中国文学の最前線――躍進する中国SF④

投稿者: | 2022年8月15日

第四回 中国SFのカナリア――中国史SFと政治動向

大恵 和実

■はじめに

 前回の「羽ばたく中国史SF」では、中国史SFの分類・歴史・舞台を概観するとともに、日本未訳の作品を中心に紹介した。そして20世紀後半にSFの中国化の一手法として登場した中国史SFが、2010年代になって海外に翻訳されて影響を与えつつあることを述べた。すなわち中国史SFの明るい面を紹介したことになる。
 しかし、中国史SFには、明暗で言えば暗に相当する側面も存在する。それが中国史SFのタブーである。周知の事実であろうが、中国には出版物に対する検閲がある。そのため中国史SFの中でも、特に現代史(20世紀後半)を題材にした作品には明確なタブーが存在している。本稿では中国史SFのタブーを紹介した後、文化大革命描写に焦点をあて、中国の政治動向と中国史SFの関係性について論じていきたい。

■中国史SFのタブー

 中国史SFには明確なタブーがいくつか存在する。一つ目は、中華人民共和国が成立しなかった世界を描くことである。英米では第二次世界大戦で枢軸国(主にドイツ・日本)が勝利した世界を描く改変歴史SFが数多く出版されている(1)。日本でもアジア太平洋戦争での降伏が遅れた結果、東西に分断してしまった日本を描いた作品が多数存在する(2)。しかし、中国では日中戦争や第二次大戦後の国共内戦に敗れた結果、中華人民共和国が成立しなかった世界を描いた改変歴史SFはみかけない。例えば、国共内戦で中華民国が勝利を収め、毛沢東が亡命先のクリミア半島で客死した世界を描く陳冠中『建豊二年――新中国烏有史』(牛津大学出版社、2015年)は、中国では出版できず、香港・台湾で出版された。作中では中国統一を果たした中華民国が蔣介石・蔣経国親子による独裁体制下で経済発展し、老舎がノーベル文学賞を受賞している。と同時に経済的繁栄の陰で弾圧される民主化運動やチベットの民族問題も描かれている。欧米や日本そして中国でも近現代史を題材とする改変歴史SFには現実の諸問題が投影されることが多く(3)、『建豊二年』は中国政府にとって二重の意味で危険な作品だったということになろう。
 ただし、短篇の中で中華人民共和国が成立しなかった世界を断片的に描く分(数行程度)にはギリギリセーフのようである(ネタバレになるので事例は注(4)で紹介)。また、第二次大戦でドイツ・日本が勝利してアメリカを分割した世界を描いたフィリップ・K・ディックの『高い城の男』の中国語訳がでているほか、中国SFにもナチスドイツが勝利した世界を描く短篇がある(5)ことから、中国の状況にさえ言及しなければ大丈夫なようだ。
 二つ目のタブーが1989年6月4日に民主化運動を武力弾圧した第二次天安門事件(六四事件)である。この事件について中国政府が厳しい情報統制を行っていることはよく知られている。中国史SFでも天安門事件をとりあげた作品はほとんどない。激動の中国現代史に翻弄される男女を描いた宝樹「金色昔日」(中原尚哉訳:『月の光』所収)は、中国ではWebで公開されたが、ほどなく削除されてしまい、その後に出た短篇集やアンソロジーにも一切収録されていない(6)。事実上、中国では幻の作品となってしまったのである。また、ケン・リュウ「パーフェクト・マッチ」(幹遥子訳:『母の記憶に』所収)が中国語に翻訳された際には、天安門事件に言及した部分が別の話題に書き換えられてしまった(7)。わずか数行の記述であっても改変を余儀なくされてしまうのだ。近年、天安門事件に関するWebの監視・情報統制がますます厳しくなっていることから、事件に触れた作品はWeb雑誌に載せることすらできないとみてよい。こうした状況は今後も変わらないと思われる。現時点で最も厳しいタブーは天安門事件なのである。
 また、チベット・ウイグル・モンゴルといったいわゆる少数民族の現代史についてもタブーの可能性が高いと思われる。いずれも18世紀から20世紀半ばにかけて中国の領域に取り込まれた地域であり、現在に至るまで衝突と抑圧が繰り返されている(8)。民族問題は中国政府にとって極めて敏感な問題であるため、中国政府の公式見解以外の観点に立った作品を発表することはできないだろう。

■中国SFのなかの文化大革命

 さて、中国史SFのタブーと聞いて、文化大革命(1966~76)を連想した人もいるのではないだろうか。しかし、もともと文革はタブーだったわけではない。毛沢東の奪権闘争に端を発し、中国に多大な混乱をもたらした文革は、1981年6月に中国共産党が採択した「建国以来の党の若干の歴史問題についての決議(歴史決議)」において、完全な誤りだったと公式に結論付けられており、現在まで踏襲されている。すなわち、本来、文革を取り上げることに何ら問題はなかったのだ。実際、中国の主流文学では、1980年前後に文革の傷を正面から描いた傷痕文学が流行し、その後も長く影響が続いた。
 中国SFでも、1980年代から2000年代まで文革をモチーフにした作品が執筆されている。例えば、1992年に『科幻世界』に発表された姜雲生「長平血」は、幻覚機器(一種のVR=仮想空間ともとれる)の実験を通して、戦国末の長平の戦い(前260年)における背信行為と文革中の裏切りを重ねあわせ、人々の傷痕を抉り出し、中国の国民性を批判した名作として高く評価されている(9)。また、1994年に『科幻世界』に載った王晋康「プロメテウスの火」(泊功訳:『三田文学』137号掲載)は、文革中に邂逅した天才少年と物理教師の悲劇を描き、第6回銀河賞科幻小説賞特等賞を獲得した。
 文革を描いた中国SFとして、最も著名な作品が劉慈欣の『三体』であろう。『三体』は文革中に行われた批判闘争で物理学者(主人公葉文潔の父)が殺害されるシーンで幕をあける。母の裏切りで父を殺され、文革中の武闘で妹も死亡し、内モンゴル東部の大興安嶺に下放された葉文潔だったが、そこでも信頼した人物に裏切られ、絶望の淵にたたされる……。異星人との最悪のファーストコンタクトにいたる重要な背景が文革なのである。すでに陸秋槎が指摘しているように、『三体』は傷痕文学の要素も含まれているのだ(10)。戦後日本SFの想像力のルーツを第二次大戦中の原爆投下とそのトラウマだったとする飛浩隆のSF観(11)に倣うならば、現代中国SFの想像力のルーツの一つは文革とそのトラウマだったといえるかもしれない。
 ただし、すでに知られているように、『三体』の文革シーンは、各版本で配置に異同がある。2006年に『科幻世界』に連載された際には文革シーンから始まっていたが、2008年に出版された単行本では21世紀の現代パートから始まり、文革当時を描く過去パートは第7章に移されたのである。2014年に刊行された英語版では、劉慈欣の意向にそって本来の順序(雑誌連載の順序)に戻された。2019年に早川書房から出た日本語版『三体』も英語版を踏襲している。
 順序改変の理由については、単行本刊行時の中国の政治・社会状況を鑑みて、文革から始めるのは得策ではないと判断されたといわれている(12)。一方、中国のSF読者の大半が若者であるため、文革から始めると敬遠されてしまうと判断されたという話もある。どちらが正しいかはっきりしたことはわからないが(あるいは両方とも事実なのかもしれない)、検閲逃れのために順序を改変したと強調するのは少々ひっかかる。なぜなら、文革シーンそのものが削除されたわけではないからだ。天安門事件のように本当にタブーであれば、出版自体できなかったはずである。
 いずれにしろ、『三体』は現在でも版を重ね、中国国内だけでシリーズ累計2000万部を突破しており、文革シーンそのものがタブーになっていないことがわかる。前述した姜雲生「長平血」や王晋康「プロメテウスの火」が近年のアンソロジーや個人短篇集に収録されていることもその傍証となろう(13)

■二つの「紙の動物園」

 『三体』に代表されるように、1990~2000年代(江沢民政権1989~2002→胡錦濤政権2002~2012)の中国SFでは文革はタブーではなかった。しかし、2010年代になると、徐々にその状況に変化が生じてきた。その一端がケン・リュウの「紙の動物園」の翻訳からうかがえる。中国では「紙の動物園」に2種類の翻訳がある。そのうち、2011年6月に『科幻世界・訳文版』に掲載された翻訳「手中紙、心頭愛」(范何豊訳)では、主人公の母親が河北省出身の中国人から中国系ベトナム人(華僑)に改変され、1950年代後半に発生した3000万人以上の餓死(大躍進政策の失敗)と文革中の迫害に関する部分も削除されている。この翻訳は2012年に出版されたケン・リュウの短篇集『愛的算法:劉宇昆科幻佳作選』(四川出版集団・四川化学技術出版社)にも収録されて広く流通した。この問題に着目した河本美紀は、「大飢饉、文化大革命、貧困という負の歴史に関する記述が中国当局にとっては都合が悪いため、国内の読者の目に触れないようにさせたということに他ならない」と述べている(14)
 しかし、大躍進政策の失敗と文革は、2000~2010年代前半には主流文学でも中国SFでもタブーではなかった。河本美紀も主流文学の著名作家である余華のインタビューを取り上げて同様の指摘をしている。2011年当時の状況を踏まえると、「手中紙、心頭愛」における改変は過剰な忖度であるように思われる。何か特別な理由があったのではないだろうか。
 ここで注目したいのが『科幻世界』に「手中紙、心頭愛」が掲載された時期である。2011年当時、四川省重慶市のトップ(重慶市党委書記)であった薄煕来は、2012年秋に開催される中国共産党第18回全国代表大会における中国最高指導部(中国共産党中央政治局常務委員会)入りが有力視されていた。彼は毛沢東の政治手法を取り入れ、唱紅(大衆を動員して革命歌を合唱させる政治キャンペーン)を展開し、「共同富裕」(格差是正)を訴えるなど、毛沢東時代への郷愁をかきたてて、民衆の支持を獲得していた。一部の高官は文化大革命の再来を警戒していたほどである。
 出版物の検閲基準は明示されている訳ではなく、出版社側で忖度する必要がある。翻訳の場合は契約の関係(契約期間や契約金など)でスムーズに検閲を通るほうが望ましいため、国内の小説よりも過度の忖度が働く傾向にあるのではないだろうか。そう考えると、「紙の動物園」の翻訳の際に、薄煕来の活動と将来の影響力を考慮し、毛沢東の失政である大躍進政策による大飢饉と文革について改変・削除することにした可能性が浮上してくる。なお、薄煕来は2012年に巨額の不正と権力濫用(妻による英国人ビジネスパートナー殺人事件)が発覚して失脚した。そして2012年に開催された中国共産党第18回全国代表大会で党総書記に就任したのが習近平である。習近平政権の幕あけである。
 さて、2017年に出たもう一つの「紙の動物園」の翻訳である「折紙動物園」(耿輝訳:『奇点遺民』中信出版社)では、原文通り主人公の母親を河北省出身としたうえで、大飢饉についても触れている。河本美紀は「折紙動物園」には改変や削除が見られないと述べ、その変化の理由について、劉慈欣のヒューゴー賞受賞を機に、中国SFの地位があがったためではないかとする(15)。ところが実際に「折紙動物園」を見ると、大飢饉で三千万人が死亡したとする原文を自然災害が発生して多くの人が亡くなったと改変し、文革に関する記述も削除していた。すなわち原文の設定を踏まえつつも、やはり負の歴史については訳していないのだ。河本美紀が指摘しているように、2010年代後半には主流文学でも文革描写が徐々に難しくなっていた。おそらく2011年の「手中紙、心頭愛」があまりにも原文と乖離していたため、改訳版の「折紙動物園」では著者のケン・リュウやSFファンのためになるべく原文に近づけたものの、検閲をスムーズに通すために文革については改変を余儀なくされたのであろう。このようにケン・リュウ「紙の動物園」の翻訳事情から、2010年代に文革描写が際どいものになってきたことがうかがえるのだ。

■消えゆく文化大革命

 2010年代後半になっても劉慈欣『三体』や王晋康「プロメテウスの火」のように過去に書かれた中国SFでは、特に文革シーンが削除されておらず、天安門事件と違って完全にタブーになっているわけではない。また、文革に触れる新作も存在する。2016年に電子工業出版社から刊行された郝景芳『1984年に生まれて』(櫻庭ゆみ子訳:中央公論新社、2020年)は、中国現代史に翻弄された父と21世紀中国の荒波にもまれる娘を描いた自伝体小説であるが、文革中の批判闘争や農村への下放に関する記述があり、文革自体の叙述量こそ少ないものの物語の重要な鍵となっている。2021年に出た七月『小鎮奇談』(人民文学出版社)は、1960年代に米ソと対立した中国が核戦争に備えて四川の山中に秘密軍需工場(三線)を建設した史実を踏まえ、1999年に404工廠(架空の三線の工廠)で生活する少年たちが奇怪な事件を追って宇宙の秘密に迫るノスタルジー(+愛国風味)溢れる作品である。1999年が舞台であるため、作中に詳細な文革描写はないものの、工廠の過去を語った部分で文革の影響について言及している(16)
 しかし、徐々に1960~70年代を題材とした作品であっても、文革に関する描写が少なくなってきているのは間違いない。趙海虹「月涌大江流」『月涌大江流』山東教育出版社、2021年、初出2019年)は、1940~70年代の四川における水力発電用のダム建設と未来人との関わりを描いた中国史SFである。しかし、同時期に発生していた大躍進政策や文革を連想させる記述は一切ない。また、中国が1972年に有人宇宙飛行を目指す改変歴史SFの呉岩『中国軌道号』(安徽少年児童出版社、2020年)は、児童向けSFとして小学3年生の少年の目線で書かれているためか、文革の影はほとんどうかがえない(17)
 もちろん各作品にはそれぞれの主題があるわけで、詳細な文革描写がないこともおかしなことではない。だが、1960~70年代が舞台であるにもかかわらず、文革描写がほとんどないというのはやはり不自然である。そもそも近年の中国SFには、文革を正面から扱った作品自体が見当たらない。同じ現象は主流文学でも起きており、文革が語ってはいけないテーマになってきている(18)。徐々に文学界から文革が消えはじめているのだ。作家・読者双方の文革に対する関心が薄くなっているということもあろうが、ケン・リュウ「紙の動物園」翻訳の事例とあわせて考えると、やはり徐々に文革がタブーになってきているように思われる。

■おわりに――中国SFのカナリア

 本稿では中国史SFのタブーについて論じてきた。中国現代史を題材にしたSFでは、天安門事件が一貫して絶対的なタブーだったのに対し、もともとタブーではなかった文革が2010年代になって徐々にタブーに近づいていた。これは習近平政権(2012~現在)の権力強化と連動しているとみてよいだろう。中国政府は、その負の歴史を国民の目に触れさせないように、情報統制をすすめているのである。ただし、劉慈欣『三体』をはじめ文革を扱った過去の作品には特に手を触れていない点が巧妙である。表向き文革はタブーではないと喧伝しつつも、新作や海外SFの翻訳では文革がタブーという二重構造になっているからだ。
 1990~2000年代の中国SFは文学の辺縁に位置付けられ、中国政府からは等閑視されていた。しかし、2010年代後半以降、中国政府は中国文化の海外アピールの材料として中国SFに関心を寄せつつある。これは資金や社会的評価の面では大きなメリットとなっている。しかし、その一方で文革がタブーに近づいてきたように、徐々に中国SFに対する統制が厳しくなるのではないかという懸念もある。習近平が2015年に発表した文芸講話では、文芸を中華民族の復興に寄与すべきもの、国際社会に向けて中国理解を促すものとして位置付けている。文芸講話の中で習近平は「崇高なものをからかい、名作を曲げ、歴史を転覆させ、人民大衆と英雄人物を醜く描く」作品を批判している(19)。現時点では主流文学・SFともに必ずしも文芸講話の枠にとらわれているわけではない。しかし、情報統制が強まりつつある状況を鑑みると、今後、中国史SFに影響を与える可能性もある。中国政府の歴史観に沿わない作品が批判されかねないからである。少なくとも中国現代史を扱った作品では、しばらくの間、天安門事件はいうまでもなく、毛沢東の失政である大躍進政策や文革も正面から取り上げるのは難しいだろう。一方、前近代を題材にした作品では、いまのところ制限はそれほどかかっておらず(20)、今後も様々な時代を舞台にした作品が生み出されると思われる。しかし、中国の歴史・文化を過剰なまでに称揚するような作品が出てくる可能性もある(21)
 また、前述したように、中国では検閲の基準が示されていないため、政治動向にあわせて出版社側で忖度しなければならない。特に海外SFの翻訳では、中国SFよりも過度の忖度が働いている節がある。例えば、カンボジアのポルポト政権を扱った小川哲『ゲームの王国』(早川書房、2017年)は発禁のリスクがあるため翻訳の話が進んでおらず、CIA工作員が共産主義思想の誕生を妨害しようとする歴史改変SFの小川哲「嘘と正典」(『嘘と正典』早川書房、2019年)も翻訳が載せられないそうだ(22)。中国現代史を題材としていないので、ギリギリセーフの可能性もあるが、翻訳や出版の準備をしたうえで検閲が通らなかった時のリスク(経済的・政治的ダメージ)を考えると、出版社としては冒険できないということだろう。現在の政治動向を踏まえると、こうした忖度はより拡大していく可能性がある。
 1960年代から現在に至る中国史SFの歴史をたどると、中国とSFの関係性の変化が見えてくる。科学の普及と啓蒙に重点を置いて中国史SFがあまり書かれなかった1950~60年代前半、文革によってSF自体が書けなかった1960年代後半~1970年代、海外文化の受容と中国化の模索のなか中国史SFが次々に登場した1980~90年代、国力の増大とあわせるかのように多様で豊かな中国史SFが生み出された2000年代~2010年代前半。そして世界有数の経済力を持ち、国際的影響力も増すなか、権力強化と情報統制が進んだ2010年代後半には、優れた中国史SFが輩出されるとともに、徐々にタブーが拡大していった。果して2020年代はどうなるのだろうか。中国史SFに着目することで、現在の中国の状況が垣間見える可能性もある。中国史SFは、炭鉱のカナリアならぬ中国SFのカナリアとしても要注目のジャンルなのである。

 さて本連載では、日本語訳の状況・女性SF作家・中国史SF・現代史のタブーと4回にわけて中国SFについて紹介してきた。陸続と出版されるテーマアンソロジー(火星・スポーツ・メタバース・国営企業等)、中国SFにおける日本像など、まだまだ語りたいことがたくさんある。ただし、これらはあくまでも筆者の関心に基づいたものにすぎず、中国SFの一部に触れているに過ぎない。例えば、良質で作品数も多く、中国で人気の高いハードSF(宇宙・人工知能・サイボーグ・遺伝子改変・環境問題など)については、筆者の力不足のため紹介することができなかった。日本では中国SFの翻訳が進んでいるが、中国SFの研究者・批評家は決して多いとはいえない。今後、中国SFがさらに日本に浸透し、多くの研究者や批評家の手で、多様な中国SF論が次々に書かれる日が来ることを願っている。

【注】

(1)英米の改変歴史SFと反実仮想の歴史学については、赤上裕幸『「もしもあの時」の社会学――歴史にifがあったなら』(筑摩書房、2018年)が詳しい。

(2)赤上裕幸『分断のニッポン史――ありえたかもしれない敗戦後論』(中公新書ラクレ、2021年)参照。

(3)前掲注1赤上書68~70頁参照。また、近年、英語圏ではフェミニズムやジェンダーを意識した改変歴史SFがよく書かれている。代表的作品にはメアリ・ロビネット・コワル(酒井昭伸訳)『宇宙へ』(ハヤカワ文庫、2020年)シリーズがあげられる。

(4)ネタバレ注意:日中戦争を題材とした韓松(林久之訳)「一九三八年上海の記憶」(『移動迷宮』所収)では、二つの結末が用意されており、一つは日本が敗北した世界(史実通りの展開)、もう一つは日本が勝利した世界となっている。また、宝樹(稲村文吾訳)「三国献麺記」(『時間の王』所収)では、タイムスリップによって歴史が変わってしまい、清朝による立憲制が21世紀まで続いた世界が数行描かれている。
 なお、中華人民共和国の存在する世界を描きながら、ギリギリアウトと判定されたとおぼしき作品もある。近未来の男女がタイムスリップして1921年に開かれた第一回中国共産党大会をのぞきみる宝樹「一起去看南湖船」(『新幻界』2011-7・8)である。この作品には毛沢東の存在しない中華人民共和国が登場しており、web雑誌には掲載されたものの、その後の宝樹の短篇集には収録されていない。おそらく検閲を考慮して短篇集への収録を見送ったものと思われる。

(5)例えば、知能をもった猫が人類をペットにしている地球から、人類が支配する平行世界の地球に向かった男女を描いた無形者「莱布尼茨的可能世界」(『猫不存在』湖南文藝出版社、2020年)では、二人の到来で歴史が変わってしまい、第二次大戦でナチスドイツが勝利を収めてしまう。

(6)この作品は、既に英語・日本語・スペイン語・ドイツ語に翻訳されており、海外では読むことができる。

(7)劉宇昆(耿輝訳)『奇点遺民』(中信出版社、2017年)所収。詳しくは河本美紀「文学に及ぶ政治規制――ケン・リュウThe Paper Menagerie(「紙の動物園」)の中国語バージョンを例に」(『立命館文学』667、2020年)参照。

(8)例えばウイグル人の現代史については、熊倉潤『新疆ウイグル自治区――中国共産党支配の70年』(中公新書、2022年)参照。文革期の内モンゴルについては、楊海英『文化大革命とモンゴル人ジェノサイド』上下(草思社、2022年)参照。

(9)宝樹「当科幻遇到歴史」(『科幻中的中国歴史』生活・読書・新知三聯書店、2017年)、高亜斌・王衛英「我們的身上都流着“長平血”――論姜雲生科幻小説的国民性批判主題」(姚義賢・王衛英主編『百年中国科幻小説精品賞析』科学普及出版社、2017年)参照。

(10)陸秋槎「傷痕文学からワイドスクリーン・バロックへ」(『SFマガジン』2019‐8)参照。

(11)飛浩隆「『シン・ゴジラ』断層」(『SFにさよならをいう方法』河出文庫、2021年、初出2016年)、山崎聡「解説――銀河を外から見るために」(飛浩隆『零號琴』下、ハヤカワ文庫、2021年)参照。

(12)立原透耶監修、大森望・光吉さくら・ワンチャイ訳『三体』(早川書房、2019年)の訳者(大森望)あとがき参照。

(13)姜雲生「長平血」は宝樹編『科幻中的中国歴史』に、王晋康「プロメテウスの火」(原題:天火)は王晋康『転生的巨人』(北京理工大学出版社、2018年)に収録されている。

(14)前掲注7河本論文参照。

(15)前掲注7河本論文参照。

(16)七月『小鎮奇談』(人民文学出版社、2021年)231~232頁では、奇妙な体験を持つ老婆が文革の影響が及んだ際に「歴史虚無主義」と批判されたことが示唆されている。また、351頁では文革時に伝統文化が目の敵にされ、寺院が破壊されたことも記されている。

(17)作品中には、1966年の夏に軍装所の所長が解雇されたこと、科幻小説などの多くの書物が焼かれたこと、1966年以来航空博物館が閉まっていることが出てくるので、作中世界でも文革自体はあったものと思われる。しかし、「文化大革命」や「文革」の語句は一切登場しない。

(18)前掲注7河本論文参照。

(19)習近平「在文芸工作座談会上的講話」(『人民日報』2015年10月15日)。文芸講話とSFの関係については、上原かおり「「辺境」の文学であったSFが《人民文学》に掲載されるようになったこと」(『日本中国当代文学研究会会報』35、2021年)参照。なお、文芸講話の翻訳については上原かおり訳を踏まえた。

(20)ただし、気になる動きもある。劉興詩が韓松に伝えたところによれば、1999年に劉興詩が書いた児童向けのSF小説『修改歴史的孩子』(四川少年児童出版社)の再版は認められないと出版社から通知されたとのことである。現代の少年が南宋の秦檜や清末の西太后を殺害して歴史を改変するというストーリー展開が妥当ではないと判断されたそうだ。韓松の2022年6月19日の微博参照。これについては二つの解釈が考えられる。一つは歴史改変が検閲に引っかかりかねないと判断された可能性である。もう一つは児童向けSFであるにも拘らず、現代の少年が歴史上の人物を積極的に殺害している点が問題視された可能性である。前者であれば中国史SFに対する検閲強化・忖度の事例といえるが、後者であれば少年の暴力を肯定的に描いた点が問題視されたことになる。現時点では断定できないものの、筆者は後者の可能性が高いのではないかと考えている。なぜなら、最近刊行された潘海天の短篇集(青少年向け)『永恒之城』(民主与建設出版社)から、出版社の意向で「餓塔」(梁淑珉訳:『時のきざはし』所収)や「星星的階梯」(『2003年度中国最佳科幻小説集』四川人民出版社、2004年)などのカニバリズムやストリートチルドレンに対する暴力描写を含む短篇がはずされているからである。潘海天の6月18日の微博参照。これらの短篇は8月に出たばかりの潘海天の短篇集『黒暗中帰来』(訳林出版社、2022年)には収録されていることから、あくまでも児童・青少年向けの作品では暴力描写が避けられる傾向にあることを示唆している。

(21)習近平の文芸講話には「愛国主義を文芸創作の主旋律とし、人民が正しい歴史観・民族観・国家観・文化観を樹立し堅持するよう導き、中国人としての気骨と自信を増強しなければならない」という一節がある。

(22)池上彰×大森望×小川哲「中国SF『三体』座談会」(『小説すばる』2021‐1)参照。

 

(おおえ・かずみ 中華SF愛好家)

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