中国古版画散策 第一〇六回

投稿者: | 2026年10月15日

名勝・山岳図をめぐって②
西湖(上)

瀧本 弘之

 浙江省杭州にある中国随一の景勝地・西湖を描いた、最も早期の絵(紙本)として知られるのが伝・李嵩の「西湖図」だ。しかしこれは「伝」が付くだけあって、時代についてははっきりしないようだ。最近は中国のネット上でも、この上海博物館に収蔵される傑作絵画について、大勢のライターやブロガー(?)が、図版付きで盛んに論じているようだ。制作された時代について、かつては「南宋」とされていたが(李嵩が南宋の画家であることがはっきりしているので)、近年では明のものだろうともいわれている(「伝」が付く由縁だ)。私はかつて1990年代、東博に来日した「上海博物館展」で自分の眼で観た記憶があるが、実際のところよくわからなかった。人ごみにまみれて瞥見したようだが、それは混雑の中での見学で、まともな感想は得られなかった。当然のことで、手に取って眺められるような至近の環境でなければ正確な判断はできない。ましてやぞろぞろとした行列の中での、ガラス越しの「見世物」見学では、初めて観るものについて確かな判断などできようもない。

図1 伝李嵩の「西湖図」ウィキペディアコモンズより。部分

 ともあれこの作品には皇帝や歴代の鑑賞家が観賞した判子が幾つも捺されていて(古希天子は康熙帝、太上皇帝は乾隆帝か)、掲載写真の右側には沈周の「湖山佳處 石田(石田は沈周の号)」という賛と康熙帝の長めの標語までついている。最低限「明」のものであることは間違いない。だが、より時代を遡らせることが作品の価値上昇を保証する文化のなかでは、こうした傾向も妥当なのかと納得する。ちなみに沈周は明中期の文人で、蘇州の名家の出身。呉派の領袖とされる。
 この作品はまるで飛行機に乗り空中から俯瞰したような西湖の風景で、中央には西湖そのものの水面を描き、右に孤山、左に雷峰塔を配している。水上には幾艘かの小舟が浮かんでいて、全体が薄靄の中に浮かぶようなおもむきだ。考え方によっては、余りにも近代的な写実を追求しているともいえる。これそのものについてなのか確証はないが、「李嵩の西湖図」は非常に有名な作品として扱われてきた。後に清の順治年間に重刊された『西湖志類鈔』(内閣文庫蔵、四巻。原刊は明の万暦頃か、この本に付けられた多数の図版については後に紹介する)の「巻首」にもその名は引用されている。ここで列挙された名作の筆頭に「張靖之題李嵩画」があり(以下の絵画作品引用はすべて題詩らしきものを挙げているが、絵そのものは論じていない)、続いて「唐文鳳跋馬遠山水図」「凌雲翰題王蒙山房図」「劉士亨題戴進西湖図」「劉伯温題玉澗和尚西湖図」「張靖之題戴文進西湖景二首」とある。それだけ知名度が高い作品だったということだろう。この伝李嵩図を見ると、面白いのは雷峰塔がきちんとした姿で立っており、まだ上部が崩壊していないことと(伝承では倭寇の襲撃によって一部が崩壊したとされる)、孤山が極めて大きく描かれていることだ。他の西湖図ではこのような大きな孤山は見られない。

図2 『三才図会』(上海古籍出版社、1988年)。合計4見開きになる。

 続いて、明末に江南で刊行された『三才図会』の図版を見てみよう。図入りの百科事典で大変著名なものだが、余りに大部の書物のためたとえ原本があったとしても使いこなすのは難しい。幸い1980年代に上海古籍出版社から縮刷の影印本三冊セットが出て、全体を掴むのには困らなくなった(図2)。時代的に明の出版文化が頂点に達したことを示すような書物で、その影響は日本においても小さくなかった。ちなみに『和漢三才図会』という書物が江戸の中頃に大坂(阪)で出されているが、これなどその第一の影響の見本だろう。「図会」は図を集めたものの意味で、図絵と書くと誤解する(間違いだ)。書名はあくまで『三才図会』と書かねばならない。三才とは天地人の意味で「世界のすべて」の図解本なのだ。
 図は影印本の西湖部分の見開きをそのまま上から並べたもので、見開き3つを表している。右上から右下、左上の順に続く。図版の後に文字が続くがここでは「西湖在杭州府城外武林多山而……」と標点なしの文が続く。図3は「西湖図」の6頁分、3見開きを繋ぎ、貼り合わせて作ったものだ。これでは、図が小さすぎて風景の良さが伝わりにくい。もとの図版ならば多少細部が理解できる。『三才図会』の西湖図は、それまでの書物にない西湖の姿を描き出している……というのは東西に長いパノラマを書物上で展開したからで、しかも均質の図版であたかも絵地図のように見せているのは、まことに巧みで空前絶後といえそうだ。最初の見開き図版でも右上に「西湖図」と表題を囲みで掲載しているが、これが見開き合計3図の総タイトルになっている。

図3 筆者がパソコン上で作成した「西湖パノラマ」(元は上海古籍版『三才図会』)

 小さくて分かりにくいかもしれないが最初の見開きでは、中心に岳飛の墓所があり、その左に北高峰がある。孤山もその下に見える。林和靖の祠がある孤山は左側に描かれる。ここは後に康煕・乾隆皇帝の行宮が築かれた西湖の一等地だ。
 次の見開きは、飛来峰・天竺寺が中心に位置し、湖水に遊ぶ舟の形までうかがわれる。一番左にいくと南高峰・雷峰塔・胥山が現れる。こうしてみると、一挙に西湖周辺を「雅遊」できるともいえるし、委細にわたってそれらの場所が示されているので、これはまことに楽しくまた便利なものである。もっともこれは実際の風景の縮図ではなくて、うまく再構成されて、理解しやすいように作られた「虚像」であることは、その地に行ったことがある者であれば理解できるだろう。

図4 『吉田初三郎の鳥瞰図を読む』河出書房新社 2009年 より「京王線」(部分)

 私はこの西湖図を観ながらどこかで見たようなアングルだなと感じていたが、ずばり戦前の大正・昭和時代に流行した観光地案内地図にそれはあった。これは「大正の広重」とも呼ばれた「鳥瞰図師」吉田初三郎(1884-1955)の作品にこうした作風に通じるものがあるからだ。参考と比較のために、吉田の作品の一部を掲載しよう。図4は京王電車の路線を示しているが、中心は京王閣というかつてあった遊園地で、今は競輪が行われている。東京より大きなその形にもこの絵では不自然を感じない。図5は甲府から富士山の辺りを示しているが、川の幅は異様に太い。

図5 『吉田初三郎の鳥瞰図を読む』河出書房新社 2009年 より「甲府―身延」(部分)

 近代フランスの代表的な哲学者のひとり、メルロ・ポンティー(1908-61)に、人は眼で観た自らの関心が深い部分を大きく捉える……というような主張があったように思うが、そこに通じるものを深く感じる。網膜に写った映像が、人間の脳の中で拡張されてクローズアップされるということなのだろう。遠くの美人が大きく見えるのも、見る人間の関心に比例するということらしい。

 次回は引き続き、明から清にかけて西湖図の系譜を探っていきたい。

(たきもと・ひろゆき 著述家、中国版画研究家)

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