実は筆者は日本茶にも茶道にも全く知見がない。その素人が抱えていた大きな疑問の一つが『茶道はお茶を飲むのに、なぜお茶の話をしないか』ということだった。もし中国茶や台湾茶なら、『この茶葉は今年の春に摘んだ』とか、『この茶の製法は』などという会話が一般的だが、茶道では掛け軸や花を愛で、それを話題にすることはあっても、茶そのものが話題になることはないと聞く。
その理由を前述のタイ人は『仏教との関係』から解き明かして見せてくれた。タイの僧侶は与えられたものは拒まず食べる(飲む)のが作法であり、またその物について『美味しい』とか、『素晴らしい出来だ』とかコメントすることは基本的にないのだという。だから日本の茶道に伝統的な仏教・僧侶が関係していれば、当然茶は話題にならないと。これにはちょっと唸ってしまった。日本でこれまでそのような説明を受けたことはないが、果たしてどうなのだろうか。
岩波新書で復刊された『茶の文化史』(村井康彦著)は大変参考になる本だった。この中には、茶道が如何に日本で独自の発展を遂げたかが説明されている。栄西の時代は茶礼なるものはなかったが、その後利休に至るまでに、茶道に宗教性が持ち込まれた、とあるのが面白い。そう考えると、やはり茶について触れないのは仏教的、器や掛け軸を愛でるのは堺の商人的、と言えばよいのだろうか。
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