墨子に於ける産神と守護意識の関係について

投稿者: | 2026年10月15日

松宮 貴之

■詩経「生民」篇論考

 先稿まで見てきたように、中国に於ける墨子の工人、罪人、そしてその流れの書人としての文脈は一先ずおいて、『詩経』の禋祀を源泉として進展したと考えられる「ムス」「生子」の文脈に就いて、ここで考察したい。
 まず「ムス」とは、日本語の「ムスビ」の源流であると観念できる。なぜならば、和語による「むすび」の例をみると、蒸す、生す、産す、という草や苔の生える様を表すものが多く、暖気や湿気によって生じる「蒸す(ムス)」という古義につながるからである。そしてそのイマージュから、雨乞い儀礼につながり、更にさまざまな類感呪術へと展開したものと考えられる。
 ここから和語の「むすぶ」、つまり、紐を結ぶ、結縄から転じて契る、約束する義へと変貌したと観念でき、「結ぶ」「掬ぶ(両手で水などをすくいあげる)」はいずれも「蒸す」を根義とする系統の語であろう。
 例えば「ムス」は、『詩(し)経(きょう)』生民篇に、

厥初生民 時維姜嫄 生民如何 克禋克祀 以弗無子 履帝武敏 攸介攸止 載震載夙 載生載育 時維后稷
誕彌厥月 先生如達 不坼不副 無菑無害 以赫厥靈 上帝不寧 不康禋祀 居然生子
 周の民の始まりは姜嫄による。どのように始まったのか。姜嫄はよく禋祀をなした。しかし子に恵まれなかった。あるとき天帝の足跡が残されていたのを見、それに己が足を乗せてみたところ、福が姜嫄にもたらされ、懐妊した。以降姜嫄は身を慎み、我が子を養うのにいそしんだ。そうして生まれたのが、后稷である。
 月が満ちて子どもが生まれたが、その初産はまるで子羊のようにすんなりとスムーズであった。母の体は裂けることも傷つくこともなく、災いも害も一切なかった。それほどまでに神霊の威光がまばゆく輝き、上帝(天の神)もじっとしておられなかった。姜嫄はわざわいなき禋祀を受け入れ、不思議なことに(すんなりと)御子をお産みになった。

とあるように雨乞いによる再生の類感呪術である「禋祀」を行って子を産む(生子)という描写が確認できる。
 また『詩経』では「烝民」という語がよく出てくる。この「烝」は毛伝によって「衆(もろもろ)」とよく訓じられたが、本来「むす」意であり、思文篇には、

思文后稷 克配彼天 立我烝民 莫匪爾極 貽我來牟 帝命率育 無此疆爾界 陳常于時夏
 なんと立派な后稷(周の祖先)よ。天に匹敵する偉大さを持っていた。私たち多くの民を立ててくださり、すべてがあなたの指導(極)に基づいている。私たちに麦を残し、天帝の命によって広く育ててくださった。これより先、限界などない。天の礼を列ねて、この夏を治められたのだ。

とある。
 落合淳思氏に拠れば、「蒸」とは穀物を蒸して捧げる儀礼が古義であるとする。蒸気が「下から上に湧(・)き(・)上がる」という生(・)み(・)の感性が本義として敷衍した故に、艸冠が付されたあと、草木が次から次へと群生し増えていく様子とも相まって、「多い」「もろもろの」という意味に派生したのであろう。
 これらの「生」の文脈は、例えば日本古来の習俗たる生子(せいご)の「あやっこ」が、祟り(禍(か)根(こん))を祓い、天に護ってもらい恙なく生きることを祈る「呪術」の名残りであることと、見事に符合する。
 額に「☓」「犬」などと墨書する習俗「あやっこ」の源流は、古代中国の『易経』にあるように「天(・人頭強調人形)」字を「入れ墨」とする釈ともつながる。ここで天と入れ墨とを「ムスビ」、邪霊から解放しようとする人間愛の宗教性に推移し、それがのちに思想として論理に変貌したのであろう(次稿「『墨子』兼愛篇の新解釈」にて詳述予定)。
 換言すれば、天と「入れ墨を通じて結ぶ」ことによって、邪霊(死)から解放される意味にもなったのであろうと考えられる。

■節葬篇に隠された意味

 私は以前『入れ墨と漢字』(雄山閣、2021年)の中で、

 諸子百家の思想に於いて、殉葬を忌避した言説を残した論者として、墨子が挙げられる。節葬論は下篇しか残存していないが、派手な葬儀は生産の妨げとして、儒家の厚葬久喪に反した説を説き、殉葬批判を力強く唱えている。
  曰天子殺殉,衆者数百,寡者数十。将軍大夫殺殉,衆者数十,寡者数人。処喪之法将奈何哉。
  (天子の葬儀にあたっては、殉死者として殺す人数は、多い時には数百人、少ない時でも数十人である。将軍、大夫の場合は、多くて数十人、少なくて数人。喪の法として如何であろうか。)
 節葬篇は殉葬批判でもある。これは、殷以来の文化を継承する殉葬(この場合、人牲)で人身供犠に用いられてきた墨子集団にとって、切実な問題であったと考えられる。
 そもそも想像を逞しくすれば、墨子の墨とは入れ墨であり、黒(入れ墨)と土で構成されるその文字形は、入れ墨を入れた者を土に埋める殉葬を原義としていたのかもしれない。
 つまり、節葬篇の核心には、黒(人牲)への嫌悪感があったと考えてもいいだろう。

と述べた。更に

 その中で、厚葬を人口の減少と結び付ける発想は、その昔、半農半狩猟の部族における強力な敵の首を狩る習俗とつながる。黒(霊)が相手側の力を減らし自集団の霊力を増強すると考え、敵の首を集めて棚にずらりと並べ、村落の繁栄を祈る一種の祭壇とされていた。農耕民の間では、霊の数が増えることで生産力が増強されるものと考え、作物の豊穣、家畜の増産、部(・)族(・)民(・)の(・)多(・)産(・)の(・)儀(・)式(・)を行った。これは首が供えられた時代とその部族(殷の百姓・苗)の全面否定であり、180度変わった合理主義によって変貌された事件であったと言えるだろう。

と古代中国の習俗に就いても言及した。殉葬への嫌悪とは別に『墨子』節葬篇には、

又曰上士操喪也、必扶而能起、杖而能行、以此共三年。若法若言、行若道、苟其飢約、又若此矣、是故百姓冬不仞寒、夏不仞暑、作疾病死者、不可勝計也。此其為敗男女之交多矣。以此求衆、譬猶使人負剣、而求其壽也。衆之説無可得焉。
 また言う、上士が喪に服すときは、必ず人に支えられてようやく起き、杖をついてようやく歩き、これを三年間続けると。その教えのままに、その言動をまね、その生き方を道として、もし飢えや困窮があってもまたこのようにする。だから、百姓(庶民)は冬の寒さもしのげず、夏の暑さにも耐えられず、病気や飢えで死ぬ者が数え切れないほどである。これが男女の交わり(子孫繁栄)を損なうことも非常に多い。このようにして人々(の支持)を求めようとするのは、たとえば人に剣を背負わせてその長寿を願うようなものであり、民衆の納得のいく道理を得ることは決してできないのだ。

とあるように、死より生子(多産)、豊饒の文脈を尊重している。これは女子供を護る意識、更にそこから敷衍して、弱者の守護、非攻、公輸篇の墨守に繋がったと観念できる。このように源流をたどれば、みな焼畑、禋祀の産神崇拝に起因するように推せる。
 例えば、白川静によれば、「社」という漢字の成り立ちは、まさに土地の守護神(産土神)のような観念を示しており、墨子が大切にした「地域で集まって社神を祀り、郷里の絆を深めるという姿勢は、日本の「産土詣(うぶすなまいり)」や地域の秋祭りなどの精神と近い性質を持っている。
 であるならば、やはり明鬼篇に散見する「祭祀」は「禋祀」であると仮定でき、墨子の思想の淵源は「社」で行われる禋祀であり、先の稿で述べたように、それは「誓」に基づく、類感呪術を「脅し」とした刑罰の宣告の場であったとも考えられるだろう。
 つまり、『墨子』に頻出する「土」と「火」に纏わる記述は、かれらが禋祀に用いる「火」と、そのあとに残る「土(煤)」という根源的な物質を通じて、「生の根源」を崇める習俗を有する集団であったことを如実に表していると言えるだろう。

 また、焼畑の文化的意味について、坪(つぼ)井(い)洋(ひろ)文(ふみ)氏は、下記のように述べている。

…火に対する恐怖の側面としての燃焼による焼去が、次の過程では再生、豊熟といった生産機能をはたし、それが赤い火と大地との超自然的作用として受けとめられたのであろう。地上の植物が枯死して種子化する時期、それは大地の生産力が衰え、大地を包む宇宙の衰弱するときであった。このとき、大地を焼き種子を埋めることによって、やがて若々しい発(はつ)芽(が)が期待されたのは、宇宙に生命体としての働きのあることが認識され、その認識は人間そのものが行う生殖行為の体験に根ざすところと同じものであった。
 大地が炎となって赤々と燃えさかる状態は、男女の生殖行為における女性の発情であり欲情であって、女性のみが備えた生理の象徴であった。これに種子をはらませ、さらに男性の白い液としての雨をそそぐことによって新生なる発芽がうながされるわけである。大地は女性そのものであり、火は女性の生産意欲の表現であった。…

 これに拠れば、焼畑と生殖行為の比喩的関係、さらにその類感呪術としての「生子(せいご)」の意味は、見事に浮き彫りにされている。つまり、墨子に於いては、人や動物の供犠による罪の燃焼の裏面で、生子を重んじ、女子供、弱者を護る意識、すなわち生殖崇拝が秘匿されていたと考えられないだろうか。
 以上総じて、墨子の専守防衛の意識の中核には、女子供を護る古来の産神崇拝が基底にあったのではないか、その蓋然性を指摘して、本稿の末尾としたい。

墨子 備城門章句

 

(まつみや・たかゆき 国際日本文化研究センター共同研究員)

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