中国古版画散策 第八十九回

投稿者: | 2023年12月15日

『西廂記』の挿絵(下)-1
珍しい「ネコのいる逢引」風景

瀧本 弘之

 前回まで二回続けて西廂記の挿絵について、周辺の情報を交えながら解説してみた。ここでおさらいの意味で、西廂記「熊龍峰本」の挿絵表題等一覧を書いておこう。
 「『西廂記』の挿絵(上)」で該書の目次図版を掲載したが、今回テキストでその部分を書き記そう。ちなみに「*」が付いているのは、西廂記そのものではなく付録の文章やおまけの図版である。〇は挿絵があるもの。△は兄弟本からの援用を示す。赤字は挿絵を連載に掲載したもの。今回の掲載は青くした。掲載図版はすべて内閣文庫蔵本から。

崔鶯鶯待月西廂記総目
 上巻
*秋夜一転論 *鬆金釧减玉肌論 *杭城湖景図〇 *銭塘夢
仏殿奇逢〇 僧房仮寓〇 墻角聯吟〇 斎壇閙会(古本戯曲叢刊から借用)△ 白馬解囲〇 紅娘請宴〇 母氏停婚△ 琴心写恨(懐)〇 錦字伝情〇 玉台窺簡〇
 下巻
乗夜踰墻〇 倩紅問病〇 月下佳期〇 堂前巧辨〇 秋暮離懐〇 草橋驚夢〇 泥金報捷〇 尺素緘愁〇 詭謀求配〇 衣錦還郷〇 *鶯紅対奕〇 *漁翁園林午夢〇 *西廂別調 *西廂八嘲 *閨怨蟾宮 *蒲東詩集 *西廂八詠
 以上がすべてだが、上巻の「母氏停婚」までで前回は終わっていた。今回は、すぐ後の「琴心写恨(懐)」から始める(図1)

図1 琴心写懐

 西廂記「熊龍峰本」は、版本の一頁に縦長の図を配しているが、この形式は一番上に四字の表題を横長に付けて、さらに左右に縦長の垂幕状のテキストを配して、ストーリーの中身を分かるようにしていた。これによって図版だけ見ていってもおおよその話の筋を追いかけることが可能だ。いっぽう同じ内閣文庫収蔵の『琵琶記』との「合体本」の『北西廂記』(西廂記に北が付いているのは、「北曲」すなわち北方の雑劇由来であることを示す)では、挿絵は見開きの横長になり、画面の中にあった文字はすべて消えている。版心に「北西廂記」とあるのみだ。
 ここに掲載したのは前回も示した「母氏停婚」(図2)だが、横長の画面になって迫力十分の出来栄えだ。ここでは画面の中から文字はすべて消滅した。つまり画面だけでは、西廂記のあらすじを知らないと楽しめないことになる。知的レベルの高い読者層を想定した作画だろう。
 酔っぱらった張君瑞が、崔鶯鶯の母親からの厳しい言葉で結婚を拒絶されがっかりし、紅娘に助けられて部屋に引き上げるところだ。後ろには崔鶯鶯との間を遮るように母親が立っており、鶯鶯はその後ろで消え入らんばかりに、立ち尽くしている。この四人の関係が分からないと、この挿絵の意味は全く分からない。
 前回はここまでで止まっていた。

図2 母氏停婚

 ちなみに版本によって挿絵に表題がないものや、また同じ場面でもそれぞれ異なる表題を付けているものなど、さまざまなバージョンがある。例えば、二色套印本(本文には評点を赤で入れ、欄外にも赤字で批評を書き入れた手の込んだ二色刷りの版本)として名高い西廂記の同じ場面を取り出してみると、縦長で超高級な白棉紙に印刷されたきわめて精細な画面が展開し、表題は欄外に小さく添えられている。参考に、浙江・呉興の凌濛初(1580―1644)が刻した「即空観本」(即空観は凌氏の号)と言われるものの西廂記挿図をお目にかけよう(図3)
 話は少し前に戻るが、「白馬解囲」のあたりに該当する部分を「奔和尚生殺心」と題して掲載している。作風が全く異なるのが分かっていただけるだろうか。
 人物は豆のように小ぶりになり、全体が俯瞰されている。目立つのは庭園と木々の描写が細かいことだ。描かれた人々の表情は一見して分かりにくいものの、よく見ると微妙にそれらしくなっているのは不思議だ。張君瑞が友人の杜確将軍に救援の依頼の手紙を届けてもらうところで、棍棒を担いだ寺僧は『水滸伝』に出てくる破戒僧・魯智深のようなポーズで勇んでいる。これが「奔和尚」(恵明)なのだろう。
 この版本のように、独特の表題を付けて欄外に示す場合もあり、また挿絵の上に四字で掲載する場合もあり、多種多様な形式が存在することは、いかにも万暦から明末の中国らしい。

図3 奔和尚生殺心(即空観本)

 前回までのあらすじを辿っておくと、科挙の勉強をしながら黄河のほとりを行く張君瑞が、通りがかりの名刹・普救寺を参観する途中、この寺に仮寓する宰相の遺児・崔鶯鶯を見かけて恋に落ちる。宿を出て、この寺に部屋を借りてどうにか近づきになろうと策をめぐらすが、おりしも故・宰相の法事が営まれるのに乗じて、張君瑞も自らの亡くなった父母の供養という口実でもぐり込む。
 
 琴心写恨(懐)は、目次では「琴心写恨」となっていたが挿絵の中では「(懐)」となっていたもの。母親に拒絶された張氏は憤怒のあまり、一時は自害まで思いつめるが、紅娘の助言で月下に琴を弾じて思いを伝えようと試みる。そのうち思いが昂じて病の床に伏してしまう。紅娘が張氏の見舞いに来た折に、鶯鶯への手紙を託す。鶯鶯はこの手紙の返事に「月を待つ西廂の下、風を迎えて戸半ば開く。墻を隔てて花影動く、疑うらくは玉人の来るかと」と書いた。これは「今晩いらっしゃい、お待ちします」という意味が含まれていると考えた張君瑞は即座に病気が治り、夜を待つ。
 夜になって喜び勇んで墻を乗り越えていくと、真っ暗闇で慌てて抱き着いたのが紅娘。「何をするんですか」とこれは一寸した笑いを取る筋書きになっている。図4は紅娘に鶯鶯と間違えて抱き着き、「何するの」と言われて気が付いたその瞬間を表現している(「乗夜踰墻」)。結局、このときは崔鶯鶯本人もけんもほろろの対応。すごすご引き下がる張生……と、観客をじらす作劇術には舌を巻く。ついに本格的な恋煩いで病に伏す君瑞。
 すると今度は紅娘が病気に効く良い薬の処方を姫から言付かってくる(「倩紅問病」)。画面(図5)では、鉢巻らしきものをして熱の出た君瑞が臥せっている。床には薬缶と薬を混ぜたり引いたりする「薬研」があり、そのわきには白いネコが後ろを振り返って二人を見ているのが面白い。紅娘が持参した手紙は漢方薬を並べたなぞなぞもどきの中身で素人には解らないが(もちろん紅娘は文字が読めないから解らない)、張君瑞は理解できた。その意味は、「今夜私が忍んで参ります」との鶯鶯の言付けだ。

図4 乗夜踰墻
図5 倩紅問病

 果たして、夜も深々と更けて主従二人が忍んで張君瑞のところにやってくる(図6)
 これがこの劇のクライマックスで、いちばん読ませるところになる。挿絵の中心に描かれているのは室内の二人で、衝立の陰から紅娘ものぞいている。先ほどの白いネコは、腰掛に座って目をむいて二人を凝視しているようだ。これから何が始まるのか……。
 「われは手ずからボタンをゆるめ 絹のしごきをほどきやれば へやに散りみつ 蘭麝の香り ええ気のきかぬひと われをてこずらせて なぜ振りむけ見せぬいとしきかんばせ 玉のからだわがふところにあり ややっ阮肇は至る天台の山 人の世に春おとずれて花はいまし色を誇る 柳の腰をゆるやかにふり 花のしべをそっと開けば 露したたりて牡丹はな咲く」(田中謙二訳)。以上『中国古典文学大系 西廂記』からの引用でした(阮肇は劉晨とともに天台山の奥に入って、大勢の美女がいる宮殿で歓待された、という六朝の故事がある)
 同じ場面を「即空観本」で見ると、張君瑞が崔鶯鶯の前にひざまずいて、それを後ろで紅娘が見守っている(図7)
 これから毎晩のように鶯鶯は通ってくる。それはやがて厳しい母親の気づくところとなって、次の段に移るが、今回はそこまで。次回に期待してください。

図6 月下佳期
図7 小紅娘成好事(即空観本)

(たきもと・ひろゆき 著述家、中国版画研究家)

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