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ネット用語から読み解く中国
 
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ネット用語から読み解く中国   (21)「吊絲」
   
     

吊絲とネットで出回った薄瓜瓜の写真
 

 情報の伝達が分単位、秒単位となったネット時代には、新しい言葉が次々と現れてはあっという間に広がっていく。中国もその例外ではなく、特にBBS(掲示板)のような同好の士が集まる閉ざされた世界では、その傾向が顕著のようだ。そこで繰り広げられる言葉遊びから、流行語も生まれる。
  本コラムでも紹介した上海在住のパロディ映像作家、胡戈氏から「硬盤(人)」というネット用語の語源を聞いたことがある。上海では地方から来た「お上りさん」を「外地人」と馬鹿にする風潮があり、当局はこの言葉のネットでの使用を禁止した。するとネットユーザーは「外地人」ピンインの頭文字を使った「WD人」と言う言葉を生み出し、さらにこの「WD」がハードディスク(中国語は「硬盤」)メーカーの「ウェスタン・デジタル(Western Digital)」と頭文字が同じことから、「硬盤(人)」という隠語が生まれたのだという。まさに複雑な言葉遊びに付き合っているようだ。

 
   
     

 吊絲(簡体字は吊丝)という言葉もこうして登場したようだ。自分がこの言葉を知ったのはつい最近、重慶市の前党書記、薄煕来の失脚関連の推特(ツイッター)を見ていると、薄煕来と逮捕された谷開来夫人の間の息子、米国に留学中の薄瓜瓜が「吊絲」になった、といった書き込みをしばしば見るようになった。「吊絲」は男性器を指す「屌」を用いることも多いが、ここでは“上品”な方を使う。
  吊絲をグーグル中国語で検索すると、7600万件もヒットする人気ぶりだが、さて、吊絲とは何か、人民網日本語版(3月31日)は次のように伝えている。
   「宅男」(注:オタクのこと)や「鳳凰男」(注:農村出身で苦学して都会の大学に進学した男性)などインターネットで次々と新語が登場する中、「吊絲」という新語が登場している。現在の若者が自嘲する時に用いる最も頻度が高い言葉の一つになっている。新華社が伝えた。
  復旦大学伝播学部の朱春陽副教授によると、「吊絲」という言葉はその反対語の「高富帥」と共に流行したもので、現代の若者のある種の集団的な「焦り」の気持ちを表すものだ。インターネットを通じてこうした「焦り」が拡大し、深まっている。
  この記事を読んでも、吊絲という言葉の意味はよく分からない。百度などの記事を読んで大体分かったのは、「収入、容姿、社会的地位が低く、社会的な疎外感を味わい、ネットでうっぷんを晴らしているような若者」といった意味、いわゆる「イケてない人」「負け組」といった感じだ。
  では吊絲がなぜ「負け組」になったのか。「吊絲が流行した背景」 などの記事によれば、中国のサッカー選手、李毅のファンが集まる百度(検索エンジン大手)の掲示板「李毅吧」が発祥の地で、昨年(2011年)10月ごろに生まれたという。この選手は自分は「俺はアンリ選手の様にボールをキープできる」と豪語したことで、フランスの名選手、アンリの中国でのニックネーム「大帝」にちなんで「李毅大帝」と呼ばれ、彼のファンは「大帝的粉絲」、略して「D絲」と呼ばれるようになった。ところが他のBBSのユーザーがからかってDに「屌(diao)」の字を当てはめたが、D絲たちはこれに憤慨することなく、「むしろ光栄だ」とこれを受け入れた。
  ここから、吊絲に「無奈和自嘲」、つまり仕方ない、と自嘲気味に自らの境遇を受け止める意味が加わり、転じて「イケてない」「負け組」の境遇を受け入れる人たちを指すようになった。ここまで来ると、「硬盤人」も上回る、中国のネット空間の言葉遊びであり、我々外国人にますます難解になっているのも無理がない。
  さて、上記の記事などによれば、吊絲は社会の中下層に属する若者男性を示すとした上で、次のように紹介する。
  「彼らのある者は長年勉学に励み大学に合格したが、仕事を得た後、理想と現実に大きな開きがあり、学問は自らの経済的苦境を変えることはできないと悟る。ある者は中学を中退し、都市で美容院の従業員、ネットカフェの管理人、さらにはレンガ運びの労働者などの肉体労働者や、あるいは無業遊民(仕事もなくぶらぶらしている人)なのだが、フリーターを自称している。彼らは都市の繁栄とは無縁であり、わずかながらの給与を手にし、カップ麺とソーセージで飢えをしのぐ生活を送っている。」
  「吊絲 ある頭文字の誕生」という記事は吊絲について以下のような説明をしている。
  「総じて言えば、吊絲とは、社会的地位が低く、生活は平凡で、未来もぼんやりとして、感情的にも虚ろであり、社会から認められていない。彼らは社会から認められたいと願っているが、どうしたらよいのか分からず、生活に目標はなく、情熱もなく、無聊な生活に不満があるもののどうしてよいか分からない。このような心理状態が我々の周辺に普遍的に存在し、一人一人の心のなかに存在する。それゆえにネット上で吊絲が流行したのだ」
  当然のことながら、彼らは女性には人気がない。北京大学を卒業し、東大に留学中のエリート女子大生に先日会った時、吊絲について尋ねると、「彼らはEQが低く、人付き合いが苦手で、部屋にこもってパソコンばかりしている印象。付き合いたいとは思わない」とバッサリ切り捨てた。中国社会では大学生がエリートだった80年代と比べ、大学数や大学進学率が増加した半面、大卒の価値が下がり、「大学は出たけれど」現象が起きていることも彼らの社会的地位が低い一因だと指摘した。
  以前本コラムで紹介した「郭美美」のような「白富美」(色白、金持ち、美人)の女性は吊絲が「女神」と仰ぐ理想の女性だが、彼女らが吊絲に抱く印象は「窮矮丑」(貧乏でルックスが悪い)であり、彼女らに選ばれるのは「高富帥」(金持ちのイケメン)だ。
  さて、こうした「イケてない」彼らが単に個人の努力不足ならば、不遇もやむをえないだろう。だが、彼らがこのような境遇となったのは、社会的影響も大きいとの指摘もある。
  「吊絲現象 不均等な発展機会への集団的焦燥」で、人民網世論観測室のインタビューに、中国青年政治学院中文系主任、張跣氏は次のように分析する。
  「吊絲という言葉から強く感じられるのは、現実世界に対する一種の無力感だ。吊絲を自称する人は、衣食を満たそうと苦闘する本当の社会的底辺ではないし、さらには社会資源や話語権(発言権)を持つ社会の上中層でもなく、まさに今奮闘中の若者なのだ。彼らは長年の努力により自分の能力を証明し、自らの未来に対して一定の希望やイメージを抱いている。だが同時に、日に日に厳しくなる発展の圧力や、社会の不公平、上昇する空間がますます押しつぶされていることに、彼らは自ら気を紛らし、自らを慰め、自嘲するしかない」
   「吊絲の広がりは、社会構造がもたらした」こう分析するネットユーザーもいる。このネットユーザー「彩色哥」は「現在ネットにアクセスするのは主に80後、90後(80~90年代生まれ)であり、大多数は一人っ子、進学、就職、恋愛で多くの圧力や挫折に直面する。自尊心を傷つけられたことで心には自己卑下が生まれ、それを訴えることもできない彼らは、その本当の気持をネットに訴えるのだ」
  つまり一人っ子世代で、「小皇帝」として親の愛情と期待を受けて育てられたが、進学、就職と社会に入るに中で、様々な不公平や挫折に遭遇する。だが彼らが挫折を味わうのは、個人的な原因とは言い切れないようだ。

 

今回のことば

「硬盤(人)」(硬盘人):上海人がよそ者をさして言う「外地人」が言い換えによって生まれた一種の隠語。

「鳳凰男」(凤凰男):「山奥から金色の鳳凰が飛び立つ」伝説のように、農村出身で苦学して都会の大学に進学した男性。

「吊絲」(吊丝):収入、容姿、社会的地位が低く、社会的な疎外感を味わい、ネットでうっぷんを晴らしているような若者」といった意味、いわゆる「イケてない人」「負け組」。対義語は「高富帥」(高富帅・金持ちのイケメン)。

「官2代」「富2代」:役人や金持ちの子弟。親の七光りで有利な就職先を得たり、親の威光を傘に着た傍若無人ぶりが庶民の顰蹙(ひんしゅく)をかっている。関連語は「拼爹」(親の力比べ)、対義語は「窮2代」。

「薄瓜瓜」:失脚した薄熙来・前重慶市書記の子息で、海外での派手な生活ぶりと、父親失脚後の動静が注目されている。

 

  「吊絲が反映するのは、集団的な焦燥感であり、文化の問題であるだけでなく、中国社会の問題を映し出している。これは単純な青春の感情ではなく、現実社会の矛盾が絶え間なく蓄積しつつあることの兆しなのだ。」中山大学の朱崇科教授は、今日社会利益集団が形成されたことで、大量の中下層社会出身の若者が上に上がれない構造ができたのだと指摘する。
  吊絲と近いのが「蟻族」と呼ばれる大学卒業後も低収入に置かれる若者たちだ。彼らの多くは農村から大学に合格し、家族は彼らに大いに期待しているのに、現実には就職などで挫折感を味わっている。
  蟻族については、紹介した本や記事も出ているので詳細はそちらに譲るが、湖北省武漢市では、蟻族の8割が「窮2代」(貧困層の子弟)だという調査がある。彼らは弱い立場にあるグループであるが、社会的資源や家庭的背景が欠けているのだ。
  「窮2代」と対象をなすのは「官2代」「富2代」だ。役人や金持ちの子女という意味で、親の威光を傘に着た傍若無人ぶりが庶民の顰蹙(ひんしゅく)をかっている。
  有名な事件が「俺の親父は李剛だ」事件だ。メディアでも報道されたので、詳しくは述べないが、2010年10月、河北省保定市の河北大学構内で、酒に酔った若い男が2人の女子学生を車で跳ね飛ばし、集まった学生に「俺の親父は李剛だ」と地元公安局ナンバー2の父親の名前を出した事件だ。
  ネットではこの「俺の親父は李剛だ」が大流行し、厳しい世論やメディアの攻撃にさらされた。親子はテレビで涙を流して謝罪した。
  確かに、この事件は極端な事例ではあるが、親の力を後ろ盾に有利な就職のチャンスを勝ち取る「拼爹」父親比べという言葉も流行している。父親の経済力や社会的地位、こうした要素は「自分の学業の成績や能力よりも“成功した”父親を持っていることには勝てない」(互動百科「拼爹遊戯」より)
  こうした社会階層の固定化は、文化大革命の時に生まれたスローガン「老子英雄児好漢,老子反動児混蛋」(親が英雄なら息子も立派、親が反動派なら息子は馬鹿者)の現代版のように感じるが、こういう社会階層、階級意識というのは、中国社会に固有なものなのか、社会学の研究などがあればぜひ読みたいものだ。
  さて、こうした社会状況の中で、まさに象徴的な事件が起きた。連日メディアでも報道されている重慶市書記の薄煕来の失脚だ。
  この薄熙来と殺人容疑で逮捕された妻の谷開来の間に生まれた「薄瓜瓜」こそ、典型的な「官2代」「富2代」だ。1987年生まれの彼は、北京の名門小学校を経て、英国の著名パブリック・スクール、ハーロー校に入学、その後オックスフォード大学を経て、現在はハーバード大学で学んでいるという。派手な学歴とは裏腹に、金髪美女と豪遊する写真がネットで公開され、その「高富帥」ぶりが庶民の嫉妬や怒りを買った。
  ツイッターには次のような書き込みが登場した。

 

“吊丝”一词爆红中国网络 专家称反映集体焦虑

湖北官方出台“蚁族”报告 八成系“穷二代”

蟻族については、紹介した本

争做“吊丝”乐在其中自嘲让人活得轻松些
  「随着薄熙来被免职,平日里颇为高调的薄瓜瓜也瞬间从以前的“高富帅”变成了网友们调侃的“屌丝”。(薄煕来の失脚で、日頃から高飛車ぶりが知られていた薄瓜瓜は一瞬のうちにそれまでの「高富帥」から、ネットユーザーのあざけりを受ける「吊絲」へと転落した)」。薄瓜瓜の動向はその後杳として知れず、ネットユーザーの関心の的になっている。
  もっとも、吊絲は現実にはそこまで悲惨ではなく、自嘲を楽しんでいるのだという指摘もある。前述の朱崇科教授も「もし自分が現在も学生ならば、ある面で『窮吊絲』になるだろう。こうして生活の辛さを忘れることができる。『吊絲』を自嘲することで、多くの人は照れ隠しをし、圧力を吐き出すことができる、それゆえこの言葉が急速に広まったのだ」と指摘する。l
  「吊絲は現代版阿Qだ」といった指摘もある。阿Qとは言うまでもなく、魯迅の代表作「阿Q正伝」の主人公だ。現実には惨めな境遇を「精神勝利法」という独特の思考法で、自分を勝ち組にしてしまう、当時の中国人、中国社会の病理を描いた作品だ。
  だが吊絲と阿Qは異なる点がある。阿Qは心の中で勝者になりたいと願うが、吊絲は「負け組」に甘んじ、自分の惨めさを認め、むしろそれを喜んでいるところがある。「自分は惨めだ」「いや、自分のほうがもっと惨めだ」と「比惨」(惨めさ自慢)をすることで、現実の圧力をかわしているのだ。
  だが、現実にはやはり何らかの壁が立ちはだかり、彼らは不満を感じているのは間違いない。前述の張跣氏は「吊絲現象が体現しているのは社会の無力感や規範の喪失だ」と指摘する。
  「各種の悪搞(パロディ)、風刺はインターネット社会の基本的な矛盾に基づくものだ、つまり、現実世界の中で日々深まる階層化、社会分化とネット世界の平坦化、同質化の間の矛盾である。」ネットでは平等でも、現実は不平等だということだ。「社会構造そのものが社会の構成員が正常な手段を通じて(社会的)資源を獲得し、話語権(前述)を把握し、自らの目標を達成する機会を制限している。こうして一種の無力感や剥奪されたという感覚が蔓延、ネットの熱狂という形で発散されるのだ」
  そして張氏はこの障壁を取り除くには次の2つしかないと指摘する、「1つは社会資源や話語権の分配方式を調整し改革すること、もう1つはかつて聞くことができなかった声に耳を傾け、これまで無視されてきた力に注目すること。」つまり、社会の不公正を生む各種体制を変革し、声なき声に耳を傾けることが必要だということだ。
  吊絲は自分の不満を社会的行動で爆発させることはないのだろうか。確かに、ネットで自嘲するだけでは、世の中の不平等な現状は変わらない。彼らのエネルギーが一定程度蓄積し、自らの「イケてない」理由が社会にも責任があると感じた時、ネットが彼らの意識を共有、拡散する触媒となり、新たな状況を生む可能性がある。「吊絲」は中国の社会が変化の曲がり角にあることを示した、時代の雰囲気を凝縮した言葉と言ってよいだろう。
 
     

 

   
 
古畑康雄・ジャーナリスト
   
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