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ネット用語から読み解く中国
 
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ネット用語から読み解く中国   (19)「被代表」
   
     
 

 前回は韓寒の3本のコラムから、公共知識人のあり方を考えるという、かなり肩に力の入った内容となり、字数も引用が多いとは言え7000字を超える長文になってしまった(本当はもっと書き込みたかった)。ただ、うれしいことに中国知識人研究が専門の友人、Oさんから以下のようなご感想をいただいた。
  「インターネットの言論空間を、折々のトピックや人物から迫っていく(筆者の)手法は、中国社会をとらえる上で、いつも、多くのことを教えて頂いていますが、今回は、特に、自分がもっとも関心のある『公共知識人』に関する議論なので、色々と考えるきっかけになり、自分自身の課題にも、非常に参考にさせて頂いています。(中略)個人的には、コラムの最後の一文が、とても好きです。中国社会に対する厳しくもあたたかいまなざしが、伝わってくるように思っています」
  Oさんのような専門家に拙文を読んでいただき、過分のご評価をいただくのは、今後の励みになる。


  さて、今回まず紹介したいのは、著名なジャーナリストで友人でもある長平氏のことだ。友人などと書くと、何を偉そうな、と思われる人もいるだろうが、2年前に北京でお会いし、2010年1月に東京と札幌で開かれたシンポジウムに参加いただき、さらに筆者が所属するメディアでインタビューをさせてもらったのがきっかけで、その後もツイッター、フェースブックでお付き合いしている。
  長平氏に関し、読売新聞が最近出した「中国活動家次々出国」という記事の中で「改革派新聞社の名記者だった長平氏はドイツに渡り」とあるのが目に止まった。

 
   
     

 2011年1月、南方週末、南方都市報のベテラン記者、編集者だった長平(本名は張平)氏はジャスミン革命などが引き金となったメディアへの締め付け強化で、両紙を発行する南方報業集団を追われ、広州から香港に移住した。
  ラジオ自由アジア報道(2011年12月7日)によると、会社側は長平氏に「筆を折って沈黙するか、これまでの立場を変えるか」どちらかの選択を迫ったという。報道によれば、長平氏の解雇には共産党中央宣伝部のトップクラスの人物が圧力をかけたとの見方も出ている。その後、長平氏は香港のテレビ局が発行する電子雑誌「陽光時務」の編集長に就任したが、香港政府は長平氏にビザを発給しなかった。引き続き中国当局からの圧力を受けたとみられ、「国境なき記者団」は香港当局に抗議のメールを送っている。さらに、長平氏が開設した微博(短文書きこみサイト)は一方的に削除されるなど、様々な嫌がらせの中、やむを得ずドイツ行きを選んだようだ。
  北京で初めて会った時、「自分は新聞社で長年働いてきたので、どこまで書けば当局の規制に引っかかるか、その『尺度』はわきまえているつもりだ」と述べていた長平氏だったが、当局側の度を超えた規制強化の動きに、彼のような人物すら壁の外に追いやられてしまったのは、残念でならない。
  さっそく、この記事を紹介するメールを長平氏にも送った。するとお礼と共に最近次のようなインタビューを受けたとご返事をいただいた。
“Is Democracy Chinese? An Interview with Journalist Chang Ping”
 インタビューは前述した経緯のほか、彼の生い立ち、学生時代、天安門事件の時の状況などについて触れた後、今回の韓寒の文章でも問題になった中国と民主の問題について次のように答えている。
  「中国には民主が必要だと考えており、中国は変革が必要だ。私は中国には民主主義が育たないという議論に本当に反対だ。中国は特殊で、中国人の素養(中国語では「素质」)は不十分なので、時間がかかるといった愚かな議論だ。民主主義は中国文化の中には存在しなかったという人もいたが、(中国文化圏の)台湾は民主化したではないか。すると彼らは台湾は特殊だという。だが烏坎(注:広東省陸豊市烏坎村)はどうか、彼らは自ら選挙を行ったではないか。烏坎は典型的な中国であり、烏坎が民主を実践できるのなら、中国の他の部分も同様(に可能)なのだ」
  質問者の「韓寒のコラムについてどう思うか?」との問いにはこう答えている。
  「韓寒は、中国の人々は素養が低く、もし民主を導入すれば暴力につながるから問題だと論じている。これは(中国)政府が長年宣伝してきた見方だ。まるで『あなたは泳げるようになるまで、泳ぎの練習をしてはいけない』と言っているようなもので、練習できないのだから泳げるわけがない。そして、提起した議論は真新しいものでもなかった」
  「だが彼がこの問題を提起したのは興味深いことだ。このことは中国ではいかに政治的システムが制限されているかということを示したのだ。今我々が目にしているのは、多くの人々が、変革が起きることへの望みを失っていることであり、そして彼らはなぜそれが起きないのかの言い訳をしている。モラルの衰退が反対者らに対する暴力へとつながっているが、それは革命を手に入れられないからだ」と述べている。
  正直、前回自分の書いた韓寒への見方と長平氏のそれとにあまり違いがないと知ってほっとした。
 さて、長平氏がシンポジウムで述べたのは「被代表」という当時は耳慣れない言葉をめぐる議論だった。これは2009年末に広州市番禺区で起きたゴミ焼却場建設をめぐる問題だ。シンポジウムの発表によれば次のような経過だった。
  09年11月、1000人以上の広州市民が同市庁舎前に集合、抗議活動を展開、これは1989年以来広州で発生した最大規模の抗議活動だった。この運動の原因は、番禺区に建設が計画されたゴミ焼却発電所への反対だった。政府は5年もの間、密かに建設計画を進め、住民は全く知らされていなかった。環境アセスメントなどの法的プロセスを経ずに、地元政府は建設を発表した。
  番禺事件で大多数の住民がプロジェクトに反対していた時、地元紙「番禺日報」は1面に、番禺区の人民代表大会代表70数人が計画用地を視察後、「ごみ焼却発電所は民心工程(国民生活向上のためのプロジェクト)であり、政府がこの民心工程建設を加速することを大いに支持する」と述べたとの記事を掲載した。
  このように、住民の民意に反して、勝手に一部の人間に「賛成」だと民意を代表されてしまう、これが「被代表」の意味だ。
  抗議活動で住民は「不被代表」というスローガンを掲げた。自分の意思は誰にも代表されることはない、という表明だ。「このスローガンは公民個人の権利意識の自覚を意味する。『不被代表』によって初めて政府の役人は真の民意を知ることができるし、真の代表が生まれるのだ」長平氏はこのように述べている。
  住民の抗議に対して、市側は態度を軟化、09年12月、番禺区の党委員会書記は住民に対し建設中止を発表した。広州市政府はさらに、今後住民の利益と密接に関わる重大な政策は、幅広く民意を聞き、十分な調査をすることを決めた規定を発表した。
  だが中国国内の報道を見ていると、被代表は枚挙にいとまがない。例えばハルビン市で09年12月、水道料金値上げに関する公聴会で、市民代表の劉天暁という男性がペットボトルの瓶を投げつけるという事件があった。
  出席した13人の市民代表のうち、下崗(レイオフ)された労働者として出席したのは、実は退職した同市の幹部だった上、唯一値上げに反対した劉天暁氏は発言の機会が与えられなかったことから、ペットボトルを投げつけて抗議したのだ。こうした偽代表を使って民意を偽り、一方的に政府の決定をごり押しする手法は番禺のケースと共通する。この事件は「瓶子門」(「~門」は「~事件」の意味で、米国のウォーターゲートから来ており、中国のメディア、ネットでしばしば使われる表現)としてネット、メディアでも広く伝えられ、同様の公聴会への批判が高まった。
  この「被」という言葉が中国社会で広がったのは、09年ごろだ。本来なら「~される」はずのないことまで、「被~」とする表現が次々と生まれ、「被時代」という言葉も生まれた。中国のサイト「互動百科」は次のように説明する。
   「被時代では、誰かが『☓☓される』ということは、必ず他人に『☓☓する』人がいるということだ。ある人の権利が主張することができず、勝手に侵犯される、その一方で他人を圧迫して権利を享受するものが必ずいる」。そして次のような「被」の数々を紹介している。
  「被自殺」…2008年3月、安徽省阜陽市潁泉区の張治安書記が違法に農地を収用し、さらにはホワイトハウスのような豪華な庁舎を建てたことを告発していた李国福さんが、監獄内の病院で死亡したが、検察機関は「李さんは首つり自殺した」との調査結果を発表、家族はこれを受け入れなかった。(報道によると、その後張治安は汚職の疑いで逮捕され、1審で執行猶予付き死刑判決を受けた。)
  「被小康」…「小康」とは「ややゆとりのある生活水準」の意味だが、09年2月、江蘇省が南通市管轄下の県、市にたいして小康に達したかどうかの電話民意調査を実施した際、地元政府は調査を受けた住民らに対し模範答案を事前に配布、家庭平均年収は、農民は8500元、都市住民は16500元であると答えるよう求めたという。その結果、元々は小康レベルにない住民が、一夜のうちに小康にされてしまった。
  「被増長」…09年7月28日、国家統計局が今年前半の全国都市住民の平均収入は11.2%、農民は8.1%増加と発表、都市住民の伸びはGDPの伸び7.1%を上回ったが、「物価は上がっても自分の所得は増えていない。この数字は水増しではないか」と多くの人々が疑問を抱いた。
  「被自願」…09年5月の新京報報道によると、重慶市銅梁県の保護者らが、学校に9000元の「教師節慰問金」を支払うよう要求されたと訴えた(教師節は9月10日、教師に日ごろの感謝や尊敬の気持ちを示す行事)。保護者が教育委員会に意見を述べたところ、「お金を返すのなら、教師を引き上げる」と告げられた。銅梁県教育長は取材に「保護者は自ら望んで支払った」と述べたという。
  「被就業」…7月12日、西北政法大学の09年卒業生だった趙冬冬さんは、国内の著名なウェブサイトに、自ら知らないうちに大学が西安のある企業と就職協議書にサインしたが、このような企業は聞いたこともないと書き込んだ。一部の大学は学生の就職率が高いことを宣伝するため、このような水増しを行なっているとされる。

 

今月のことば

被代表:自分の意志が勝手に第3者によって代弁されてしまうこと。多くは世論操作のため、当局の都合のよい形で使われる。

被時代:被代表、被自殺、被小康、被就業など、「被~」が社会現象を表すネット流行語として次々と登場した時代状況を指す。自分の権利を第3者が勝手に左右されることは許さないという権利意識の向上もうかがえる。

被就業

「~門」:事件、スキャンダルの意味で、米国のウォーターゲート(水門)事件から来ており、中国のメディア、ネットでしばしば使われる表現。

  「被購物」…10年7月、香港を旅行した中国の客がお土産屋で買い物をしなかったことで、旅行ガイドが「こんな安い値段で旅行できるわけがない」と罵る動画がネットで広がった。香港観光局は謝罪したが、「買い物をさせられる」という言葉がこうして広まった。
  その他にも、人権活動家などを対象にした次のような「被」もある。

  「被旅遊」…当局からマークされた活動家らが、政治的に敏感な時期(全人代開催、天安門事件記念日など)に当局から外地に無理やり連れだされること。昨年の各地方の人民代表選挙でも独立候補者と呼ばれる候補者が登場したが、当局により選挙活動に参加できないよう、外地に連れ出された。さらには、風俗産業が盛んなことで知られる広東省東莞市では掃黄(わいせつ取り締まり運動)期間中、風俗嬢らが外地に旅行させられたとの報道もある。

  「被喝茶」…活動家らが、当局からお茶を飲まないかと呼び出されること。実際には尋問に近い。人権活動家、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に対し、成都市の女性が上海万博のノルウエー館を訪問、花束を贈ったことで、警察からマークされ、「被喝茶」された問題は以前「東方」で紹介した。
 >>>2010年12月号「中国のネットは劉暁波受賞をどう伝えたか」参照

  「被時代」は社会的な弱者が他者(多くは権力者)により、自らの意思に反することを一方的に認めさせられるという中国社会の現実を示すとともに、自分の権利を第3者が勝手に左右されることは許さないという権利意識の向上がうかがえる。
  番禺では住民らがゴミ焼却発電所の建設阻止に動き、当局に認めさせた。そして、最近でも、「被代表」を集団的な抗議活動により拒んだのが長平氏も指摘した広東省烏坎村の住民抗議運動だった。
  烏坎については、日本メディアも多く報じているが、村の役人の不正に対抗して村民が大規模な抗議運動を展開、一次は当局による弾圧も懸念されたが、広東省政府は住民の訴えを認め、村民代表の選挙やり直しを命じた。そして2月11日、村民は自らの村民代表(村議に相当)107人を自らが管理する選挙により選出した。

ツイッターで長平氏が紹介した烏坎の民主選挙の映像を見た。民主的な抗議運動により、広東省政府から譲歩を勝ち取った村の書記、林祖鑾さんは「事の大小にかかわらず、我々はついに関門を突破した。(今回の結果は)党中央から民衆まで、皆にとって喜ばしいものだ」と語った。抗議活動の中で父親を殺害された女性も、投票日「父の霊前に報告した。(民主的な選挙は)父が望んでいたことだったから」と涙を見せながら語った。

 だがこれはまだ末端で始まった民主化の実験にすぎない。国を追われた長平氏のようなジャーナリストが再び祖国の土を踏める時こそ、「被時代」が終わりを告げる時だ。それがいつなのかは分からないが、秋の党大会で誕生する共産党の新指導体制が烏坎村の経験をどう位置づけるのか、そしてネットを中心とした大衆の声にどう答えるかが一つの鍵と言えるだろう。長平氏が自由に中国と海外を行き来できるような日が再び訪れれば、ぜひ2年前のように再びお会いし、酒を酌み交わしたい。

 
「被購物」


「被旅遊」


烏坎の民主選挙の映像

 

   

 

   
 
古畑康雄・ジャーナリスト
   
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