『台湾原住民文学への扉』評 魚住悦子

投稿者: | 2023年9月15日
『台湾原住民文学への扉』

台湾原住民文学への扉
「サヨンの鐘」から原住民作家の誕生へ


下村作次郎 著
出版社:田畑書店
出版年:2023年4月
価格 9,900円

台湾原住民文学を知り、理解するための必携の書

 

 台湾原住民文学は、一九八〇年代後半に台湾民主化運動のなかから生まれた文学であり、台湾原住民族の作家たちが原住民の生活や社会を描いた文学である。そのような理解のもとにこの本を手にすると、副題に「『サヨンの鐘』から原住民作家の誕生へ」とあり、さらに第一部は「ふたつの物語──『サヨンの鐘』と『義人呉鳳』」となっていて、いぶかしく感じる読者も多いことと思う。ちなみに、「サヨンの鐘」と「義人呉鳳」は戦前の台湾で流布した物語である。「サヨンの鐘」は、応召する恩師の日本人警察官のために嵐をついて荷物を運ぶ途中、水難事故にあって犠牲になったタイヤル少女、サヨン・ハヨンと、彼女を讃えて台湾総督が贈った「愛国乙女サヨンの鐘」をめぐる物語である。一方、「義人呉鳳」は、阿里山のツォウ族に首狩りの風習をやめさせるために自らの首を狩らせたと伝えられている漢民族の通事、呉鳳の物語である。
 本書はこの第一部に続いて、第二部「台湾原住民文学の世界」、第三部「台湾原住民文学点描」から構成され、ページ数は六百ページに近い厚い本である。
 なぜ著者は本書に「サヨンの鐘」と「義人呉鳳」についての論考を収録したのだろうか。そのことは後に考えることにして、まず全体を読み進めよう。
 本書には三十三篇の文章が収められている。内訳は論文十二、講演原稿一、報告原稿一、解説十一、書評四、寄稿文三、本書のための書き下ろし文一で、巻頭には「台湾および台湾原住民族関係地図」が掲げられ、「参考資料」五編と「台湾原住民文学年表」も収められている。
 これらの文章のうち、最初に書かれたのは一九九四年の「台湾原住民文学序説」(第二部第一章)であり、最新のものは本書のために二〇二二年に書き下ろした「リムイ・アキの『懐郷』を読む」(第三部第五章)である。本書は著者の三十年余りにわたる台湾原住民文学研究を集大成したものと言える。
 著者の台湾原住民文学との関わりは、一九九二年に『悲情の山地』(田畑書店)の翻訳出版に監訳者として携わったことから始まる。該書は「台湾原住民小説選」を副題とするが、作品を収録された原住民作家はトパス・タナピマ(ブヌン族)と陳英雄(パイワン族)の二人であった。
 その後、台湾原住民文学は大きく花開き、原住民作家が次々に現れて創作を行い、「黄金の十年」と呼ばれる時期を迎えた。その間、日本では『台湾原住民文学選』全九巻(草風館、二〇〇二~二〇〇九年)が、台湾では『台湾原住民族漢語文学選集』全七巻(印刻出版、二〇〇三年)が出版された。
 現在では多くの原住民作家の詩集や散文集、長編小説が上梓され、日本ではパタイ(プユマ族)やシャマン・ラポガン(タオ族)、ワリス・ノカン(タイヤル族)、リムイ・アキ(同)の作品が翻訳出版されている。その詳細は、第三部「台湾原住民文学点描」の第三章「山地の文学」、第四章「海洋の文学」、第五章「女性たちのまなざし」、第六章「事件・戦争」に収められた文章から知ることができる。
 著者は『悲情の山地』の監訳を完成させる段階で、台湾に原住民作家やその関係者を訪ね、さまざまな資料を収集した。この手法はその後も一貫しており、著者は文学作品の翻訳にあたって、必ず作品の舞台となった現地に足を運び、作家から直に話を聞いている。
 著者は『台湾原住民文学選』では、第一巻でモーナノン(パイワン族)の詩とトパス・タナピマの短編小説を翻訳し、第七巻ではアオヴィニ・カドゥスガヌ(ルカイ族)の長編小説『野のユリの歌』を翻訳した。その後はシャマン・ラポガンの『空の目』(草風館、二〇一四年)と『大海に生きる夢』(同、二〇一七年)を、さらにワリス・ノカンの『都市残酷』(田畑書店、二〇二二年)を翻訳出版している。著者は、世界性を秘めた海洋文学作家として、シャマン・ラポガンの今後の発展に期待を寄せている。
 第三部「台湾原住民文学点描」には『都市残酷』以外の解説が収められているが、それを読めば、原住民文学の翻訳は単なる訳出作業ではないことがわかる。
 翻訳において求められるのは言語的な正確さだけではない。その正確さの裏付けとなる確かな知識が必要である。著者は台湾原住民族に関する文献資料を丁寧に読み込み、日本と台湾における最近の原住民研究にも丹念に目を通している。例えば、トパス・タナピマとシャマン・ラポガンについては、『台湾高砂族系統所属の研究』(一九三五年)を紐解いてその家族関係を確認し、ルカイ族の農耕と狩猟については人類学の研究書を読んでいる。
 さて、『台湾原住民文学選』では、著者は編集者として作品を選定し、自らも翻訳にあたったが、出版後は新しく誕生した原住民文学が日本でどのように受け入れられたのかについて詳細に検証し、「日本における台湾原住民文学研究──翻訳・出版と書評を中心に」(第二部第三章)と「日本における台湾原住民文学の受容」(同第七章)を書いた。原住民文学に対する評価を総合的に見ることができる、貴重な論考である。
 原住民文学は生まれて三十年余りのまだ若い文学である。中国文学研究から出発し、台湾文学研究に転じた著者を、これほどまでに強く惹きつけるものは何だろうか。本書を読み進めるうちに、原住民文学研究者の孫大川(パァラバン・ダナパン、プユマ族)の文学論の存在の大きさを感じた。著者は孫大川の論考を編集して、『台湾エスニックマイノリティ文学論 山と海の文学世界』(草風館、二〇一二年)として翻訳出版しており、第三部第二章「山海の世界」にその解説が収録されている。今回、あらためて読んでみて、原住民文学を支える文学論だと認識を新たにした。「原住民文学は黄昏にあるのか、黎明にあるのか」という孫大川の言葉に現れた焦燥と希望が心に残った。
 著者と原住民文学の最初の接点は『悲情の山地』だったと先に述べたが、もうひとつ、重要な接点がある。それは鄧相揚の霧社事件研究書の翻訳である。第三部第一章「霧社からのまなざし」にあるように、鄧相揚の三部作『抗日霧社事件の歴史』、『植民地台湾の原住民と日本人警察官の家族たち』(以上、日本機関紙出版センター、二〇〇〇年)、『抗日霧社事件をめぐる人々』(同、二〇〇一年)を共訳・監修する過程で、何度も霧社や埔里を訪れ、霧社事件の遺族と深い交流を持つようになった。鄧相揚は霧社事件の当事者であるセデック族(当時はタイヤル族)だけでなく、埔里一帯に居住するサオ族や平埔族の研究者でもあり、原住民族を知り始めたばかりの著者や筆者に大きな視野を与えてくれた。著者はさらに「霧社」を書いた佐藤春夫をはじめ、戦前に原住民を描いた日本人作家の作品の研究も行なっている。
 こうしてたどってくると、著者が本書の巻頭に第一部「ふたつの物語──『サヨンの鐘』と『義人呉鳳』」を置いた理由も見えてくるのではないだろうか。
 本書にある通り、「サヨンの鐘」と「義人呉鳳」は戦前、日本人によって伝説化された物語であり、政治的に利用されたという共通点がある。「サヨンの鐘」は日本の敗戦によって忘れ去られたが、「義人呉鳳」は、いっそう美化され、白い馬に乗った呉鳳として戦後の台湾に生き残り、学校教育の場で原住民の子どもたちを苦しめて来た。一九八九年、原住民の抗議を受け、教育部は呉鳳の教材を教科書から削除すると発表している。
 著者はこのふたつの物語について、どのような事実が、どのような経緯で伝説化されていったのかを考察している。サヨンについては、一九三八年九月に起こった水難事故を当時の新聞記事で検証し、関係者の発言や書信などを分析して、伝説化の道筋を明らかにしている。一方、呉鳳は、十七世紀に生まれ十八世紀に死亡したとされているが、著者は日本統治時代の呉鳳顕彰の運動について、文献資料からその全体像を浮かび上がらせるだけでなく、オランダが台湾を統治した十七世紀に遡って、漢民族の移民の歴史にも触れ、中国の文献や、伊能嘉矩の『台湾蕃政志』や『台湾文化志』の記事もとりあげている。
 「サヨンの鐘」と「義人呉鳳」をめぐる論考には謎解きをするような面白さがあるが、それだけでなく、移民の歴史から皇民化運動まで、深く知ることができる得難い論文である。
 一九八七年に台湾で出版された『悲情的山林』(晨星出版。日本語訳は『悲情の山地』)には、七人の漢民族作家の作品が収録されたが、近年、漢民族作家が原住民を描いた作品が多く現れるようになった。陳耀昌、甘耀明、呉明益らである。
 陳耀昌が一八六七年のローバー号事件を描いた『フォルモサに咲く花』(東方書店、二〇一九年)と、パイワン族と清朝准軍の戦役を描いた『フォルモサの涙 獅頭社戦役』(同、二〇二三年)はともに著者が翻訳しており、『フォルモサに咲く花』の解説が第三部第六章に収録されている。これまで台湾史に書かれなかった、台湾原住民族の存在を描いた作家として、著者は陳耀昌を高く評価している。
 著者の視野は、台湾原住民族とその文学を軸として、大きく広がっているのである。

 本書『台湾原住民文学への扉』に収められた文章を、筆者は発表された折々に読んできたが、このたび、書評を書くにあたってあらためて通読して、その内容の深さに心打たれた。
 本書は、台湾原住民族について深く知るための格好の書である。原住民文学への手引きであるだけでなく、台湾原住民族の歴史や社会、文化についての確かな知識を得ることができる。さらに、例えば、漢民族の歴史や日本統治時代などについても適確な説明がなされており、貴重な資料集でもある。
 同じく台湾原住民文学を研究し、翻訳に携わる筆者にとって、本書は指針となる書である。
 台湾原住民文学が著者のような理解者を持っていることを幸いに思う。

(うおずみ・えつこ 天理大学非常勤講師)

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