「日本杜甫学会」について
◇会の成り立ち
日本杜甫学会は、2017年10月6日(金)、山形大学小白川キャンパス、地域教育文化学部3号館312講義室において、中唐文学会終了の後、創立総会が開かれました。これはこの時、日本中国学会が同大学で開催され、多くの関係者が全国から集まる機会を利用したものでした。

日本杜甫学会創立総会の会場入口(2017年、山形大学)
日本杜甫学会の創設には、その地ならしとも言うべき活動がありました。講談社学術文庫の『杜甫全詩訳注』全4巻(2016年)の刊行には、全国各地から30余名の中堅からベテランまでの唐詩研究者が参加しており、そこにはおのずから杜甫研究に向かう鬱勃たるエネルギーが蓄積されていました。また時や良し、岩波書店からは興膳宏氏が吉川幸次郎氏の逝去によって中断していた『杜甫詩注』(筑摩書房既刊分5巻)の補完を期して全20巻の刊行が進行しており、杜甫の詩を改めて読み直したいと思う雰囲気が読書界に広がりつつあったのです。
日本杜甫学会の創立に向けて真っ先に声を上げたのは、下定雅弘氏(岡山大学名誉教授、『杜甫全詩訳注』代表編者の一人)でした。やや裏話に近くなるのですが、この提案を聞いた時、私は正直なところ及び腰だったのです。下定氏は、『杜甫全詩訳注』が出た今がまたとない好機だと考えたのです。しかし私は別のことを考えました。目標があり完成がある訳注の執筆とは違い、学会には、ここでお終いという目標地点はありません。杜甫の研究に前途がある限り、一度作った学会を潰すわけにはいかないのです。杜甫は中国最大の詩人である、その杜甫を研究する学会が一度設立されながら中途で消滅したという事実を残すことは、言ってみれば聖徳太子以来の長い伝統を持つ日本の中国古典研究の歴史のとても残念な事件ともなりかねません。
こんな不安は杞憂に過ぎないと思うほど、私は楽観的ではありません。しかし今は、日本杜甫学会が創立されて良かったと考えています。楽々と続けられるようなものなど往々にして大して意味は無い。むしろ困難を引き受けるところに新しい道が開ける。この困難とは、日本杜甫学会という組織を維持発展させるための形而下の苦労を言うものではありません。研究の新しい地平を切り拓くこと、しかもそれを弛まずに継続することの苦労です。しかしこうした苦労であれば、私たち日本杜甫学会の会員たちにすれば本望だとしなければなりません。
◇日本における杜甫研究の実情
杜甫研究の泰斗だった吉川幸次郎(1904~1980)が亡くなってからというもの、極めて率直に言えば、日本の杜甫研究は長い停滞状態にあったと見てよいでしょう。日本では江戸時代の半ば以降、唐詩では盛唐を第一とする『唐詩選』という書物の流行の中で杜甫や李白が大事にされすぎて、そこにはもはや新しい研究の余地など残されていないと誰もが思い込んでしまったフシもある。そんな気分の中で、研究者の関心が韓愈や白居易ら中唐の詩人に向かっていったように思われます。しかし中国では事情は異なり、唐詩研究の中心は杜甫や李白にあって、今も新しい研究が次々に現れて活況を呈しています。杜甫の研究は全く終わったわけではなかったことが明らかになったのです。日本が改めて杜甫研究に回帰するための機運は熟したのです。
杜甫研究の今日的課題がどこにあるのか、それを語ることは容易ではありません。ただ言えることは、日本では『杜甫全詩訳注』(講談社学術文庫)や川合康三氏の『杜甫』上下(明治書院新釈漢文大系)、また中国では蕭滌非主編『杜甫全集校注』(人民文学出版社)や謝思煒『杜甫集校注』(上海古籍出版社)などの注釈書が出ることによって、詩句の個々の解釈はかなり明らかになりました。これからは杜甫の詩がどの様な新しさを持っているのか、それを文学として読み解くことが大事になるでしょう。文学の精緻な読み込みという点では、日本人研究者がまだまだ貢献できるところも多いはずです。
◇日本杜甫学会の活動と展望
日本杜甫学会の活動は、例年9月初旬に開催される大会と、3月の『杜甫研究年報』(勉誠出版)の刊行を2つの柱としています。大会については2023年は北海道教育大学旭川校、2024年は横浜国立大学で行われました。年報は毎年多くの論文が集まって、すでに第7号まで順調に刊行され、目下、第8号の編集が着々と進んでいるところです(既刊分は東方書店でも購入可能)。
他方、国際交流という点では、下定前会長のご尽力もあって、中国とは四川省杜甫学会を初めとするいくつかの研究組織や研究者との交流も深まり、日本の杜甫研究の拠点として広く認知されるようになりました。加えて学会ホームページには、杜甫関連のいくつもの研究資料も掲載して、日本における杜甫研究の窓口として役立つよう努めています。
こうした着実な努力の甲斐あって、毎年のように新しい会員を迎えることができており、このまま増えれば近い将来に100人になることも夢ではないと見ております。そしてこの日本杜甫学会の活動を一つの場として、日本における杜甫研究の輪、また杜甫愛好の輪が広がることを願っています。ご関心のある方は、是非とも学会ホームページをのぞいてみてください。そこには「入会の案内」もありますので、ご検討いただければ幸いと存じます。
*HP:http://japandufu.toho.u-tokai.ac.jp/

第3回大会(2019年、神戸)
(日本杜甫学会会長 松原朗)