香港本屋めぐり 第17回

投稿者: | 2022年9月6日

留下書舍(ラウハーシューセー)

 

前回(連載第16回)紹介の獵人書店が2022年5月に正式開業のイベントを開催した時、店主が2人の男性を紹介してくれた。クリスさんと岑さんだ。「近々、ここからさほど遠くないところに新たな書店を開くのでよろしく」と2人は言った。

これまで取材した書店や出版社は女性経営者が多かったので、珍しいことだと感じた。

 

▼失業したメディア人が開いた書店

彼らの書店の開業が近づいてくると、香港のメディアに先行取材記事が現れるようになる。
「所属していたメディアが閉鎖に追い込まれ、失業した5人の男性が共同で立ち上げる書店」
それが今回取材した留下書舎だ。
独立書店が多い旺角(モンコック)の1駅北側--太子駅からほど近い「唐樓」(エレベーターのない古いビル)の4階にある。広さは60平米ほど。

留下書舎のある旺角西洋菜街南

留下書舎のある旺角西洋菜街南

取材に応じてくれたのは、普段店にいることの多いクリスさん。以前はネットメディアで記者を務めていた。

クリスさん

5人の「失業した」共同経営者は、記者やカメラマン、編集者など。メディア界には現時点で、彼らが伝えたいことを伝えられる再就職先は皆無に等しく、一方で、他の業界でサラリーマンになることは潔しとしなかった。当初、カフェの経営を考えたという。しかし、レストラン経営の経験もある5人のうちの1人が反対した。開業資金がかなりかかるし、果たしてそれが僕たちのやりたいことなのか? 議論の結果、書店を開くことにした。しかし誰にも書店経営の経験はない。

 

▼開業して数年の書店がアドバイザーに

クリスさんが勤務していたメディアは觀塘(グントン)にあった。そこで同地域にある書店「夕拾x閒社」の店主・シャロンさんにまず相談。「觀塘で書店を開こうと考えているので、色々と教えてください」。シャロンさんは親身になってアドバイスしてくれたという。

後日談だが、2人が打ち解けるようになってから、シャロンさんはクリスさんに言った。「あの時は『私のシマに書店を出す? 競争相手になるのに教えてくださいですって? 図々しい人ね』と思ったわ」

 

▼書店のロケーション選択と店名

しかしその後、香港の各地から書店を訪れてもらうという意味では、觀塘は便利とはいえないと考え、公共交通機関のハブ的ロケーションの太子駅界隈を選んだ。

店名の「留下書舎」にはメディア人の矜持が現れている。「留下」--残す・記録する。「書舎」。これは本屋の意味だが広東語では「書写」と同音。「記録を書き記し、残していく」という意味が込められている。
一方、香港では現在移民ブームが起きている。そこで「留下」を「移民せずに香港に残ること」と解釈する人も現れた。
クリスさんは言う。「店名と移民との関係は全く意識していなかったのですが、言われてみると確かにそのような意味に取ることもできますね。その読み方も一理あると思い、店の英語名は『Have A Nice Stay』としました」。

 

▼手作りの店内設備

予算の関係で、店舗の内装はできる限り自分たちで進めた。といっても皆素人だ。電気・水道など専門的技術を要するところは、内装工事会社を経営する中学・高校時代のクリスさんのクラスメートが「友人価格」で請け負ってくれた。本棚は板を買ってきて寸法を測り鋸で切る。ワックスを塗り、自分達で組み立てる。想像したほど簡単な作業ではなかった。

店舗中央のテーブルには、推薦本が平積みされている。
2019年11月、香港では区議会議員選挙が行われ、民主派が圧勝した。2020年になると、区議会議員にも「政府に忠誠を尽くすという宣誓」を課すことになり、それを拒否した議員には報酬返還を求めるという「噂」が流れ、多くの民主派議員が辞職した。このテーブルは、そのうちの1人が議員事務所で使っていたものを譲り受けたのだった。

窓辺の机は、廃業したネットメディアの記者の作業デスクだった。黒板は運営停止に追い込まれたネットメディアの中国取材チームが使っていたもの。また、エレベーターがない4階への重量物の運び上げは、昔のメディア仲間が手伝ってくれたという。開店時の古本第一弾200冊は、交流のあった団体が寄贈してくれたものだ。
「多くの人たちのこのような協力がなければ、開店には漕ぎ着けられなかったでしょう」とクリスさん。

 

▼イベントの盛況

経営者たちの前職の関係から、「報道」「メディア」をテーマとする書籍が主力となっている。店内の、そのような本の半数以上は台湾で出版されたものだ。「この種の本は、香港での出版が少なくなっています。一方、台湾からの輸入には今のところ特に問題はないので、多くの人たちに読んでもらえればと思います」とクリスさん。
店舗中央のテーブルを脇に移動すれば広めのスペースが現れる。今、このスペースを活用し、ほぼ毎週のようにジャーナリストや新刊書の著者を招いてのトークショーが開かれている。開催の告知をすると、すぐに定員一杯に達することも少なくない。
SNSで個人的な意見を述べることも控えがちとなっている今、ここ留下書舎も含め、書店でのイベントで登壇者と参加者が交流し、時に議論を戦わせることは、社会全体にとっても貴重な機会ではないだろうか。

 

▼書店の未来

クリスさんに最後の質問をした。香港のメディアが再び多くのスタッフを求め、また活発な報道が展開されるようになったなら、再び記者として活躍したいだろうか。
「その質問は楽観的過ぎます。今後かなりの期間、そのようなことにはならないでしょう。でも僕は今、書店経営の他にフリーランスで取材を行い記事を書いています。ジャーナリストであることは諦められません」
書店ファンとしては、留下書舎が長く続くことを希望するが、その一方でこの書店が発展的に解消することも願いたいと思う私がいる。

店内には1997年香港返還当時の新聞などが展示されている。メディア界の先輩が貸してくれたものだ。当時の状況を地元メディアがどう伝えていたのか。これも「歴史を残す」一環。

取材日:2022年8月25日

 

 

▼クリスさんのお勧め

1.『報導者事件簿001:留學黑工』
編集:報導者(台湾)
出版社:蓋亞文化有限公司(台湾)
初版:2022年5月
ISBN:9789863196570

 

 

「報導者」は台湾初の非営利ネットメディア。基金が募る寄付で運営されているが、政党・政治家からの寄付は受け付けず、報道の自主独立性を保っているとしている。
この「事件簿」は、台湾政府が各大学に留学生受け入れノルマ達成を助成金支給の条件としている中、特にアフリカからの留学生が不法労働者となり搾取されている状況を取材したルポルタージュ。

 

2.『中國陌路:來自中國境內最後以為澳洲通訊記者的內幕報導』
(The Last Correspondent: Dispatches from the frontline of Xi’s new China)
著者:マイケル・スミス
翻訳者:顔涵鋭(中国語)
出版社:堡壘文化有限公司(台湾)
初版:2022年5月
ISBN:9786267092286

 

 

著者のマイケル・スミス氏は『オーストラリアン・ファイナンシャル・レビュー』(AFR)の「最後の上海特派員」。2020年9月、中国の公安が彼の住居を急襲し、取り調べのため中国出国を禁ずると告げ、尋問を行った。オーストラリア政府の激しい交渉の結果、「中国最後のオーストラリア人特派員」として出国。その経緯も含めて記した著書。

 

▼留下書舎

住所:九龍 西洋菜南街 228 號 唐四樓
Instagram
https://www.instagram.com/hans.bookstorehk/
Facebook
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Google Map 香港本屋めぐりMAP

 

写真:大久保健

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大久保健(おおくぼ・たけし) 1959年北海道生まれ。香港中文大学日本学及び日本語教育学修士課程修了、学位取得。 深圳・香港での企業内翻訳業務を経て、フリーランスの翻訳者。 日本語読者に紹介するべき良書はないかと香港の地元書籍に目配。

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