1、中国をどう見るか
2002年から12年までの10年間、中国では予想できない大きな変化が起きた。02年、在米華僑、ゴードン・チャンが「やがて中国の崩壊が始まる」を出版、大きな反響を呼んだが、実際には崩壊は起きなかった。金融システムを国家が支えるなど中国社会に強靱性があったからだ。それどころか、08年には数々の奇跡―北京五輪、リーマン・ショックの回避、高速鉄道、神舟号有人ロケットなどの大きな成果を呼んだ。
人々は中国の経済制度は世界最良であり、リーマン・ショックにおいては中国こそが世界を救うことができるという考え方が広まり、「北京コンセンサス」という言葉も登場した。
だが11年から、中国の発展モデルへの疑問が広がった。それは7月23日、浙江省温州市で起きた高速鉄道衝突事故がきっかけだ。人々は突如、中国経済の猪突猛進は、対価が大きすぎること、手段を選ばない発展、制度や法律、道徳に縛られない悪質な発展の結果は土地や大気の汚染、人心の荒廃など、予想できないほどの破壊を生んだと悟った。
中国経済の現状について、国内では右派、左派を問わず悲観的だ。具体的には次のような問題や危機が存在する。
- 生産能力の過剰
- 通貨乱発による流動性過多
- 莫大な地方債務
- 金融システムのリスクの蓄積
- 生態環境の破壊
であり、中国の学者の方が外国の学者よりも悲観的で慎重だ。
中国共産党は執政の合法性を次の3つに置いている。すなわち
- 「鉄砲から政権が生まれる」という暴力革命による政権奪取
- マルクス・レーニン主義から毛沢東思想、鄧小平理論「3つの代表」、「科学的発展観」、「中国の夢」など党の指導理論の正しさ
- (3)改革開放以来の経済発展
だ。
だが問題はこの3つのいずれもがかつてないほどの試練にさらされていることだ。まず、「鉄砲から政権が生まれる」ということは、別の人も同様に武力で政権を奪取していいことになる。これは中国史の「勝てば王、負ければ賊」の歴史を繰り返すことになる。次にマルクス主義の一部の理論は今でも有効かということだ。党内でも本当にマルクス主義を信じているのが何人いるのか?最後に、経済に頼った政権維持は、もし経済が下り坂になれば社会の矛盾を増大し、政治の不安定を生むことだ。
2、日本をどう見るか
自分は真に日本を理解したいとの思いから来日した。民間の日本への各種の誤解の責任は政府と学界にある。自分は日本の友人に対して、中国の目で、中国の問題意識を持ち、中日を比較しつつ日本を観察したいと述べた。4つの方面から日本の長所、日本の核心的優位性を指摘したい。
第1に、日本の民族性、文化、生活方式、精神性は天皇制を中心に一体性を保ち、2000年以上、制度の変遷により実質的変化が起きなかった。
明治維新後も、天皇の国家権力における役割は根本的な変化がなかった。天皇は権威があっても権力はなかったが、国家の統合の民族の凝集に決定的な役割を果たした。天皇は国家の制度が失効した時、あるいは重大な危機に差し掛かった時、決定的な役割を果たした。裕仁天皇は終戦の詔勅を発し、ポツダム宣言を受け入れ、福島原発事故では、明仁天皇は被災地を慰問、制度が果たすことができない役割を果たした。
天皇制は日本民族と国家の統合であり、物理的な力を通じてではなく、内在的な精神的な力を通じて、集団的無意識や、民族の文化心理構造を形成する。この精神の力は強大な凝集力を持ち、国家と社会の安定、民族共同体の一体性を保全する。これは日本社会が持つ内在的な優位性であり、様々な社会や自然の災難を乗り越え、エスニックグループの衝突や分裂を経験せず、国民が調和していることは深い印象を与える。
第2に、日本は伝統と現代、東洋と西洋の間の矛盾を比較的上手に解決し、異なる価値観の間の衝突が起きなかった。中国は西洋との制度、価値観の共存、伝統と現代の強調の問題に取り組んできたが、いまだに良い答えを見出していない。
日本は中国よりも先にマルクス主義や社会主義を取り入れたが、中国のように天地を覆す社会変革を起こさなかった。各種の思想や信仰の存在は、日本の良好な思想のあり方を形成し、神道も仏教もキリスト教も、儒学も西学も国学も、国民がそれぞれ必要な物を取り入れる一方、社会的、エスニックグループの衝突を起こさなかった。東京の現代的な風格と京都、奈良の古い風貌は伝統と現代、東洋と西洋の協調の状態を示している。
第3に、日本は明治維新以来、立憲制度、文明開化、殖産興業により近代化の道を進んだ。この間対外侵略戦争という重大な偏りによって、他国だけでなく自国民にも重大な損害を与えたが、戦後は平和憲法により経済を発展させ、民主を重視し、現代化の道を再び進んだ。全体的に見て日本は近代100年あまりの間、世界の潮流に順応し、文明国家の姿を実現した。このような成績を得たのには、数代ものエリートたちの役割が大きかった。
中国にも近代人材がいなかったわけではない。だが制度に問題がある中で彼らは才能を発揮できなかった。清末の政変、あるいは国共の争いで、多くのエリートたちが失われた。これが中国の近代化の歩みが遅かった重要な原因だ。
第4に、国家の発展や文明の程度は、制度や技術、文化、教育などのほか、国民の資質、つまりは国民性を見なければならない。日本に来て、国民性や国民の資質の上での中国との格差を感じる。魯迅による阿Qの精神勝利法の描写は、中国の国民性についての最も深い分析だった。だが魯迅が死んで70年以上たち、国民性は進歩したのだろうか?中国の全体的な道徳の堕落はかつてないほどであり、国民の現代的人格や現代的精神は物質面での豊かさにより生まれていない。
中国人は日本人の総合的な資質をすでに理解している。福島原発事故後、日本国民が災害に直面して見せた落ち着き、自律、秩序、助け合いがテレビで放送され、中国人に深い印象を与えた。
日本の国民性について言えば、自律、礼儀、清潔、真面目、細かさ、時間を守る、仕事を尊ぶ、忠誠、協力などの言葉が浮かぶが、最も突出しているのは日本人の真面目さだ。
明治維新の主要な任務は立憲制度、富国強兵、殖産興業のほか、文明開化であり、明治時代の重要な成果は、東大、早稲田、慶応などの多くの大学を作ったことで、日本の国民性を作り上げるための基礎を作った。
だが、日本も他の国家同様、完全ということはなく、歴史上重大な誤りを犯し、世界特に中国に対して大きな損害を与えた。現在日本は制度、思想、価値観、国民性などに欠点や限界があり、日本の国民や知識エリートはこうした問題を反省しようとしている。
(1)日本の歴史観や歴史価値観を省みる必要がある
日本は歴史観や歴史価値観について深く省みる必要がある。歴史観とは歴史への見方、歴史の事実判断であり、歴史価値観とは歴史への評価、歴史の価値判断だ。東アジアの問題は領土の争い、イデオロギーの争い、国家利益の争いがあるが、突き詰めれば異なる歴史観や歴史価値観の争いだ。
百年近くの間、日本は中国に2度戦争を発動した。最初の日清戦争で日本は中国に勝ち、下関条約により多くの賠償金と台湾を手に入れた。この戦争は客観的には中国社会の転換を加速した。中国の有識者は日本のような憲政の道を進み、政治制度改革を進めなければならないと認識した。この意味で、日清戦争は中国社会、政治の転換に必要な対価だった。日清戦争がなければ、清の崩壊は遅れただろう。
だが、日中戦争は意義が全く異なる。それは中国が既に入っていた憲政のプロセスを中断させ、確立し始めていた政治秩序や社会のバランスを破壊し、窮地に追いやられていた共産党に千載一遇のチャンスを与えた。日中戦争により、中国社会は自由主義の憲政革命から離れ、全く違った道、つまり共産主義革命へと取って代わってしまったのだ。
多くの日本の政治家や学者は、日々強大化する中国が日本の国家安全やアジアの国際秩序へ与える影響を懸念する。だが日本の政治家や学者が心配する、強大だが憲政を行わない中国は一体どのようにしてできたのか。もし日本が侵略戦争を発動しなければ、中国はどのような状態となり、中日関係はどのような局面になっていただろうか。日本はこうした問題について深く考える必要がある。
(2)日本の大局観や世界観を省みる必要がある。
日本人は細部にこだわるあまり大局を見誤り、視野が狭いと言われる。日本の限界は自国の歴史観や歴史価値観から物事を見て、大局観や世界観に欠けていることだ。日本は古今東西の問題を良好に解決したと述べたが、世界認識において、島国意識ゆえに明治維新以降の世界に融合できず、アジアの指導者の役割が期待されたが実現できなかった。戦後も世界的な局面の中での責任を果たすことができなかった。
それは日本がアジアを統合する新たな思想的資源を準備していなかったからだ。脱亜入欧、あるいはアジア主義にしても、中国文化の影響力を超えることはできなかった。日本は戦争という方式により自らを中心とするアジアを強制しようとしたが、これは自滅への道だった。
戦後日本は世界第2の経済大国となったが、その経済発展を誇っていた時、世界に対して普遍的な意義がある価値体系を提供できなかった。日本はアジアにおいて、正確な歴史観と歴史価値観を持ってアジアの国家に直面していない。このような状況で、日本はどうしてアジアの指導者になれるだろうか。
(3)社会のエリートの責任と使命を深く省みる必要がある
近代日本でエリートが果たした重要な役割を指摘したが、一方、犯した誤りや寄り道は、いずれもエリートの誤った決定や参加と関係がある。日本のエリート、特に知的エリートは、日本近代の重要な局面で、あるべき批判精神を発揮できず、国家利益を超越した歴史的役割を果たすことができなかった。
日本がアジアや世界でその国力に相応する責任を果たせるかは、政治家だけでなくエリートにとっての試練である。中日関係について言えば、両国がそれぞれ民族主義や民意に縛られ、操られているが、直面する問題を解決するのに、両国が民意に訴えたら戦争は避けられない。今日の中日関係を解決するカギは民意ではない。政治家が民意を思うままに利用し目的を果たそうとすれば、これは国家を行き詰まりに導くことになる。知的エリートは歴史上犯した誤りを再び犯してはならず、学者としての良知や独立性を保ち、国家や民族、歴史のために正しい道を開かねばならない。
3、中日関係をどう見るか
今回日本に来て、多くの友人、官僚、政治家、学者らと会い、同じ問題を聞いた。つまり中日関係をどう見るかということだ。その答えはいずれも比較的悲観的なものだった。
2006年、安倍首相の訪中、「破氷」の旅に続き、温家宝首相の来日「融氷」の旅、福田首相の訪中「迎春」の旅、胡錦濤国家主席の来日「暖春」の旅と続き、2008年は両国関係が最高潮を迎えた。だがその「暖春」は長く続かなかった。現在の氷点に陥った両国関係から見て、08年の「暖春」は隔世の感がある。
中日関係がなぜ行き詰まってしまったのか?中日間の答えは異なるだろうが、正常化を阻害しているのは主に3つの問題、すなわち、歴史問題、釣魚島問題、靖国神社参拝問題だ。この問題がなぜこれほどまでにこじれてしまったのか。日本外務省の幹部の説明は次のようなものだ。
まず1つは時代が変化したことであり、田中外交が中日国交正常化を一気に解決したように、中日関係はかつて政府レベルのみに限られていた。だがこのような外交はもはや通用しない。ネットにより人々が十分な情報を得たことで、政府が独占していた情報が公共のものとなり、少数による外交は大衆が関心を持つ問題となり、民意は外交が考えなければいけない重要な要素となった。
第2に、かつて両国は鄧小平のいう争いの棚上げという原則を守ったので、話し合いの余地はあった。だがこのバランスが崩れると、衝突は避けられない。
第3に、中日両国の政治家が民族主義を利用し、国内の民族主義的感情を刺激しある種の政治的目的を達しようとすることだ。
この外交官が指摘した原因は理性的で的を射ており、日本政府の立場だけから問題を見ていない。第2の原因について言えば、中日間の利益の一致性はその分岐よりもはるかに大きく、中日は利益共同体になっており、両国の経済的連携や貿易はそれぞれの国家の上位を占めている。釣魚島あるいは尖閣諸島は中日関係の中で一体どれだけの利益を占めているのか。釣魚島で戦争をし、どちらが勝ってもどれだけの利益があるのか。それぞれがマイナスの利益となり、双方が負けになる可能性が高い。
自分が中日の争いを歴史観や歴史価値観の争いだというのは、政治家たちに、国家利益を守るとの名義で行う外交政策が、本当に国家の最大利益を守っているかを注意喚起したいからだ。独立した立場の学者としては、民意と政治家に縛られ、巻き込まれることから抜け出すことが最も必要だ。
日本共産党の幹部と話した時、彼は安倍首相への提言として、現実を正視し、アジアの情勢やアジア各国の関係を正確に認識し、日本がかつてのようにアジア最強の国家でないことを認識すべきだと述べた。また日本が中国を見る場合、中国の主流メディアに惑わされることなく、中国には各種の声があることを認識する必要があると述べた。
同時に中国に対して、民族主義の感情を抑え、これを刺激せず、歴史の細部にこだわらず、現実から出発しなければならないと述べた。そして日中両国の強硬派はお互いに対立しているように見えて、お互いに支えあっており、相手への反対の声の中で自らの影響力を高めていると述べた。
この幹部は3つの提案をした、つまり
- 釣魚島、尖閣列島問題は、時間がかかるが外交を通じてのみ解決が可能だ
- いかなる時にも武力を用いた問題解決をしてはならない
- 釣魚島や尖閣諸島のこの小さな問題ゆえに日中関係の大局に影響をしてはならず、両国トップが交流をしないのは、非常に理知的でないやり方だ。
私は彼の見方は非常に客観的で公正であり、大多数の日本人の見方もこのようだと信じる。
日本に来て見聞きし、日本への元からの印象を強めた。つまり日本は豊かな国家というだけでなく、文明的な国家であり、中国に比べはるかに公平公正な国家だということだ。日本のジニ係数はわずか0.285で、政治の清廉さや透明さは世界でも最前列の30カ国に入り、政治に腐敗はないとはいえないが、有効にコントロールされている。このような国が再び戦争の道を進むとは考えられない。多くの日本の友人は、日本でどうやって軍国主義が起きるのか、愛国主義すらないと私に語った。
一方中国を見ると、愛国主義の旗印のもと、2つの主義が非常に高まっている。民族主義と民粋主義(ポピュリズム)だ。これと相応する2つの感情が非常に高まっている。つまりは革命の感情と戦争の感情だ。民族主義の旗印を掲げ、街をデモし、日本に抗議し、日本製品をボイコットし、さらには破壊行為をする人々は、大多数は中国の底辺で生活し、国家の発展からいかなる利益も得ていないのであり、彼らは内心では、戦争や革命により現有の権力や利益構造を転覆したいと思っており、現有体制では変えることができない生活の状態を再び変えたいと思っているのだ。
中国は重大な制度や社会の問題が大量に存在し、長年蓄積した矛盾が爆発する可能性がある。中国の外交は内政の外延だが、いまや外交政策は中日関係で行き詰まっているだけでなく、その他の国際問題でも受け身になっている。かつて中国の友人は世界に広がっていたが、今本当の友人はいるだろうか。
中日両国は確かに両国間の歴史的な問題を根本的に解決するのは困難だ。民意の支持に訴えるにせよ、政治家の智慧に訴えるにせよ、歴史問題を解決する正確な道筋や方法は見いだせない。中日は戦争の他に他の選択がないのか。私はこの問題には答えがない。だが私が期待するのは、ネット技術は国家、制度、民族、種族、地域、文化の差異やそれによる歴史観や歴史価値観の差異を取り除くことだ。人類の共通認識や普遍的価値は空気のように、欧州、米国、アフリカからアジアの上空へ流れ、そして中国と日本の国土も覆っている。このことからも中国と日本は共通の問題を解決し、真の友好の隣国となれると確信している。
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