中国古版画散策 第八十七回

投稿者: | 2023年8月15日

『西廂記』の挿絵(上)
始まりかと思えば付録の『銭塘夢』

瀧本 弘之

 今回から数回、戯曲本『西廂記』の挿絵を考えてみたい。西廂記は唐の詩人白居易の友人として知られる元稹(779―831)の作品『会真記』(別名『鶯鶯伝』)が元になったとされている。岩波文庫などでも読める「恋愛小説」だが(『唐宋伝奇集』上)、学生時代に期待して読んでみたらがっかりした記憶がある。大変短いものなので、関心を持たれた方は一度試みるのもいいだろう。『鶯鶯伝』は、戯曲の『西廂記』とは似て非なる文言小説で、感興も全く異なる(訳文は平易な日本語)
 その西廂記の戯曲本は明清時代でも、数えたらきりがないほど出ている。元時代に北京で刊行されたものが最も早く、次いで万暦以降、ざっと50程度が数えられるのか。しかし、挿絵が付いて手ごろなものは少ない。代表的なもの数種類をざっと調べていきたい。

図1 『熊龍峰西廂記』の目次 上下二冊分を全部出している

 図1は内閣文庫に収蔵される『西廂記』(上下二冊で『熊龍峰西廂記』などと呼ばれる)の目次だ(建安の書肆・熊龍峰が重刻したものだという)。最初に全部の目次がざっと並んでいる。上巻の初めには『会真記』のテキストが付いている。そして「秋波一転論」「鬆金釧减玉肌論」が並ぶが(いずれも「文語の小論」)、次の「杭州湖景図」(絵地図である)はない。『熊龍峰西廂記』は「重刻」と冠が付けられているので省略されたらしい。「兄弟本」とも言うべき『元本題評西廂記』(『古本戯曲叢刊 初集』第一函)には付いている。より古い『弘治本』(『新刊大字魁本全相参増奇妙注釈西廂記』)にもある。
 西廂記本文の前にいろいろと付録が付き、やれやれ始まりかと思うと、別のものがまだ一つある。これが「銭塘夢」と題した小話で、落語の「野ざらし」に似た趣向のもの、立派な挿絵もついている。この話については、西廂記の『弘治本』を論じたときに触れた(『東方』449号、2018年7月号)。「銭塘夢」の挿絵は、長編通俗小説などに付けられていた見開き横長のものを、圧縮して単葉に応用したものだから窮屈な感じがする。一番上に、表題が「銭塘夢」と書いてあり、左右には対句で画面の中身を漢字で説明している(図2)
 挿絵一点でも文字があるので話の概要は絵を見ながら理解できる。ここでは両側に対句で文言の帯が垂れて右側に「石匣葬孤骸 月下遥聞来玉珮」左が「銭塘懸夜夢 窓前驚醒続瑶篇」となる。「銭塘夢」のテキストは省略する。この小さな文言小説のストーリーなどは、お手数だが、『東方』449号をご参照いただければありがたい。

図2 『熊龍峰西廂記』の付録「銭塘夢」の挿絵

 この挿絵と似たような形式のものが、後ろに続く西廂記部分にも二十枚程度付けられている(何点かは欠)。この挿絵は万暦時代の福建の出版物に特徴的なので、説明しておこう。もともとは金陵(南京)に発生したスタイルで、万暦中ごろから『三国志通俗演義』などの挿絵本に使われてきたものだ。一例を御覧に入れる(図3)。これは表題が右上に小さく添えられている。左右に場面を説明する対句がそろっている。一般に金陵で制作されていた挿絵本は見開きの挿絵が多いが(つまり横長の構図)、これらは上や右上に表題を付け、左右に縦長の帯状で対句になる長い文字を垂らす。こうして場面の中身が、文字で説明されるというもの。演劇場面に近似する。

図3 『三国志通俗演義』より「趙子龍盤河大戦」(瀧本弘之編『中国古典文学挿画集成』「三国志演義」遊子館1998年)

 この形式の横長のものを無理に縦長に押し込めてしまう。すると、『熊龍峰西廂記』の挿絵ができあがる。 この版本では、初めに『西廂記』とは一見無関係の『銭塘夢』が「おまけ」でついているのだ。
 ついでに言っておくと、目次にあって本文にない「杭城湖景図」(西湖図)は、この本の「兄弟本」ともいうべき『元本題評西廂記』(通称「劉龍田本」鄭振鐸旧蔵・中国国家図書館蔵本・『古本戯曲叢刊 初集』第一函に収録)には揃っている。次回(中)に紹介したい。
 この『西廂記』版本は、福建の熊龍峰忠正堂が万暦壬辰の春に刊行したものとされる。万暦20年、西暦では1592年にあたる。深窓の令嬢・崔鶯鶯と科挙を目指す青年・張珙(字は君瑞)が、山西の禅寺・普救寺で遭遇し、さまざまな困難を乗り越え結ばれるという戯曲だ。
 ストーリーの実際のスタートは、「仏殿奇逢」からだ。ヒロイン崔鶯鶯とヒーロー張珙が寺の仏殿ですれ違うところを描く。「目は口ほどにものを言い」という話だ。眼差しを交わしただけで、ときめくものがあり、張珙は雷に打たれたようになる。張珙は河北の西洛から長安に科挙を受けに行く途中。ヒロインの崔鶯鶯は、亡くなった父で宰相の棺に付き添う母・鄭氏の供をして長安から故郷に戻る途中、この寺に仮寓している。図は割愛する。

図4 「僧房仮寓」寺の部屋を借りる相談

 次は「僧房仮寓」だ(図4)。これは張珙が、寺の西の部屋を借りたいと和尚に頼むところ。この寺は名刹で則天武后の勅賜した普救寺という(しかも亡くなった宰相[鶯鶯の父]は、ここで得度したという)。つまり大変に格式が高い寺なのだ。ちなみに現在は一大観光地になっているらしい。寺の場所は山西省永済市(旧称・蒲州)にある。もちろん今ある「古跡」は唐代のものではない。
 西の部屋はつまり西廂で、これがこの戯曲の舞台であり、表題ともなっている。奥に僧侶・法本和尚と対談しているのが張珙で、手前の坊主は小姓、女性は紅娘、つまりヒロインのお付きの女性。紅娘は法事の依頼にやってきたことが対句の左側で分かる。紅娘は見方によっては一番の活躍をするキャラクターで、二人の仲立ちを巧みにつとめる。
 次は「墻角聯吟」。これは張珙が壁の向こう側で香をたく二人の会話を聴き、向こうに聞こえるように詩を吟ずる場面(図5)。この詩の中身に自分の思いをうたいこむ。これで鶯鶯は張珙の気持ちが分かる。

図5 「墻角聯吟」実際は暗闇だが、絵は明るく描く

 さて亡くなった宰相・鶯鶯の父の法要が2月15日に行われる。この日は釈迦の寂滅の日。張珙は和尚に頼んで、親戚のものということで、ここに列席させてもらう。これが「ママ壇閙会」だ。実はこの挿絵は『熊龍峰本』にはない。そこで「兄弟本」の『劉龍田本元本西廂記』から借りて、御覧に入れる(図6)。黒い法衣を着ている和尚が画面に沈み込んで見づらい。影印本のせいもあるが、特にその表情は見えない。絵としてはごちゃごちゃして失敗だろうが、一応提示しておく。和尚の後ろにちょっと憎々し気な母親鄭夫人(この表情にのちの筋書きの伏線も現れている)、その後ろに鶯鶯と紅娘が従う。中央に一番大きく、張珙が描かれている。表情はすっきりしている。この場面は『西廂記』の一つのクライマックスになるところなのだが、絵としては失敗作だ。所詮縦長の画面に、法事のにぎやかな様を描きこむのは無理なのだ。

図6 ママ壇閙会『劉龍田本元本西廂記』(『古本戯曲叢刊 初集』第一函 上海商務印書館1954年より)

 そこで、この「閙会」の盛会ぶりを見事に描き切っている一例をお示しよう。
 この図(図7)には、画面の中に表題はなく、代りに彫り師の署名がある。所謂徽派版画の代表作の一つで構図といい、彫りの精緻さといい、人物描写といい、非の打ちどころのない出来栄えだ。法事には大勢の僧侶が参加して読経が響き渡っている。薄暗いお堂の中だが、よく見えるように描くのが絵の約束だ。蠟燭をともし、焼香する様子、シンバルを鳴らし太鼓を打つ僧侶、中央にはこの行事の立役者たる和尚がにこやかに立っている。立派な袈裟をまとっている。施主として鄭夫人が焼香し(ここでは意地悪そうな表情はない)、その後ろに鶯鶯、夫人の左わきには幼い鶯鶯の弟、奏楽の僧侶と紅娘は視線を合わせている。徽派版画の人物は、みなにこやかに微笑しており、顔も卵型、人物の性格は皆穏やかそうに描かれる。和尚の後ろには張珙が明かりを手に持っている。左の上の端には、刻工の名前が「黄一楷刻」とはっきり残されている。彼はこの版本のみならず、万暦時代の杭州の代表的な刻工で、著名書肆・起鳳館の刊本としてこの『元本出相北西廂記』(1610)は名高い。福建の『熊龍峰西廂記』から20年ほどして刊行されたこの版本は、テキストも挿絵も西湖畔の杭州ならではの洗練された技が、ほぼ頂点に達したということをよく示しているだろう。

図7 起鳳館本『元本出相北西廂記』(1610) 精緻で繊細な杭州本の特色がでた。(『中国古典文学版画選集』上 傅惜華編 上海人民美術出版社1981年)

(たきもと・ひろゆき 著述家、中国版画研究家)

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