碼頭書掂(マータウ シューディム)
▼屯門(トュンムン)にオープンした新書店
新界西部の屯門は、清朝と英国軍が戦った19世紀のアヘン戦争よりもさらに遡ること、16世紀初頭、ポルトガル人が一時的に占拠した。やがて明朝とポルトガル海軍の間で「屯門海戦」が勃発し、敗退したポルトガル側にはマカオでの居住が認められることに。そしてマカオは1999年までポルトガルの植民地となっていた。
しかし、屯門にはそうした戦いの遺跡はほぼ残っておらず、現在、西は海に面し東に山が控える住宅地であり、同時に商業エリアでもある。行政区分としての屯門区の人口は、2025年の統計で約53万人にのぼる。
この屯門の海辺近くに2026年4月、新しい書店「碼頭書掂」がオープンした。「碼頭」は波止場・埠頭を意味し、書店の近くには「屯門碼頭」がある。「書掂」……「書店」ではなく「書掂」とは? 店主のSanllyさんに話を聞いた。

商店街の片隅の「碼頭書掂」
▼中国大陸と台湾にルーツを持つ書店主
Sanllyさんは中国福建省の泉州に生まれ、小学1年生の時に家族とともに台湾台北に移住した。泉州といえば閩南地方であり、その言葉は「台湾語」と共通点が多いはずで、移住後も言葉の不自由はあまりなかったのでは?と尋ねた。
――たしかに閩南語と台湾語は似ている部分が多いですが、移住先の台北では台湾語を話す人は多くないのです。ほとんどの人は「國語」(台湾華語)を話し、私も「普通話」で教育を受けていましたので、言語の面での苦労はありませんでした。

店主のSanllyさん
▼「掂(ディム)」に込めた意味
Sanllyさんは台湾の高校卒業後、香港大学中国文学部に進学した。「碼頭書掂」の「掂」は、広東語でよく使われる音であり字である。広東語母語話者ではないSanllyさんが書店を開くにあたり、この「掂」にどのような意味を込めたのだろう。
――香港に限らず、書店というビジネスは今、世界的に「唔掂(ムディム」)――よろしくない、厳しい状況にあると言えるでしょう。でも私は「好掂(ホウディム)」――好ましく順調な経営となるよう頑張りたいのです。そしてもう一つ。私はこの書店を「コミュニティー書店」と定義づけています。屯門という地域としてのコミュニティーだけではなく、この書店を応援してくれる仲間たちという意味でもあります。「掂」の字には手偏がありますね。多くの人が手を差し伸べてくれる書店に、そして私も必要としてくれる人に手を差し伸べたい――そのような意味を込めました。

店内には各地のZineなども並ぶ
▼店主の「歴史」
この連載で取り上げた書店の多くは個人経営であり、その経営者にはそれぞれ少し特殊な背景がある。Sanllyさんも例外ではない。
大学進学にあたって、台湾の大学か、それとも海外――たとえばアメリカかヨーロッパかと考えた。そこには彼女の家族の「国際性」が関係している。父方の祖父はかつてフィリピンで暮らしていた南洋華僑である。父方の祖母は1960年代、香港に住んでいた。今も香港に親類がいる。こうした縁から香港大学を選んだ。香港の魅力は、それが持つ「国際性」だと考えている。
大学入学当初は大学のある香港島の北角(バッゴッ)に住んだ。この地域は福建出身者が多いことで知られる。ところがやがて、「同郷者が多いところは面倒だ(笑)」と感じるようになり、親類がいる屯門に移った。ここには海があり山があり、台湾で好きだった花蓮や台東に似ている。大いに気に入った。
大学卒業後も香港に残り、NGO勤務やフリーランスでのブロックチェーン関連業務、さらにはランタオ島の農場で働くなど、様々な経験を積んだ。
2019年、香港で大規模な社会運動が起こり、Sanllyさんはそこに深刻な社会の分断を感じた。2020年にはコロナ禍が訪れる。
もともと旅行好きだった彼女は旅に出ることにした。「デジタル・ノマド」として、主にブロックチェーン関連の仕事で収入を得ながら、まずは中国大陸の各都市をまわった。やがてヨーロッパや東南アジアの移動規制が緩和されると、ヨーロッパ各国やタイ・マレーシア・シンガポールなどにも足を伸ばしていった。

香港・台湾など各地の本が並ぶ
▼衝動的に「書店を開こう」と
訪問先のタイでは、この連載の第36回で取り上げた「飛地書店」のチェンマイ店(現在は閉店)にも通った。そして2026年の2月、台北国際ブックフェアにボランティアとして参画するうち、突然「香港で書店を開こう」という思いに駆られた。
2月の台北国際ブックフェアと聞いて、「私もそのブックフェアに行っていました。ひょっとしたら、会場のどこかですれ違っていたかもしれませんね。実は、会場内の飛地書店のブースで少し話もしたのです」とSanllyさんに話すと、彼女から思わぬ言葉が返ってきた。
「あなたが来た時から、どこかでお会いしたことがあるような気がしていました。ブックフェアでのあなたのお話は拝聴しましたよ。あの時間帯は様々なイベントが同時進行だったので、最初から最後までとはいかず、5分間程度だったと思いますが」
インタビューの途中で、この不思議な2度目の出会いが浮かび上がったのであった。
書店開業のための資金は限られていた。屯門で物件を探してみると、団地の商店街の一角に小さな空きスペースがあった。もとは、ある食堂が店舗として、その後は倉庫として使っていたらしい。人通りは多くないことから、家賃はリーズナブルだ。そして開店日は4月1日に決めた。ファンである張國榮(レスリー・チャン)の命日だ。
店舗面積は約190平方フィート。およそ18平米。ワンルームの店内の壁一面が書架で埋まっている。
そこに最初に並べた本は、親しくしていた台東の書店の店主が送ってくれたものだった。
――台湾や香港の書籍に限らず、中国大陸や東南アジアの華文書籍が揃う書店にしたいのです。哲学系などの難解な本よりも、流行文学・旅行文学をメインにしています。個人的には、そうした中でも、小さな地域をテーマにした本が好きです。

店内にはSanllyさんが大好きなレスリーのポスターが。左側の『幻愛』は、『九龍城寨之圍城(トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦)』で人気を博した劉俊謙(テレンス・ラウ)の映画デビュー作で、おもなロケ地は屯門だ。
▼イベント開催
他の香港の独立書店同様、碼頭書掂でも各種のイベントを開催している。
一つは「Walk Chat」。その名の通り、歩きながらおしゃべりするイベントだ。ネットで希望の日時を予約してもらい、Sanllyさんが書店近くの海辺などを案内しながら様々な話をする。
他に「Tik talk」。これは書店の店内で、講演者の話を聞くというよりも、お茶を飲みながら皆が平等な立場で懇談するというイベント。作家を招くこともあるが、メインは懇談、時に議論だ。Sanllyさんが司会を務めることもあれば、その回の発起人が進行することもある。
また、常連客にレコード好きな人がいて、その人がレコード・プレーヤーを持ち込んでレコード鑑賞会を開くこともある。
各イベントの参加費は30香港ドルほど。そのうちの20ドルは本購入のクーポンに充てるので、この収入が書店経営の助けになるという程ではないが、「コミュニティー書店」という立ち位置を明確にしたいという意味もある。

取材の日は大雨で、客は1人もいなかった。その終盤に1人目の客として現れた彼は、九龍の市街地からわざわざ、およそ1時間をかけてやって来た。
▼書店の展望
オープンして数か月。まだ赤字だという。何かフリーランスの仕事による収入で、書店経営を補っているのだろうか。
――1人で運営しているので、他に仕事をする余裕はありません。今は貯蓄を切り崩しています。その中で、デジタル・ノマドの時期などに書き溜めた文章が8万字ほどあり、その書籍化を考えています。まだ出版社は決まっていませんが。
その後、イベントには台湾語関連――言語そのものや台湾語による詩の鑑賞――なども加わっている。この連載ではこのところ、意図したわけではないが「移民」が要素となることが多い。中国大陸と台湾を背景に持つSanllyさんの書店とそのイベントが、香港の多様性をさらに広げることを願ってやまない。
(取材:2026年6月)
▼Sanllyさんのお勧め本

『臺灣漫遊錄』
(邦題:台湾漫遊鉄道のふたり)
著者:楊双子
出版社:春山出版(台湾)
初版:2020年3月
ISBN:9789869866262
この英訳本が2026年5月、英国の「ブッカー賞」翻訳書部門「国際ブッカー賞」を受賞し、その後和訳書も10刷を数えるなど、話題の1冊だ。
少女時代を台湾で過ごし、旅行文学が好きなSanllyさんにとっても特別な一冊。「中国語のタイトル『臺灣漫遊錄』だけを見ると、旅行ガイドのように思えます。しかし実際はフィクション(文学)という構成も面白いです。約90年前の植民と被植民、平等と不平等の関係性が細やかに描かれている名作と思います」
それだけではなく、書店経営未経験で本屋を開いたという状況の中で、国際的な賞を受賞した本書は、現実的に書店の売上にも貢献してくれたという。
書店情報
住所:屯門 美樂花園商場2號地鋪(バドミントンコート隣)
インスタグラム:https://www.instagram.com/harbor.books/
*営業日・休業日は不定期なので、訪問に際してはインスタグラムで営業を確認することをお勧めしたい。
写真:大久保健
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大久保健(おおくぼ・たけし) 1959年北海道生まれ。香港中文大学日本学及び日本語教育学修士課程修了、学位取得。 深圳・香港での企業内翻訳業務を経て、フリーランスの翻訳者。 日本語読者に紹介するべき良書はないかと香港の地元書籍に目配。訳書に『時代の行動者たち 香港デモ2019』(白水社、共訳)。
