馬伯庸の歴史SF──錯史の魅力

投稿者: | 2026年8月14日

大恵 和実

■馬伯庸『ドラゴン・メトロ』の世界観

 牛筋皮のねじり力を動力とする飛行機、飛剣に乗って法力で戦う道士、邪気が集まったげつりゅうが大空を飛び交い、地下では鉄鎖につながれた巨大な竜が地下鉄ならぬ地下龍として乗客を運ぶ。馬伯庸(拙訳)『ドラゴン・メトロ――地龍鉄道』(早川書房、2026年)の舞台は、史実の唐朝をモデルにした架空の大唐長安城である。純朴な少年はふとしたきっかけで一頭の地下龍と出会い、甜筒キャンディと名付けて友情を深め、王牌飛行士エースパイロットの沈文約や、皇帝の妹である玉環公主らとともに、長安に迫る未曽有の危機に立ち向かう。
 馬伯庸の長篇作品は、『両京十五日』(齊藤正高・泊功訳、早川書房)・『風起隴西――三国密偵伝』(齊藤正高訳、早川書房)といった歴史小説が次々に日本語に訳されている。また、『西遊記事変』(齊藤正高訳、早川書房)・『長安のライチ』(池田智恵訳・立原透耶監訳、文藝春秋)のように中下級官僚が無理難題にふりまわされる歴史「社畜」小説の翻訳も進んでいる。このように歴史小説家としてのイメージが強い馬伯庸であるが、実はデビュー当初から歴史小説と並行してSFファンタジーも手掛けており、「沈黙都市」(中原尚哉訳、ケン・リュウ編『折りたたみ北京』所収、早川書房)や「大衝運」(齊藤正高訳、倪雪婷編『宇宙墓碑』所収、早川書房)といった短篇が日本語に訳されている。今回、筆者が訳した『ドラゴン・メトロ――地龍鉄道』は、馬伯庸が2016年に刊行したSFファンタジー『龍与地下鉄』(湖南文芸出版社)の全訳である。
 少年の成長と冒険を描くジュヴナイルであるとともに、地下で酷使される巨龍たちの苦闘を描く「社畜」小説でもある『ドラゴン・メトロ』の魅力の一つがその世界観である。長安の街中では、紙鳶ドローンが飛び交い、紅緑灯籠しんごうきが点滅し、甜筒キャンディ綿花糖マシュマロが食べられ、法力を使う清風道士と火炮を使う軍隊の指揮官である李靖(哪吒の父)が権力闘争をしている。本作は唐代と現代と架空の文化がまじりあった独特の世界を生み出しているのだ。中国系アメリカ人のSF作家ケン・リュウは、2015年に『蒲公英(ダンデライオン)王朝記』(古沢嘉通訳、早川書房)を刊行した際、東方的意匠である紙・竹・皮などの加工技術が異様に発達して現代的技術を生みだした世界を描いたSF作品をシルクパンクと呼んだが、中国ではそれ以前の2000年代半ばから牛筋皮パンクともいうべき作品が生み出されてきた。ケン・リュウによるシルクパンク提唱後も、中国では青銅パンク(主に殷周春秋戦国)や牛筋皮パンク(主に隋唐)といった素材に由来する言葉が用いられており、シルクパンクという言葉は定着していない。中国で2016年に刊行された『ドラゴン・メトロ』も、実際には2010年代前半に執筆されており、ケン・リュウのシルクパンクの影響ではなく、中国の歴史SFの流れに属しているのだ。

■歴史SFの分類と錯史

 一般的にSFは科学技術や未来と結びつけてイメージされることが多い。しかし、人類の過去の歴史を題材にした歴史SFも数多く存在する。中国の宝樹は、『科幻中的中国歴史』(生活・読書・新知三聯書店、2017年、日本語未訳)の序文で、歴史SFについて時間移動(タイムスリップ・タイムループ)・秘史(史実の奥に隠された秘密の歴史)・別史(改変歴史)・錯史(意図的にアナクロニズムを用いた作品)という分類を提案したが、筆者はさらに擬史(偽史:史実をベースにSFにまつわる架空の人物・事件を描く)と幻想(ファンタジー)も加えた六分類を採用し、複数のジャンルを横断する作品については、それらが複合したものであると把握している。これを踏まえるならば、『ドラゴン・メトロ』は、錯史+幻想と分類することもできよう。
 錯史は、意図的にアナクロニズムを用い、時代や地域の異なる技術・概念・歴史がまじりあった世界を描く作品を指す。日本には対応する用語が無いものの、歴史的に不可能な技術が発達するに至った経緯が説明されていない点で、通常の改変歴史SFとは異なっている。日本のSF界では高野史緒の作品に優れた錯史が多い。中国では錯史の人気が高く、作品数も比較的多い。例えば、映像レコード(VCDやDVDに類似)が存在する日中戦争下の上海を描いた韓松(林久之訳)「一九三八年上海の記憶」(『移動迷宮』所収、中央公論新社)や、唐の太宗が牛筋皮を活用した飛行船で高句麗遠征を行う祝佳音(林久之訳)「大空の鷹――貞観航空隊の栄光」(『長安ラッパー李白』所収、中央公論新社)といった作品が該当する。ここにあげた「大空の鷹」や『ドラゴン・メトロ』は、牛筋皮のねじり力という実現不可能な技術が用いられていることから、改変歴史よりも錯史に分類したほうがよい。

■馬伯庸の歴史SF

 デビュー時からSFファンタジーを手掛けてきた馬伯庸の歴史SFには、殷の船団が太平洋を横断して中南米を征服する改変歴史SFの『殷商艦隊瑪雅征服史』(二十一世紀出版社、2007年、日本語未訳)がある。ちなみにこの作品は2013年に『殷商瑪雅征服史』(北京聯合出版公司)と改題した典蔵版が出たが、その序文「『殷商瑪雅征服史』西班牙スペイン文版序言」を書いた新垣平は、SF作家の宝樹の別名である。
 2008年には、ホイットマンの詩集を読む曹操、バスケをする劉備、タロット占いをする諸葛亮などが登場する「正在発生的赤壁」(『飛・奇玄世界』2008‐1、日本語未訳)を発表している。現代文化と三国志の世界が融合した錯史であるが、当時の中国では科幻(SF)とはみなされず、奇玄(ファンタジー)とみなされた。
 2010年代には、ウェブ上で多くの歴史SFを発表している。「南方に嘉蘇あり」(拙訳、『移動迷宮』所収、中央公論新社)は、漢末にコーヒーが伝来した中国を描いた改変歴史SFの傑作である。雲南でコーヒーの栽培をはじめた諸葛亮がカフェイン中毒になってしまい、中国化政策を進めた北魏の孝文帝が中国文化と遊牧文化の融合を象徴する飲み物としてミルクコーヒーを臣下に配る。歴史愛好家ならば思わずニヤリとしてしまう描写が目白押しである。秦の始皇帝が文字通りTVゲームにはまる錯史の「始皇帝の休日」(中原尚哉訳、ケン・リュウ編『金色昔日』所収、早川書房)も面白い。インターネットが存在する明朝で、諫官として著名な海瑞がネット掲示板での議論にのめりこむ「新海瑞上書」(2012年、日本語未訳)は、現代中国のネット文化と明代後期の爛熟した経済・文化が奇妙にマッチした怪作であり、こちらも錯史に分類できる。
 そのほか、2014年には中世ヨーロッパ(英仏百年戦争)を舞台にした『欧羅巴英雄記』(九州出版社、日本語未訳)を出版している。こちらは改変歴史SFでも錯史でもないが、中世ヨーロッパを武侠小説の文体で描いた前代未聞の作品である。また2018年には、新垣平(宝樹の別名)が金庸の武侠小説を歴史事実と解釈した上で研究書という体で出版した『剣橋倚天屠龍史 2018修訂珍蔵版』(万巻出版社、日本語未訳)の巻頭に序文を寄せている。その冒頭で馬伯庸は、20世紀前半の歴史学者マルク・ブロックを紹介し、歴史学と現実社会の関係に触れた上で、新垣平の試みを絶賛している。他者の書籍の序文であるため、馬伯庸の作品としては見落とされがちだが、一種の歴史SFとしても解釈できる掌編である。ちなみに、『剣橋倚天屠龍史』の題名は、ケンブリッジ大学出版局から刊行中の中国史の叢書であるケンブリッジ中国史(中国語訳:剣橋中国史)のパロディである。

■おわりに

 馬伯庸の歴史SFの魅力の一つは、歴史小説とSFファンタジーの組み合わせの妙にある。殷と中南米、TVゲームと始皇帝、魏晋南北朝隋唐とコーヒー、三国志と西洋文化、インターネットと諫官、中世ヨーロッパと武侠小説、唐代の長安と牛筋皮のねじり力など、馬伯庸は歴史SFにおいて異質なものを融合し、独自の世界を生み出してきた。特に錯史に分類される作品は、歴史と現代文化を結び付けることで、過去と現代の類似性や普遍的問題をも浮き彫りにしている。中国史を知る者は、そのアレンジの巧みさに惹かれてしまうのである。
 『ドラゴン・メトロ』は、唐代と現代と架空の文化が入り混じったSFファンタジーであるが、歴史小説執筆の片手間に書いた作品ではなく、馬伯庸がデビュー以来発表してきた歴史SFの集大成的作品なのである。ぜひ一読してほしい。

 

『ドラゴン・メトロ』

ドラゴン・メトロ 地龍鉄道


馬伯庸 著
大恵和実 訳
出版社:早川書房
出版年:2026年7月
価格 2,750円

 

 

 

馬伯庸の原書(中国語)一覧はこちらから!

 

(おおえ・かずみ 中華SF愛好家)

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