『長安ラッパー李白』編纂の舞台裏

投稿者: | 2025年1月15日

大恵 和実

はじめに

 『長安ラッパー李白』。このタイトルを見て、どんな印象を持つだろうか。眉を顰めてなにそれと思う方、漢詩は韻を踏んでるし確かにラップっぽいかもと思う方、あるいは諸葛孔明が現代に転生して音楽業界をゆるがす漫画『パリピ孔明』(原作:四葉夕卜、漫画:小川亮)を連想する方もいるだろう。
 『長安ラッパー李白』は、2024年9月に中央公論新社から私が編者となって刊行したSFアンソロジーである。このたび、WEB東方の編集者より『長安ラッパー李白』編纂の舞台裏というエッセイの依頼をうけた。そこで本稿では、『長安ラッパー李白』の企画立案から刊行に至る舞台裏について、徒然なるままに書いていきたい。

1.『長安ラッパー李白』の内容

 最初に『長安ラッパー李白』の内容を確認しておこう。本書は唐代を題材にしたSFアンソロジーであり、中国と日本の作品をおさめた日中競作アンソロジーである。すなわち、日中競作唐代SFアンソロジーなのである。
 日本側は円城塔・立原透耶・十三不塔・灰都とおりの4人。このうち円城塔は芥川賞と日本SF大賞を受賞し、SFと純文学の両面で活躍している。また、立原透耶は少女小説でデビューしたSF・ファンタジー・ホラー作家であるとともに、近年は中国SFの翻訳・紹介を牽引し、劉慈欣『三体』の翻訳監修もつとめた人物である。中国側は、梁清散・祝佳音・羽南音・李夏の4人。梁清散は、中国の華語星雲賞の四部門を制覇した中国史SFのスペシャリストである。今回、円城塔・立原透耶・十三不塔・梁清散の4人に、新作を書き下ろしていただいた。
 『長安ラッパー李白』は、玄奘の旅路(灰都とおり「西域神怪録異聞」)に始まり、唐の建国と玄武門の変(円城塔「腐草為蛍」)、太宗の高句麗遠征(祝佳音「大空の鷹―貞観航空隊の栄光」)、奇怪な長安でラップを叫ぶ李白(李夏「長安ラッパー李白」)、藩鎮対策とパンダ(梁清散「破竹」)、狂草の書にとりつかれた若者たち(十三不塔「仮名の児」)、晩唐の詩人李商隠(羽南音「楽游原」)、そして数奇な人生を歩んだ魚玄機(立原透耶「シン・魚玄機」)で終わりを迎える。時代の範囲は唐初から唐末まで、地域は長安を中心としつつ西域や高句麗はては日本も視野に入り、その内容は軍事と文化の両面に及ぶ。読者に対する遠慮会釈なしの本格的な唐代SFアンソロジーである。
 中国では、中国史を題材にしたSFに注目が集まっており、中国史SFアンソロジーも刊行されている(1)。しかし、その中国であっても、一つの王朝に絞ったSFアンソロジーはまだ出ていない。いわば本場中国に先駆けて、世界初の唐代SFアンソロジーを出したことになるのだ。では、どうやってこの前代未聞のアンソロジーを刊行するに至ったのか、その経緯を振り返ってみたい。

2.すべてはウェブから始まった

 2020年に中国SFの翻訳デビューを果たした私は、2021年に中央公論新社から中国史SFアンソロジーである『移動迷宮』を刊行し、2022年には武甜静・橋本輝幸とともに『中国女性SF作家アンソロジー 走る赤』を刊行した。続く企画をどうするか悩み、色々と中国SFを読み漁っていたところ、衝撃的な作品にであった。2022年7月、中国のウェブSF雑誌『不存在科幻』(2022/7/18)に掲載された李夏「長安嘻哈客」である。一読驚嘆。普段、私は備忘録代わりとして、ツイッター(現X)に本の内容・感想をつぶやいているが、このときは「電路盤と化した長安城。言葉奪われた民衆。機械鉄騾や銅人を用いて人々を押さえ込む唐朝。そこに現れたるはラッパー李白!得意のラップで圧政に亀裂を、世界に変化を!めっちゃカッコいい中国史SF!」(2022/7/20/18:11)と妙にテンション高めのツイートをしている。そして、その勢いのまま「もういっそのこと次の中国SF企画は唐代SF短篇集にしようかな。」(2022/7/20/19:34)とつぶやいた。これが全ての始まりである。このツイートに対する反応はほとんどなく、単なる独り言としてSNSの片隅で消えていくはずだった。しかし、唐代SFの響きが脳裏にこびりついて離れなかったのである。
 このとき既にいくつかの唐代SFを読んでいた。なかでも印象的だったのが、祝佳音「碧空雄鷹」(『幻想1+1』2007年)である。唐の太宗の高句麗遠征を題材に、牛筋皮を使った航空機や鷹・鳩を使った空中戦を描いた作品で、中国ではスチームパンクならぬ牛筋皮パンクと呼ばれている。また、中国の歴史や文化に想を得た羽南音の短篇集『竜骨星船』(上海文藝出版社、2021年)には、晩唐の詩人李商隠と神の一瞬の邂逅を描いた掌編「楽游原」が収録されていた。ストーリー展開のほとんどない内容なのだが、妙に印象に残る作品だった。そして、李夏「長安嘻哈客」である。3作集まればアンソロジーも視野に入ってくる。徐々に私の脳内に中国SFアンソロジー第三弾の企画案が浮かんできたのである。
 最初は中国SFオンリーのアンソロジーを考えていた。しかし、同年12月に日本のウェブSF雑誌『anon press』(2022/12/7)に公開された灰都とおり「西遊神怪録異聞」を読んで気が変わった。史実からも物語からも逸脱して世界に風穴を穿つ玄奘の姿に強い衝撃を受けた私は、読了直後に「西遊記SFアンソロジーや唐朝SFアンソロジーを作るならぜひ入れたい作品」(2022/12/8/9:09)とツイートしている。ここで一気に方針を転換し、日本と中国のSF作家による競作アンソロジーとし、せっかくなので新作の書き下ろし依頼も企画に組み込んだ。
 翌年6月、私は2冊の中国SFアンソロジーを世に送り出した中央公論新社の編集者藤吉亮平さんに、唐代SFアンソロジーの企画案を持ち込んだ。正直、中国でも前例がないあまりにも尖った企画であるため、ダメもとだったのだが、意外にもノリノリで企画を受け取ってもらえた。懸念であった新作書き下ろしも、これまで私が翻訳を3作担当して連絡をとりあっていた梁清散さんと、中国史SFの歴史SF設定アドバイスをしたことがある十三不塔さんに持ちかけたところ、ともに快諾していただき、日中競作が実現可能となった。あとは社内の企画通過を待つばかり。その待望の報せは9月15日の夜に届いた。その夜はテンションがあがって、眠りが浅くなってしまった。
 唐代SFアンソロジーのタイトルは、藤吉さん提案の『長安ラッパー李白』に決まった。李夏「長安嘻哈客」を直訳すると「長安ラッパー」となる。そこに主人公の「李白」を付け足したのである。前代未聞の唐代SFアンソロジーにふさわしいタイトルとして、私も大いに賛成した。このインパクトのある題名が吉と出るか凶と出るか、それは誰にもわからない。
 ここまでの経緯をみてわかるとおり、『長安ラッパー李白』を編む際には、唐代SFアンソロジーの編纂を決めてから作品を選択したと言うより、魅了された作品を日本に紹介するための最適な形が唐代SFアンソロジーだった、と言った方が良いのだ。しかもそのきっかけはウェブ雑誌とツイッターだったのである。

3.完成稿を待ちながら

 『長安ラッパー李白』の企画通過後、編集担当の藤吉さんを中心に、中国の著者に連絡を取って版権を確保するとともに、林久之さんに祝佳音「碧空雄鷹」(邦題:大空の鷹)の翻訳を、大久保洋子さんに李夏「長安嘻哈客」(邦題:長安ラッパー李白)の翻訳を依頼し、さらに日本のSF作家への書き下ろしの依頼も正式に進めた。私自身も梁清散「破竹」と羽南音「楽游原」の翻訳を担当した。
 一方、編者としての私の主な仕事は、序・時代背景・編者解説などの執筆である。ただし、これは翻訳および書き下ろし作品の完成稿が揃うのを待つ必要がある。では、その間、編者としての仕事は何もなかったかといえばそうではない。訳者や書き下ろしを手掛ける作家に連絡をとり、時に参考図書を紹介し、時に草稿をもとにコメントした。例えば灰都とおりさんとはルビをめぐって議論をかわした。灰都とおり「西域神怪録異聞」では、アナクロニズムを巧みに用いて玄奘の言葉や行動を描いているが、ぜひルビにも注目してほしい。1章で怪異と出遭った玄奘は、2章から現代の用語も織り交ぜて語っているのに対し、それ以外の人物(特に高昌の公主)は漢字の熟語にカタカナでルビを振るにとどめられている(例:模倣パスティーシュ白話小説ライトノベル。これは規定の世界の外に出た度合いによって区別がなされているのだ。そして高昌の公主がアナクロニズムに目覚めた瞬間もぜひ見届けてほしい。
 また、ささやかながら歴史SF設定アドバイスを行うこともあった。歴史SF設定アドバイスとは何か。史実を踏まえてある程度のリアリティを保ちつつ、ストーリーが盛り上がるように史実にこだわりすぎずに、色々とアドバイスすることである。時代考証とほぼ同じといってもいいのだが、やや積極的にアイディアを提案している点に違いがある。これまで私は十三不塔さんの中国史SF「白蛇吐信」(明の王陽明とその弟子徐曰仁を描いた陽明学SF)・「八は凶数、死して九天」(清末の異能力麻雀SF)(2)に対して、歴史SF設定アドバイスを行った経験があった。そこで今回も十三不塔さんの書き下ろし作品「仮名けみょう」に歴史SF設定アドバイスを行った。
 とはいえ、プロ作家の創造力・構成力は素晴らしく、作品の内容・展開に関して素人の私の出る幕は一切ない。私が提案したのは、あくまでも細かな部分にすぎない。例えば、9世紀初めの長安が舞台の「仮名の児」には、実家が没落したため道観で暮らすことになった少女が登場する。その少女の姓は初稿では「李」となっていたが、「盧や崔」にしてはどうかと提案した。「盧や崔」を勧めた理由は、当時、一流貴族とみなされていた「盧や崔」の方が、その他の姓よりも零落した感じが強まるからである。最終的に少女の姓は「崔」となった。こうした歴史SF設定アドバイスは、今後も需要があれば手がけたいと思っている。
 今回は訳者と一緒に頭をひねることもあった。それは表題作の李夏「長安ラッパー李白」である。唐代SFアンソロジーを編むきっかけとなった「長安ラッパー李白」であるが、私自身が翻訳するには難しすぎたため、中国のミステリ・SF・主流文学を翻訳してきた熟練の訳者である大久保洋子さんに翻訳を依頼した。ところが、その大久保さんにとっても「長安ラッパー李白」はなかなかの難物だったそうだ。特に厄介だったのが、李白のラップをどのように翻訳するかである。「長安ラッパー李白」の原文を読むと、ラップ部分の多くは李白の作品が下敷きになっている。例えば、作品冒頭の李白のラップは、原文では「問余何意栖碧山、笑而不答心自閑。桃花流水窅然去、別有天地非人間」となっている。これは李白の七言絶句「山中問答」(別名は「山中答俗人」)であり、山・閑・間が押韻している。唐詩は韻を踏んでいるため、もとの詩のままでもラップと言い張ることができるのだ。しかし、日本語に翻訳する場合はそうはいかない。原文のままでは日本の読者が読めない。かといって書き下しでは「余に問う 何の意か 碧山に栖むと。笑って答えず 心自ら閑なり。桃花流水窅然として去る。別に天地の人間に非ざる有り。」となり、原文の雰囲気を残しているものの韻を踏むことは難しい(3)。では、完全に現代日本語でラップ調に訳してしまえばいいかというと、今度は唐代の雰囲気がでてこない。そこで大久保さんは、私や藤吉さんと相談したうえで、原文の語句や書き下し・日本語訳をベースにしつつ、意訳も交えてラップ調に翻訳したのである。先の七言絶句は「俗人どもが俺に問う 辺鄙な碧山なぜ住まう そんな奴らは笑って不答スルー 俺の心は平静無風 桃花流水はるかに去りゆく 俗世と異なるこの陸海 人世にあらぬ別世界……」となった。この後も李白のラップが次々に登場する。「長安ラッパー李白」の主人公たる李白はラップを武器に権力と対峙する。韻を踏みつつ時に破調する大久保さんの翻訳は、その物語にふさわしいラップに仕上がっており、必見である。

おわりに

 かくして紆余曲折ありつつ、翻訳も書き下ろしも全て揃った。これまで編んだ『移動迷宮』『走る赤』と異なり、今回は新作の書き下ろしが半数を占めている。依頼の際の条件はただ一つ、唐代SFであること(ただ、他の作品との重複を避けるため、○○のテーマは既にありますと伝えた)。そのため原稿が届くまで、アンソロジーのバランスがどうなるのか不安だった。ところが蓋を開けてみれば、内容もバラエティに富み、時期も唐代前期が4作・唐代後期が4作となり、期せずしてバランスが取れていた。改めて作家の方々の創造力に敬意を懐くこととなった。その後、序・時代背景・解説をどうにか書き上げ、2024年9月無事に『長安ラッパー李白』を刊行することができた。最初に唐代SFアンソロジーを思いついてから2年2か月後、企画を提出してから1年3か月後のことである。
 私の本業は中国史研究者であり、中国史の魅力を世間に伝えたいということも、中国史SFの翻訳・紹介を始めた目的の一つである。しかしそれ以上に、激動の中国史とSF的想像力が融合することで生み出される物語の魅力を伝えたい、という思いが強く存在している。今後も中国史SFを中心に中国SFの翻訳・紹介を進めていく予定である。実は既に新しい企画が動き出している。次の企画は、前代未聞にして空前絶後の、宇宙大将軍侯景SFアンソロジー!! 南北朝時代後期に南朝で反乱を起こし、宇宙大将軍を称したあの侯景を題材にした日中競作SFアンソロジーである。誰が見たって同人誌企画であるが、実は商業出版が決定している。来年度の刊行を目指して、鋭意、執筆・翻訳・編集中である。乞うご期待!

【注】

(1)中国史SFアンソロジーとして、宝樹編『科幻中的中国歴史』(生活・読書・新知三聯書店、2017年)が刊行されている。中国史SFの概要については、拙稿「中国史SF迷宮案内」(『中国史SF短篇集 移動迷宮』中央公論新社、2021年)、拙稿「中国文学の最前線──躍進する中国SF 第三回 羽ばたく中国史SF」(WEB東方、2022年7月15日)参照。

(2)十三不塔「白蛇吐信」は、最初に中国のウェブSF雑誌『不存在科幻』(2022/1/17)に中国語訳(武甜静訳)が掲載された後、日本のウェブSF雑誌の『anon press』(2022/12/14)に掲載された。十三不塔「八は凶数、死して九天」は、前篇が『SFマガジン』2023-10に、後篇が『SFマガジン』2023-12に掲載された。

(3)松浦友久編訳『李白詩選』(岩波文庫、1997年)を参照した。ただし、松浦氏は二行目の「閑なり」と四行目の「非ざる有り」で韻を踏んでおり、原文の韻の雰囲気をある程度留めることに成功している。

 

『長安ラッパー李白』

日中競作唐代SFアンソロジー
長安ラッパー李白


大恵和実 編訳
灰都とおり,円城塔,祝佳音,李夏,梁清散,十三不塔,羽南音,立原透耶 著/大久保洋子,林久之 訳
出版社:中央公論新社
出版年:2024年9月
価格 2,750円

 

(おおえ・かずみ 中華SF愛好家)

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