『最後一課』。向かって右がその1。左がその2。

『最後一課:在時代盡頭,留給未來的重逢之書』
著者:陳健民、陳祖為、邢福增、張燦輝
初版:2024年9月
ISBN:9786269836260

『最後一課II:在斷裂時刻,回望此身的記憶之書』
著者:羅永生、樊善標、許偉恒、Gordon Mathews
初版:2025年12月
ISBN:9786269943937

それぞれ、4人の香港の大学教授が退任するに当たっての最後の講義で語ったこと、あるいはキャンパスへの告別の文章をまとめた本。

著者の1人、陳健民について。
2014年の「雨傘運動」として知られる社会運動に関し、陳はその発起人の1人とされ、2018年11月19日に裁判が始まった。その5日前、陳は香港中文大学で最後の講義を行い、600人以上が受講した。香港中文大学社会学部で長年教鞭を執り、市民運動にも深く関わってきた陳の講義は、入獄を覚悟した別れの挨拶でもあった。自らの行き方を通して、学生たちに伝えたかったことは……。翌年、陳は懲役16か月の判決を受けて服役。現在は台湾中央研究院社会学研究所客員研究員。

 

写真:大久保健
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大久保健(おおくぼ・たけし) 1959年北海道生まれ。香港中文大学日本学及び日本語教育学修士課程修了、学位取得。 深圳・香港での企業内翻訳業務を経て、フリーランスの翻訳者。 日本語読者に紹介するべき良書はないかと香港の地元書籍に目配。訳書に『時代の行動者たち 香港デモ2019』(白水社、共訳)。

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