
「給我三千城管兵,一定收回釣魚島,給我五百貪腐官,保証吃垮小日本」(写真1) |
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私事ではあるが、本コラムの内容をベースに中国社会とネットの問題を考察した「『網民』の反乱」をこのほど勉誠出版から出版することがでた。長年にわたり本コラムを掲載していただいた東方書店、ならびにご感想をいただいた友人、知人の皆さんにお礼を申し上げたい。「本を書くのは恥をかくこと」と言う言葉を聞いたことがある。至らぬ点は多々あると思うが、ぜひご一読いただき、ご意見、ご批判をたまわりたい。
本書を書き上げて、中国のネット事象については、基本的には一通りの考察を終えたのではないかと考えているが、今後どのような形で中国のネット(と社会)への観察を続けるか、近く中国に行くので、そのあたりを今後のテーマを考えるきっかけにしたい。
さて、尖閣列島(中国名:釣魚島)国有化問題をきっかけにした日中関係の緊張状態はいまだに続いているが、中国全土に広がった反日の動きの中にも、前回報告したように、必ずしも日本批判一辺倒ではない、冷静な議論が生まれていることが日本のメディア報道によっても伝えられている。「中日関係を理性的なものに戻せ」と訴えた知識人の呼びかけがネットで広がった(10月9日朝日新聞)事例などだ。
注目すべきは、「釣魚島を取り戻せ!」「日本製品ボイコット!」など、各地のデモで出現したさまざまなスローガンも、実は日本を批判しているように見えて、実際には中国の内政に対する風刺が込められていたことだ。
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中国のことわざに「指桑罵槐」というものがある。「桑の木を指しながら、全く似ても似つかない槐(えんじゅ)の木を罵る」つまり、本当の怒りの対象とは全く違う相手を攻撃する、という意味だ。
「盤点:釣魚島事件中那些雷人的標語」(検証:釣魚島事件で現れた“雷人”の標語)という記事によれば、まさにこの「指桑罵槐」を反日のスローガンに載せてやっているのである。ちなみに「雷(人)」とは「(人を)驚愕させる」という意味の口語だ。(『現代漢語詞典』第6版より)
この記事にはいつくかの興味深い写真が掲載されているが、米国のサイ、阿波羅網の「変調反日示威:晒晒那些“高級黒”的標語們」という記事では、この意味を以下のように詳しく紹介している。
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デモ隊の中で、現下の時事(問題)と結びつき、平時であれば弾圧されてしまうだろう異種の標語やスローガンが出現、網民から“高級黒”と呼ばれている。その中には台湾ブランド「康師傅」ボイコットを呼びかけるものもあり、これは共産党中央政法委員会の書記、周永康が人々から「康師傅」の別名で呼ばれているからで、康師傅はその後敏感詞(ネット使用禁止語句)になった。民衆は、これは周永康を風刺していると解読したのだ(注:周永康は失脚した薄煕来・前重慶市書記と親密な関係にあったとされる)このほかにも中国のさまざまな社会問題(への風刺や批判)が今回の反日デモの標語の中に登場した。
例えば温州の街頭で現れた「給我三千城管兵,一定收回釣魚島,給我五百貪腐官,保証吃垮小日本」(3000の城管部隊を与えてくれれば釣魚島は必ず取り戻す、5000の腐敗官僚を与えてくれれば、小日本を食いつぶす)というようなものだ。(写真1)
さらには「哪怕養老没人管,也要占領富士山」(たとえ年老いて誰も面倒を見てくれなくても、富士山を占領しなければならない)というものもある。地溝油(下水や廃油から作った劣悪な食用油)、毒奶粉(メラミン入りで毒性のある粉ミルク)、瘦肉精(豚肉などに混入した有毒の化学物質)、毒膠囊(工業用ゼラチンを使った毒性のあるカプセル)などもその標語に書き込まれた。
山東省の人権擁護派弁護士、劉衛国は、微博の力はやはり非常に大きいと感じた、これは民間の力を示しており、政府が世論を独占できる時代は過去のものとなった、とラジオ自由アジアの取材に語っている。
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このニュースには、デモで出現したさまざまなスローガンが写真入りで紹介されている。
「SHIMANOボイコット」と書いた下には「中国のエンジニアよ、自転車の変速機を開発して下さい」とある。(写真2)
「給我三千城管兵」は城管(本コラム(15) 「高鉄体」 でも紹介した、悪名高き都市の治安管理部隊)の横暴さや、日本を食いつぶせるほどの中国官僚の腐敗ぶりを風刺している。
老人がスローガンを書いた黒板の横で腰掛けている写真もある。黒板には白いチョークで次のような文句が書かれている。(写真3)
「没医保 没社保 心中要有釣魚島」(医療保険も社会保険もない でも心には釣魚島)
「就算政府不養老 也要収復釣魚島」(たとえ政府が老人を養わなくても 釣魚島を取り戻す)
「没物権 没人権 釣魚島上争主権」(財産権も人権もない だが釣魚島では主権を争う)
「買不起房 修不起墳 寸土不譲日本人」(家も買えず 墓も直せない でも寸土も日本人に譲らない)
この中国語独特の語呂あわせの良さと、黒板に書かれた達筆な文字、そして怒りを押さえ込んでいるかのように座る老人の写真は非常に印象的で、中国国内の多くのサイトが転載した。
「哪怕~」シリーズは「哪怕体」(本コラム(15) 「高鉄体」 参照)とも呼ばれており、先ほど挙げた例の他にも「哪怕天天被代表,也要収復釣魚島」(たとえ毎日代表されても、釣魚島を取り戻さねばならない)などがある。「被代表」は本コラム(19)「被代表」を参照してほしい。(写真4)
いわば、たとえ日々の暮らしの中で、毒入り食品のリスクにさらされ、自らの意見を代表する権利もなく、老後の保証もない、そのような劣悪な生活環境であっても、釣魚島の主権を守らねばならない、ということだが、このスローガンは明らかに前者に主張の重点がある。
さて、この記事で出てきた「高級黒」とは何だろうか。中国のネットを見ていると、しばしば出てくる言葉だ。このうち「黒」を現代漢語詞典(第6版)で引くと「暗中坑害、欺騙或攻撃」(密かに陥れ、騙し、攻撃する)の意味が出ている。では「高級」がつくとどういう意味を持つのか。「百度知道」(中国の検索サイト、百度で読者の質問に答えるコーナー)にその答えが出ている。
「簡単に言えば、表面上は賞賛しているように見えて、実際には風刺していること」「『低級黒』は直接誰々が良くないと言うが、『高級黒』とは婉曲にあなたを『黒』する」
つまり、表面的には「釣魚島を取り戻せ」と言いつつ、実際には遠まわしに中国社会のさまざまな問題を批判しているのである。
さらに、「高級黒」について、比較的分かりやすく論じたブログを見つけたので、主な部分を紹介したい。題名は「正話反説之最――高級黒」、つまり「言いたいことを反対から言う、この最たるものが高級黒だ」ということだ。
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同じ言葉でも異なる人には異なる意味になる。「あなたは美しい」というのは西施(中国の伝説的美女)には賛美になるが、東施(不美人)には皮肉になる。同じ言葉が異なる意味を持つ。この違いは外国人には理解不能だろう。
では賛美と風刺をどのように区別しているのだろうか?それは語気である。だが語気のない空間がある、それはネットだ。
「黒」とは反対の声であり、私があなたを「黒」するとはあなたに反対する(立場からの)指摘であり批判だ。だが多くの「黒客」(ハッカー)の間から、含蓄に富んだ達人が現れた、これが「高級黒」である。高級黒の出現はネット文化のレベルをさらに1段高く引き上げた。
例えば今回ロンドン五輪で指摘された「(中国の水泳選手)葉詩文のドーピング疑惑」では、まず低レベルの「黒」で構成される先鋒集団がロンドン五輪委員会を「偏見がある」などと攻撃した。その後「高級黒」が登場し、「もし興奮剤を使って葉詩文が記録を破ったのなら、なぜ我々は(不振続きの)サッカーチームにこれを与えないのか」と書き込んだ。これには批評も誹謗の言葉はない、だがこの鋭い刃先はロンドン五輪委員会の(中国選手への)深刻な蔑視へと向けられたのだ。この巧妙な手の内を見ぬいた人はこれを転載し、あっという間に広がった。
「高級黒」は中国的特色に富んでいると言ってよい。古代にも忠良な臣下が類推や比喩により、婉曲に国王を諌めるという方法があった。こうすることで王に進言しながらも、王のメンツをつぶすことなく、王から拒絶されるのを避ける事ができた。極めて知恵のある人がこのような言辞を用いることができるのである。これが現在へと伝承され、網民は自然と賢臣聖人ぶりを堪能し、「高級黒」により世の中を論じ、自らの文化的レベルを体現しようとするのだ。これは修養なき無闇矢鱈な罵りよりもはるかによいものだ。
だが「高級黒」は危険である。あまりに高級であり、含意がありすぎて、大部分の人がその中の黒を見抜けず、多くの人に罵られるからだ。
ロンドン五輪で劉翔が転倒したことへ「劉翔はうまく転倒した。ある人々の品性を明らかにした(原文は『劉翔摔得好,摔出了某些人的品質』)」と述べた。これに対し愛国主義者らは、このようなことを言うのは中国人ではない、劉翔は負けたが名誉は失っていないと言うべきだ、と批判した。
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今回のことば
雷(人):「(人を)驚愕させる」という意味の口語
康師傅:中国で人気のカップ麺のブランドだが、周永康・共産党中央政法委員会書記の隠語でもある。
哪怕体:「哪怕(たとえ~でも)で始まる、釣魚島(尖閣列島)の主権を主張するスローガンだが、実は政府批判の意味が込められている」
高級黒:ネット流行語。相手に対する批判を、遠まわしかつ婉曲な言い方で表現すること。
指桑罵槐:桑の木を指しながら、全く似ても似つかない槐(えんじゅ)の木を罵る、本当の怒りの対象とは全く違う相手を攻撃するという意味のことわざ。

「SHIMANOボイコット」(写真2)

老人がスローガンを書いた黒板の横で腰掛けている(写真3)

「哪怕天天被代表,也要収復釣魚島」(写真4)
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だがこれは実際には劉翔を「黒」したのではなく、その意味するところは劉翔が転倒したのに彼を助けなかった五輪ボランティアを風刺したものだ。真相が分かると、罵った人も次々と謝罪するなど、笑うに笑えず、泣くに泣けないという有り様だった。これはネットに「語気」がないことからくる誤解である。
「高級黒」が徐々に普及してきたのは中国人の文化レベルが高まったことを証明する。個人の修養とネットのおしゃべりがある高みに達したのだ。「高級黒」は一種の品性であり、一石二鳥、一語双関(一つの言葉に2つの意味がある)などという言葉に置き換えられるものではない。現代中国文化の結晶、宝と言うべきものである。
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こうして見ると、「高級黒」というのは、中国の特殊な政治、社会の環境が生んだ、含蓄を持った風刺だということが分かる。ストレートな物言いは政府によって弾圧されやすい。だが一見日本批判をしているようで、実は中国政府批判というのは、政治的リスクを避け、自らの文才を誇るうまいやり方だ。以前本欄でも紹介した「悪搞」(パロディ)でもこのような例をしばしば見ることができる。
我々がニュース映像などで目にした粗暴なデモや破壊行為と、彼らが一方で掲げたこうした巧みな政府批判、社会批判との関係をどう理解したらいいのか、近く中国を訪問する際にネット、メディア関係者と話し合ってみたい。
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「網民」の反乱 ネットは中国を変えるか?
古畑康雄 |