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微観中国  (28)「ソフトパワー建設」にこだわる中国 その問題点は?
   
     


北京の伝統的な四号院

 

 先月末、北京で開かれた学術交流の場に参加する機会があった。中国でも近年議論が盛んになっている「軟実力」(ソフトパワー)や文化交流について、個人の立場で中国の研究者と意見交換した。会議は非公開だったが、主催者の許可を得て一部内容を紹介する。
 ご存知とは思うが、ソフトパワーは米国際政治学者のジョセフ・ナイが提起した概念で、軍事力に代表されるハードパワーとは異なり、その国の文化や価値観などが他国民に好感をもって受け入れられ、国際社会からの信頼や発言権を獲得できる、そのような力のことだ。
 中国のある研究機関に所属するA教授(実名は伏せる)は「中国の総合的国力の増強に比べ、それにふさわしいソフトパワーの向上が遅れている」と述べ、「(ある国の)ソフトパワーの強弱はその国の団結力、国際競争力、さらには国際関係において自国の利益を守り、自国の戦略目標を実現する能力とも関わっている」と国益と絡め、次のようにソフトパワーを論じた。

 

 

 

 
   
     

 

 

 教授は中国の学界におけるソフトパワーとは、「西側の学者の認識や理解とは本質的に異なり、『新たな自己』の創造、つまり国際社会の中国に対する誤った認識を変え、多元的世界に異なる解決方法を提供するものだ。『中国の品格』を示すことを通じて、アヘン戦争以来世界により歪められてきた中国のイメージを改善するよう努力するものであり、中国文化の優位性を宣伝し、外部に中国文化を強要するものではない。その意味で、中国のソフトパワーとは真に『ソフト』なパワーである」と強調した。
 そして「過去において、中国はグローバル化の衝撃により没落したが、今日の中国はグローバル化の潮流の中で必ずや台頭するだろう。国力の増強に伴い、より自信を持ち、開放的な心で、中華文化を広め、それに新たな意味合いを与えるとともに、中国のソフトパワーの競争力、中国の国際的影響力を高め、中国の新たな国際的イメージを創造し、『平和的発展』のため良好な国際環境を獲得するだろう」「中国5000年の輝かしい文化は、今日、中国の国際社会における地位や影響力を支えることができるだろう。我々は文化の自覚、文化の自信、文化の自強という3つの意識を持たねばならない」と主張した。

 ここまでは教授の見解に特に異論はなかったが、教授の見解で特に注目し、違和感を覚えたのは「ソフトパワー向上のためには『文化安全意識』を持たねばならない」という主張だった。それは次のようなものだ。
 「われわれの文化安全は脆弱な状態にあり、西側文化主導の中、中華文化の安全意識を持たねばならない。グローバル化の背景の下、『文化植民地化』という現象に注意が必要である。すなわち西側の先進国が、国際社会の経済、政治の主導的地位によって、自己の文化製品や価値観念を押し付け、文化や思想に影響を与え、他国の文化を同化する現象である。『文化植民主義』はしばしば『文化帝国主義』と同様と言われる。その特徴は、優勢な文化を持って弱勢の文化を圧迫、排除、さらには併呑することであり、その目的は、経済、政治、文化的利益を獲得し、(自国の)価値観、理念、観念が(他国よりも)文化的な主導権を握り、自らの望みやルールにより世界を創造することだ」。教授はこう述べ、文化安全問題で次のような点で注意が必要としている。

 「まず、(米国際政治学者、サミュエル・ハンチントンが提唱した)『文明の衝突論』は『中国文化脅威論』を作り出し、中国文化を西側文化と対立させ、中国文化を悪魔化し、中国文化の影響力や凝集力を弱めるものである。
 次に、米国など西側国家は文化的な優位性を利用してイデオロギー、価値観、生活方式を押し付けようとする。
 文化の安全は国家の安全の重要な一部であり、軽視することができない。国防建設、軍隊建設を進めるのと同様、文化建設を重視し、われわれの文化の長城、精神の長城が倒れてはならない」。教授はこのようにソフトパワーを国防問題まで引き上げて論じた。
 最後に、「悠久な歴史と世界に影響を与えてきた中華文化は、その独特の民族的特色を持つ人文精神、価値観、言語体系や民俗により世界に名高かった。だが中国の衰退に伴い、中華文化は西側の優勢な文化の圧力を受けてきた。改革開放後、中華文化は再び西側の文化植民主義や文化拡張主義の挑戦を受けている。グローバル化の中、中国の台頭は強大な中華文化の支えが必要だ。中国の総合的国力の強大に伴い、中華文化は全方位的に世界文化の発展の潮流に入り、中国の新たな国際的なイメージを再び作り上げ、文化ソフトパワーを十分示す必要がある」と締めくくっている。

 
   

 これに対し、自分は次のような意見を述べた。

 今回の中国側論者の報告を聞き、中国は東西文化を対立するものと考えるとともに、文化は政治、外交の一部であり、他国文化の浸透が最終的には政治体制に影響を与える可能性があると考えており、さらにはそうした対立局面の中で自らが守勢の側にあると認識しているとの印象を持った。

 中国は外来文化からの自国文化の防衛ということをかなり意識しているようだ。しかし例えば唐の時代、日本は大量の中国文化を受け入れたが、当時「文化侵略」などと考えた人はいなかったし、結果的に国の独立も失わなかった。そして唐は「文化強国」などということは自ら言わなかったはずだが、実際には当時世界一の文化強国だった。明治維新における西洋文化の受容も同様だ。

 「文化侵略」などを過度に警戒し、「文化長城」を築け、といった主張は、「文化鎖国」に陥る恐れがあり、マイナス面も懸念される。なぜなら(1)文化は相互交流の上に育つものであり、鎖国はこれに逆行する。(2)世界の潮流から遅れ、結果として世界に影響力を持つ新しい文化を生み出せない。

 中国には数千年の文化の蓄積があり、日本など周辺国家もそれを学んできた。それは中国文化が何よりも川上にあり、周辺国の文化水準が川下にあったからで、文化はいわば水が上から下に自然に流れるようなものだ。文化の流れをそれ以外の力でもって逆流させることは不可能だ。

 伝統的な中国文化は今でも生命力を持っている。日本では今でも中国の書画は高い評価を受けており、自分も含め太極拳の愛好者も多い。問題は今日の中国を代表する文化をいかに創造し、発信し、世界から理解と賛同を得るかだ。その核心的内容がまだ見えない。

 カギはやはり想像力を伸ばす自由な環境だ。例えば中国映画は1980年代に大きな発展を遂げ、日本でも「芙蓉鎮」などがヒットした。これは当時の時代環境の影響があると考える。今日こうした自由な創作環境は保たれているのか、例えばネットは今日、世界中で新しい文化を生む源泉であるが、中国政府の対応は創造力を発揮する方向に向かっているのだろうか。

     
   

 欧米や日本の文化との比較では、中国の現代文化は残念ながら「川下」にあり、これを無理やり広めることはいくらお金を投じても困難だということを伝えたつもりだ。研究会では、日中文化交流など幅広いテーマを論じたが、自分にはこの教授の「文化長城」や「文化強国」という大げさな発言が強く印象に残った。

 残念ながら、中国は最近も「文化軟実力建設」とは正反対の事件が起きている。報道でも知られているように、人権派弁護士や活動家を大量に拘束、取り調べを行い、国際社会から批判を受けている。タカ派の「環球時報」は人権弾圧だとの米国の批判など「靴底に付いたガム」にすぎず、無視して構わないと反発したが、このような状況で他国、特に西側社会から尊敬を受け、自国の文化的影響力を広げることは不可能だ。
 最近の報道でも、「ポートランド」という英コンサルタント会社が発表したソフトパワーの世界ランキングで、中国は30カ国中最下位(トップは英国、2位はドイツ、3位は米国、日本は8位)だった。報告は「中国はソフトパワー資源に相当な投資をしているにもかかわらず、中国の外交政策への認識(注:拡張主義的な外国政策が周辺国から脅威と認識されていること)と同様、人権や報道の自由などへの現状が、中国のソフトパワーにとって重石となっている」と論じている。

 ソフトパワーを提唱したジョセフ・ナイは、このほど発表した「なぜ中国のソフトパワーには限界があるのか」 という文章で、まさに中国ソフトパワーが抱える最大の問題点を鋭く指摘している。

 文章によると、中国は胡錦濤時代から今日の習近平まで、ソフトパワー建設に力を入れてきた。(最近、中国について厳しい論調を発表したことで知られる)中国研究者のデビッド・シャンボーは、中国は毎年『対外宣伝』に100億ドルを投じていると見積もる。これに対
して米国は6億6600万ドルにすぎないが、中国の「魅力攻勢」(相手の心をつかむため、意識的に親切で温かく接すること)はごく僅かな見返りしかもたらしていない、とナイは指摘する。

 中国の与える影響について、北米、ヨーロッパ、インド、日本の世論はいずれもマイナスが主流であり、プラスと見られたのは中国と領土紛争を抱えないラテンアメリカ、アフリカだが、それらの地域でも中国からの労働輸出には不満の声が強いという。
 「ソフトパワーとハードパワーを巧みに結合する戦略は、容易にできるものではない」とナイは語る。一国のソフトパワーの源は3つ、すなわち文化、政治的価値、外交政策だが、「中国は文化と経済の強さを強調してきたが、政治的な面がそうした努力を根本から損ねている事に注意を払っていない」と指摘した。つまり、前述したような人権問題や報道、ネットへの厳しい規制がプラスの価値を損ねているというのだ。そして2つの要素が中国のソフトパワーの制約になっているという。

 その1つはナショナリズムだ。中国共産党は現在、経済発展と同様、ナショナリズムに政権合法性の基礎を置いているとして、(ナショナリズムへの依存は、)「南シナ海などの紛争で隣国の反感を買い、習近平主席が世界にPRする『中国の夢』の効果を引き下げて」おり、例えば領土や領海をめぐる紛争が続くフィリピンで、中国政府が開設した「孔子学院」は好意的に見られることはない、としている。
 もう1つは「検閲なき市民社会」を活用することに中国が消極的であることだという。英誌「エコノミスト」によれば、中国共産党はソフトパワーの源泉が主に民間や市民社会であるとの考えを取らず、政府こそがソフトパワーの主要な担い手という考えにしがみつき、古代の文化的アイコン(孔子など)がいまだに世界的な影響力を持つと考え、プロパガンダの道具として使っている。
 一方で、米国のソフトパワーの源泉は政府ではなく民間、大学、基金、ハリウッド、ポップカルチャーなどであるとしている(これは日本もまさに同じ状況だ)。

 またメディアの分野では、中国は新華社や中央テレビ(CCTV)をCNNやBBCのライバルにしようと努力しているが、こうしたプロパガンダの視聴者は消え入るほど少ないとして、いくら大量の情報を流しても、視聴者からの信頼がなければ注目されることは難しいと指摘している。
そして中国政府による人権活動家への弾圧が、2008年の北京五輪で獲得したソフトパワーの価値を下げた上、2010年の上海万博で得た成果も、同年秋にノーベル平和賞を受賞した劉暁波が中国政府により投獄され、授賞式では受賞者のいない空の椅子が世界的に放映されたことで大きく失われたとした。
ナイは、中国の経済は力強く、その伝統文化も尊敬を受けている、と評価する一方、「もし中国がそのソフトパワーの潜在力を発揮したいのであれば、自国と海外での政策を再考する必要があり、隣国への主張や要求を制限し、市民社会の才能をフルに発揮するため、批判を受け入れるようにしなければならない」と指摘。「中国がナショナリズの炎を焚き付け、厳しい党の支配を続ける限り、そのソフトパワーは常に制限を受け続けるだろう」―ナイはこう結んでいる。


北京の大学構内にあったドラえもんの漫画
   

 筆者は日本の「ソフトパワー建設」について、会合で次のように述べた。

 日本は古来、一部の思想家を除けば、いわゆる異文化の進入に非常に積極的かつ無防備だったといえる。かつては中国、その後明治以降は欧米からの文化を積極的に吸収してきた。だが外来文化をそのままコピーするのではなく、自国の必要などに合わせて変えてきた。古くは漢字から仮名を生み、最近の卑近な例では中国でも「爆買い」ブームとなっているウオッシュレットがある。

 1945年の敗戦後も米国文化が大量に流入したが、その刺激を受けて、手塚治虫、藤子不二雄や宮﨑駿など世界的にも通用する漫画、アニメ作品を生んだ。したがって文化流入というのは必ずしも一方的なものではない。

 90年代までは、日本人は現代文化に対して必ずしも自信を持っていたわけではない。むしろ音楽、ドラマなどは欧米のコピーであるか、いずれにせよ外国で受け入れられるだろうとは考えていなかった。自分自身、こうした見方に変化が生じたのは1990年代末、台湾で日本のポップカルチャーを紹介する数多くの書籍やテレビ番組が制作され、「哈日族」という言葉が登場したと知ったのがきっかけだった。

 長年こうした自己卑下とも言える意識のもとで、それでも面白いもの、質が高いものを創りだそうとコツコツやってきた結果、日本発の文化が自然と世界からも受け入れられるようになり、今日のような状況を生んだのだと思う。いわば、「無意識の効用」であり、最初から日本文化を海外で広げ、しいては政治的影響力も及ぼそうと考えていなかった。

 つまり、ソフトパワーを政治的、外交的な道具と考え、自国の人権問題などマイナスイメージを埋め合わせようとする発想にそもそも問題があり、民間の創造性を育て、結果的にそれがソフトパワーとなるのを見守るしかないのだという意見だ。筆者は中国側に「日中は文化的共通性もあり、軍事面では不可能でも文化面での協力は可能だ」と述べたが、それには中国側も「文化安全」などの硬直的な考え方から自由になる必要がある。今の中国にこうした発想を転換する可能性はあるのだろうか。

 
   

 

 

 


「網民」の反乱 ネットは中国を変えるか?
古畑康雄

 

   
 
古畑康雄・ジャーナリスト
   
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