中国語学術書を日本語へ翻訳する場合の問題・中

投稿者: | 2023年9月15日

――陳致『従礼儀化到世俗化─『詩経』的形成─』(訳名『『詩経』の形成――儀礼化から世俗化へ』)の翻訳で感じたこと

湯城 吉信

(編集部注:「上」の「■【本書の特殊事情に伴う問題―複数のテキストがある場合の問題】」、「①原書が英語であったこと」に続く)

②底本(簡体字版)と電子ファイル(繁体字版)の若干の違い
 私は、電子ファイル入手前に翻訳を開始したので、電子ファイルを(その活字フォントを利用して)直接日本語に変えていく方法は取らなかった。ただ、その他のメンバーはおおむね電子ファイルを利用して日本語入力を行った。
 これには思わぬ落とし穴があった。作業途中で気づいたが、訳を行うべき底本と電子ファイルとの間には所々違いがあったのである。軽微な違いが多かったが、それにしても正確を旨とする学術書翻訳においては無視できない。最終段階でもチェックしたが、チェック漏れがないか若干の心配はある。一方、私の場合は、底本を見ながら日本語を入力していったので、入力ミス・訳し漏れがないかが若干心配が残る。
 また、底本が簡体字で、電子ファイルが繁体字であった。この繁体字版の制作経緯は知らないが、陳致氏が日本人には繁体字版の方が便利だと思われて提供されたものであることは確かであろう。ただ、簡体字版が先に作られ、それを繁体字に変換して作られたテキストは、変換しなくてもよい場合も変換している(いわゆるおせっかい機能)場合があるので注意が必要である。具体的に言えば、中国で、(発音が同じ)二つの字が一つの字(簡単な方)に統合された場合である。
 例えば、以下の場合、左から右のように統一・変化してきたものを、すべて右から左に戻すことはできない。元・后・丑・谷・里・面・机のままでよいものを、圓・後・醜・穀・裏(裡)・麵・機に誤って直してしまう場合があるからである。
 〔繁体字〕→〔簡体字〕
  元・圓 → 元
  余・餘 → 余 *漢文では、余は「われ(我)」の場合が多い。
后・後 → 后 *「後」も「后」に通じる場合もあるので、状況は複雑であるが。発音が同じなら通じること(音通)は常にあり得る。
  丑・醜 → 丑
  谷・穀 → 谷
  里・裏(裡) → 里
  面・麵 → 面
  机・機 → 机

 本書でこのような場合が全体でどれだけあったかは知らないが、私の担当した第二章では、102頁の「余部」(韻の部)が繁体字電子ファイルで「餘部」になっていた。古文の研究者である原著者は当然、漢文における「余」と「餘」は区別されていて、他の部分では「われ(我)」の意味を表す部分では「余」となっていたが、たまに見落としも発生したのであろう。
 その他、複数の字体が存在する場合の具体例を挙げよう。
 本書では、古代の楽器名が多く登場する。その中に、塤・壎(ともに「ケン」)、鞀・鞉(ともに「チョウ」)という字があった。前二者は「土笛」を、後二者は「振り鼓」を表す。各ペアーとも異体字(ふつうはどちらを用いてもよい)の関係にある。ただ、底本の中でも両方の字が存在し、また、電子ファイルでは別の一方を使っている場合もあった。一度、作者の陳致氏にまとめて質問する機会があり、表記の混在について確認すると、「日本語版ではそれぞれ壎・鞉に統一してください」とのことであった。おそらく、陳致氏としては、どちらかにすべきだというこだわりはないが、日本では繁体字が標準だとの認識(送られてきたファイルが繁体字であったことからも推察できる)から、より複雑な字体を採用するのが望ましいとお考えになったのであろう。ただ、古文字研究においては字体も重要であり、(陳致氏以外の)論文名において意識的にどちらかの文字を用いている場合などは変更すべきではないであろう。結局、本文においては、基本的には「壎・鞉」を使いつつ、陳致氏以外の論考の引用部分については原文通り表記するように心がけた。

③甲骨文字や金文が多くあったこと
 本書には、多くの甲骨文字・金文の引用があった。その字体は、原史料を忠実に再現したものではなく、フォントとして作られたものであった(日本語版序文参照)。翻訳においてそれらをどう表すかは問題であった。印刷所に任せることができればよいが、昨今の印刷事情では、できる限りそのまま印刷できる完全原稿を求められる。そこで、我々もまずは、甲骨文字・金文をワープロにおいて正しく表示できることを目指してみた。
 実行可能であった方法は以下のようである。
(1)今昔文字鏡というアプリケーションソフトを使い、登録されている甲骨文字・金文フォントを使用する。
(2)白川フォントというフリーでダウンロードできるフォントを使って、甲骨文字・金文を表示する。
(3)上記(1)(2)で表示できない場合は、原書から取った画像を張り付けた。
(4)明朝体の活字でフォントがないもので既存字の組み合わせで作れるものは自分で画像を加工して制作した(例:
 上記(1)(2)でフォントが見つかればきれいに表示ができた。ただ、それぞれパソコンにソフトやフォントをインストールしていなければ文字化けしてしまう(一部だけの文字化けだと見逃してしまうので厄介である)。特殊なものを使うことは常にトラブルの危険性が伴う。実際の印刷でも(1)や(2)のような特殊フォントを使うことはないようだ。今回の作業でも、実際の印刷の段階では、結局は出版社が原書から画像を拾う作業をしてくださることになった。

■【訳出に伴う問題―特に漢字に関する問題】

 次に、外国語の翻訳に伴う問題、特に漢字についての問題を述べていきたい。
 外国語を読んで意味がわかっても、それを実際に日本語に訳すとなるとどのように書けばよいか頭を悩ませることが多い。

(1)直訳か?意訳か?
 基本的問題としては、直訳か、意訳かという問題がある(両者は截然と分かれるものではないが)
 直訳は、外国語の文章をそのまま日本語に変換していくもので、日本語としてはわかりにくいものになる場合が多い。だから、試験の解答ならいざ知らず、一般に出版されている本では、その生硬な直訳(翻訳調文体)を日本語らしい文章に直すよう工夫されている。「意訳」の登場である。
 ただ、直訳には直訳の利点もある。「直訳の方が原文を想起しやすいのでよい」とある研究者から聞いたことがある。漢文の訓読についても、流派や読み方による違いがあるが、古田島洋介氏によると、漢文訓読の本質は「原文を覚える(原文を再現する)こと」である(古田島洋介「漢文訓読の〈割引率〉――記憶術としての定位」(『明星大学研究紀要、日本文化部・言語文化学科)』第5号、1997年)参照)。原文を尊重することが最重要であれば、訳文が「日本語としてこなれているか」よりも「原文に忠実か」の方が重視されるからだ。
 また、意訳する場合は、行き過ぎないよう注意が必要である。前後を入れ替えたり、叙述をまとめたりする行為は、たとえわかりやすくなったとしても、「添削・改変」に属す行為であり、慎むべきであろう。

(2)実際の訳出作業
 実際の訳出作業は、まず日本語に訳してみて、後でその日本語をチェックし、よりスムーズな表現に改めるという方法で行った。これは極めて普通の方法であろう。ただ、その後、もう一度、原文を見直してみると意味がずれたと感じる場合もある(伝言ゲームや文化の移入による変容を期せずして実感できることになる)。この場合は当然、訳文を再修正することになる。
 日本語に翻訳して違和感を感じた箇所は、例えば、人称代名詞の「彼」をそのまま訳した場合などがある。「彼」は、多くの場合、日本語では実名に直した方がわかりよいし自然になる。このような行文上の問題も存在したが、今回の翻訳においては、漢字語の訳し方に頭を悩ます場合が多かった。

(3)日中の漢字の意味のずれ
 中国語を日本語に訳す場合、中国語の漢字の意味と日本語の漢字の意味が違う場合は注意が必要である。例えば、「汽車」(中国語では自動車(ガソリン車))や「手紙」(中国語ではトイレットペーパー)などが有名であるが、本書でも同様の語は少なくなかった。例えば、以下のようなものがあった(いずれも相互チェックで見つかったもの)
○「再」…中国語では「さらに/その上」の意味の場合が多いが、日本語で「再び」と訳してしまうと文脈に合わなくなる。
○「入手」…中国語では「着手」の意味の場合が多いが、日本語で「入手」のままにしてしまうと文脈に合わなくなる。
○「作(為)~」…「~として」の意味の場合に「作る」と 訳してしまうと文脈に合わなくなる。
○「分別」…日本語で言えば「それぞれ」の意味。日本語の「分ける」(「ごみの分別」など)ではない。

 ただし、「入手」は中国語でも書面語では日本語同様「入手」の意味もあるようだし、「再」にも日本語同様「再び」の意味もあるので、適宜判断する必要がある。

(4)日中の漢字の微妙なニュアンスの違い
 以上述べたものは、訳し間違いに属するレベルであるが、処理が難しいのは、中国語の漢字をそのまま使っても訳し間違いとは言えないかもしれないが日本語としてしっくりこない場合である。ただ、あらかじめ断っておけば、これらは中国語を書いた人個人の癖・感覚、日本語に訳す人(本稿で述べるものは私)個人の癖・感覚に左右されるもので、絶対的なものではない。また、現在の日本では「復興」というと2011年の東日本大震災からのそれを想起する(「災害復興」を思い出す)ことなど、時代時代の用法に左右されるので注意が必要である。翻訳という作業は、常にこのようなせめぎ合いの下に訳語を選定するダイナミクスを有するものであろう。
 以下、列挙するものは、私が感じたものであり、これをもって基準もしくはマニュアルとすることを主張するわけではない。今の時代に生きる私が感じた「生きた例」として参考にしていただければ幸いである。

○「礼儀化」…儀礼化。書名にも入っている本書のキーワード。
○「往往~」…これは「往々にして~」と訳すよりも「~することが多い」と訳す方がしっくりくる場合が多い。例えば、「往往互相通用」など。現代日本語では、「往往にして~」は良くない事柄に使うことが多いので、そうでない場合は避けた方がよいように思った。
○「意見」…日本語だと「主観的意見」を指す。本書では、「学説」を言う場合が多かった。「見解」あたりがよいかも。私の場合、「見方」と訳した場合がある(底本97頁)
○「享受」…日中共に基本的意味は共通しているはずだが、中国語では単に「楽しむ」の意味で使われる場合が多い。
○「規制」…規格化された制度、規格、規範。英語はcode。日本語では「規制緩和」において使われることが多いため、現在では「押さえつけるもの(取り除くことが望ましいもの)」というニュアンスが強くなっているのではないか。

 上述の「復興」については以下詳しく述べたい。
 本書では、第五章のタイトルに「商代雅楽的復興」という表現が見えた。これを担当者は当初「殷代雅楽の復興」としていたが、私には違和感があった。上述のように、現在「復興」というと巨大な土木工事を伴う意図的プロジェクトのイメージがあり大仰な感じがしたからである。
 ちなみに、英語版では相当する語は「revival」となっていた。また、第五章第三節のタイトル中、中国語版の「再現」に対応する英語はやはり「revival」であった。同様の内容であれば、日本語では同じ訳語にするのが望ましいであろう。
 英語の「revival」(再生、復活)は、「消えていたものが再び現れること」である。本書で殷の音楽が「復興」したと言っているのは、ちょうど今の日本語の音楽での「リバイバル版」のように(若干変更がありつつ=そのままではないが)再登場したという意味であった。
 ルネサンスを「文芸復興」と言うことからすると、復興は文芸に対しても用いることができるのだろう。ただ、ルネサンスのように意図的運動を指すのではなく、歴史の流れの中で自然に再登場した場合には、やはり適当な訳語だとは思えなかった。
 以上のような思考を繰り返し、「復興」「再現」「復活」「再興」「再生」「再流行」など様々な候補を吟味した結果、本書では「復活」を採用した。再び現れたことを客観的に表現する語としてふさわしいと判断したからである。

〔日本語への変換で工夫した語〕
 左が中国語(原文、漢字は日本の通用字体)、右が日本語(訳語)
 以下の列挙はすべて翻訳メンバーに「訳語例」として共有したもの。意図としては、強制的に統一を図るためではなくあくまで参考にするため(訳語に悩んだ時参考にするため)である。訳語は同じ語であっても場所によって日本語訳を変えるべき場合もあるので、一対一対応で訳語を固定すべきではない。用例は基本的に私の担当範囲であった第二章から、頁の順番に挙げている。

○舞蹈…舞踏、舞踊 *どちらにすべきか結局よくわからなかった。
○対抗…対立
○境内…領内、境域 *日本語で境内はお寺のそれを想起する。
○当代…現代
○革新…改革(底本21頁)
○革新…作り直された(底本82頁)
○普遍…全面的に
○合作…共同
○整体…まとまり(総体)
○一種鐘…鐘の一種
○一位~…~の一人
○識別…解読 *意訳。
○肯定…確定
○需要…要求 *「必要」でもよいかも。
○展示…示す
○実際上…実質的に
○中人…仲介者
○神霊化…神格化
○体裁…形式
○必是~…~は明らか
○所謂…「いわゆる」 *「一般に言われている」の場合と「特定の人が言っている」場合の両方があった。
○一段…一節
○規範(儀式について)(儀式を)規定する
○標榜…誇示する(宣伝する、標榜する、見せつける)
○賞賜…賞与する *「褒美として与える」が無難かも。
○在~心目中的…(「考え」「頭の中」の意味だが)~にとって
○連用…併記
○張揚功略…戦略を伝える
○質量(原文英語「substance」)…素材
○得応…(占いの)結果が得られた
○標記(原文英語「label」)…符丁
○声名狼籍…評判が散々な
○開篇(詩の冒頭)…幕が開く *本来、話の「枕」なので「枕とする」でもよいかも。
○在一片鼓音中…鼓の音が響き渡る中
○結束…終わりを迎える
○邀請…請来する(招待する)
○安排…設ける
○無足軽重…重要性を持たないこと
○数以万計…万単位にも及ぶ(数多くある)
○難計其数…数限りない
○応用的範囲有限(原文英語「circumscribed in use」)…使用が限られていた
○存留下来的(原文英語「typological existence」)…伝わっていた(保存されていた)
○作用…役目・役割 *「働き」と訳した箇所も多かったように思う。
○採用~作為偏旁…~を構成要素としている
○日益広泛的使用(原文英語「increasingly widely used」)…日増しに広く使われるようになった
(如果不是唯一的話)是在祭拝祖先(商代宗廟中最主要的儀式)的時候演奏、以便召喚祖先的神霊。(原文英語「was played usually if not exclusively in the ancestral worship, the most prominent rites in the Shang pantheon, in order to call upon ancestral spirits.」)(商代宗廟中、最も重要な儀式であった)先祖崇拝の時(だけではないかもしれないが)演奏され、祖先の霊を呼び寄せるために用いられた。
○不遅于~之前…~直前
○緊接着~…~直後
○確切性質…実際どのようであったか
○零散雑乱…ばらばらでまとまりがない

(編集部注:本稿は上・中・下の三回構成です。続きはこちらです)

『『詩経』の形成』

『詩経』の形成 儀礼化から世俗化へ

陳致 著
湯浅邦弘 監訳
湯城吉信,古賀芳枝,草野友子,中村未来 訳
出版社:東方書店
出版年:2023年06月
価格 6,600円

(ゆうき・よしのぶ 大東文化大学)

掲載記事の無断転載をお断りいたします。

LINEで送る
Pocket