台湾 魚池の中村農園
戦前台湾で森永紅茶の原料が作られていた話は、既に「第24回 森永紅茶とその歴史的なつながり」で紹介したが、今年(2026年)に入り、ついに高知、三重、奈良と台湾魚池産の紅茶をブレンドした「薫ル紅茶」が森永製菓より発売された。数年に渡り、森永紅茶の歴史及び国産紅茶との関連を追いかけてきた者としては実に感慨深いものがあり、関係者のご尽力には敬意を表したい。
その台湾南投県魚池には森永紅茶の原料を作っていた持木農場の他に、横浜の大茶商駿河屋の息子、渡辺傳右衛門が開いた渡辺農場があり、2年前に渡辺農場で製茶師をしていた林火爐氏の子孫に対面して話を聞き、農場のあった場所にも案内してもらったが、残念ながらほぼ何も残っていなかった。
実は魚池でアッサム紅茶を製造したのは渡辺・持木だけではなかった。戦前長らく静岡県茶業会議所会頭を務め、茶業組合中央会議所会頭にもなった中村圓一郎もその一人だ。中村家は圓一郎の父、圓蔵が醤油業と共に、明治初期に茶業を興した。そして圓一郎の時代には、日本茶業の中心的な存在となったが、太平洋戦争が始まった1941年に圓一郎は社長の座を息子の秀平に譲り、その死と共に茶業を辞めてしまった。戦後も醤油業は継続され、現在も榛原郡吉田町にその工場は建っている。

中村圓一郎
また圓一郎は製茶業ばかりでなく、大井川流域の開発に熱心に取り組み、鉄道の敷設、水力発電建設など静岡全体の発展に尽くしており、その活躍は際立っている。その功績により大井川鉄道初代社長として、千頭駅近くに像が建てられている。
中村圓一郎は紅茶生産にも尽力した。1915年静岡市に紅茶研究所を設立させ、主任として主導的な役割を担った。研究所での試作は成功し、ロシアやオーストラリアへの輸出を検討、1917年には紅茶研究所を発展させ、日本紅茶株式会社の設立を見る。同社は日本茶業界の期待を集め、社長に横浜茶貿易の大物、大谷嘉兵衛、常務取締役(実質責任者)には圓一郎が就任している。
1930年代日本に紅茶ブームが起こると、台湾紅茶の品質の良さに目を付け、1938年魚池で、茶園を開墾する鍬入れ式が行われた。支配人格として、静岡の増田角太郎の息子、増田ヒ六を派遣し、実務に当たらせたとある。既に三井により日東紅茶の大量生産は始まっていたが、その品質を越えることを目指して、紅茶に向くアッサム種を植え、最上級の紅茶生産を目論んでいたらしい。

1938年 台湾日日新報 記事
1939年には大谷光瑞が投資した茶園を譲り受けて規模を拡大、1940年の記録では、中村農場の面積は550ヘクタールであり、当時の全魚池の茶園面積の40%を占め、規模だけで見れば、紅茶作りのリーダー的存在であった。だが中村農場が紅茶製造を本格的に始めた頃、太平洋戦争に突入してしまったのは、何とも残念なことだ。
1941年4月の台湾日日新報によれば、中村農場は台湾農事という会社を設立、社長に圓一郎、常務に秀平、取締役に茶業組合中央会常務理事、三橋四郎次が就任している。資本金50万円は当時の台湾茶業としては多額であり、大茶商陳天来の錦記と同額であった。ただこの時点ではアッサム種の入手が困難で植え付けが進まず、茶工場の建設も資材不足で先送りとなっていたようだ。
魚池の持木農場跡地から車ですぐのところに、香山農場という名前の茶園があった。いきなり目に飛び込んできたのはかなり古い建物の一部と壁だった。案内してくれた許志鵬さんが「あれが中村農場の工場跡」というので心底驚いた。以前探しても見つからなかった、あの中村農場跡地。何とごく一部ながら壁まで残っているとは、まるで幻を見ているようだった。

空襲で焼け残った茶工場の一部
許さんの父親、許堂坤さんは1946年この地に生まれ、物心ついた頃この付近は沢山の家に分割されており、中には国民党軍からの逃亡兵が住み着いたケースもあったという。この地はなぜか国民政府の接収を逃れていたのでは、との話も出てきて驚いた。また茶工場自体は米軍による空爆で破壊されたが、工場の2階に大量の紅茶が保存されていたとの話も初めて聞いた。恐らく生産は行われたが、輸出手段がなく、残されたのではないかと推測される。

現茶園経営者 許さん親子
戦後は紅茶ブームで量産されたが、1960年頃2度に渡り台風災害に見舞われ、また紅茶輸出も下火になり、果実類を植えたり、檳榔畑になったところも多かったという。その後許家が土地を少しずつ買い取り、アッサム種や山茶を植えて行き、眺めが美しい現在の茶園が出来上がった。
そして今、中村農場の経営者である中村圓一郎や静岡の中村家についてもっと理解を深めたいと言ってくれたので少し調べてみたが、戦前あれだけの大物であった圓一郎についての資料は多くはなく、ましてや台湾に関わる資料や写真は全く得られなかった。また支配人の増田ヒ六の子孫を探してもらったが、戦後の引き上げ時に資料などは全て失われており、現時点で往時の中村農場を知る術が見つからないのは何とも残念だ。

現在の茶園風景
▼今回のおすすめ本
中国茶の文化史
固形茶から葉茶へ
布目潮渢著/法藏館
中国茶文化史について、諸誌に寄稿したものを集成。飲茶文化のルーツを辿り、唐代からの製茶法の変遷、日本茶道との関連、日本における中国茶文化、イギリス帝国の紅茶との関連など、中国大陸に限定せず、幅広い視点から考察した書。
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須賀 努(すが つとむ)
1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]
