|
|
|
微観中国 |
微観中国(33)魯迅作品がネット流行語に 「趙家人」その背景は |
|
|
|
|
|

|
|
「『阿Q正伝』は魯迅が書いた中国病のカルテであった」―30年前の学生時代に購入した『中国文学館』(黎波著、大修館書店)は魯迅の代表作「阿Q正伝」についてこのように評している。「現実的にはどんな惨めな目に遭わされても、想像の中であべこべに相手をめちゃくちゃにやっつけてしまう。阿Qはこの精神勝利法で永遠に勝利者でいられるわけである。」中国社会や民族に対する透徹した魯迅の視線は、現在においてもその価値を失わない。100年の歴史を経て、再び魯迅のこの作品中にある「趙家人」(趙家の人)という言葉が中国社会で注目され、新たなネット流行語となっている。「趙家人」とは何か、この言葉に関する多くの評論から考えてみたい。
「阿Q正伝」で主人公の阿Qは弱いものをいじめ、権力者に取り入ろうとする。豊かな地主の趙家の息子が科挙に合格、自らも趙家の一員と自慢した阿Qがお祝いを述べたのに対し、主人は「お前が趙家を名乗るにふさわしいと思っているのか」と殴ったという部分がある。「趙家人」はこの部分が出典となっている。
ニューヨーク・タイムズ(NYT)はこのほど、趙家人が流行語となった背景を「Leveling Criticism at China’s Elite, Some Borrow Words From the Past」(中国エリートに階級打破の批判 過去から言葉を借用)という記事の中で伝えた。この記事の中国語版の題名は「“赵家人”:中共权贵阶层的新称号」(趙家人:中国特権階層の新たな称号)となっている。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|

「入り口の野蛮人、背後の趙家人」
|
|
記事によると「入り口の野蛮人、背後の趙家人」という文章が近頃ネットで拡散しており、これは不動産開発大手の万科企業(広東省)がこのほど筆頭株主である不動産、保険業の宝能投資集団(同)から敵対的買収を仕掛けられた問題を取り上げたものだという。文章中の「野蛮人」は宝能で、「趙家人」はもう1つの大株主、安邦保険を指す。
なぜ宝能が「野蛮人」なのか?宝能の創業者、姚振華は「百度百科」によれば、1992年大学を卒業後、深圳で野菜売りから起業、不動産、保険、物流、教育、医療など多分野にまたがる「商業帝国」を築き上げたのだという。
「財経」などの報道によると、万科の創業者王石は、宝能が傘下の「前海人寿保険」などを通じて仕掛けた買収に対し、「無理やり部屋に入ってきた野蛮人」とし、歓迎しないとの態度を取った。
万科は12月中旬、株式取引を停止、資産リストラを行うとした。報道によればこれは株式を追加発行し、宝能の持ち株比率を引き下げ、筆頭株主の座から追いやり買収を防止する狙いがあった。
万科は「野蛮人」宝能ではなく、もう1つの主要株主である安邦保険の増資を歓迎した。NYTによると、安邦の背後には共産党の特権階級の支持があり、つまり安邦の会長は鄧小平の孫娘と結婚、取締役会には革命の功労者の一人、陳毅の息子の名前もあるという。こうしたことから、万科はいわば野菜売りから成り上がった宝能よりも、特権階級とつながる「趙家人」安邦こそが相応しいパートナーだと考えたのだろう。
この「趙家人」という言葉について、北京外国語大学のメディア研究者、 喬木は、NYTの取材に「これはインターネット時代に、政府の言語を反抗的に解体するものだ」と指摘している。「かつて我々は役人を人民の公僕と呼んだが、事実上は特権資本階級であり、中国の『紅二代』という言葉を使うのは敏感なため、『趙家人』という言葉が一種の嘲笑として広がったのだ」と、彼はこう答えている。
「趙家人は特権階級であり、彼らの父は革命の成功により高官となり、第2世代『紅二代』は権力を引き続き掌握するか、商売でもうけている」。喬木は「趙家人」について書いた文章でこう批判した。
香港紙『東方日報』のコラムニスト、趙暉はNYTに「趙家の人」という表現は愛国主義の虚偽の宣伝への抵抗であり、現実への不満を表現したと指摘した(趙暉自身は特権階級ではない)。趙暉は「世界は我々のものであり、彼らのものでもある。だが結局は趙家人のものである」(これは毛沢東の有名な語録のパロディ)と述べ「このような言い方は非常に乱暴だが、権利が普遍的に剥奪された国では、まさに(問題の本質を)言い当てている」と述べた。
趙家人がという言葉がネット流行語として広がったのはこのように持てるものと持たざるものとの境界線をはっきりと示した点にある。趙家人がネットで流行語となった理由を分析した記事で、在米のネットジャーナリスト、 温雲超は「趙家人という言葉は統治階層と普通の民衆の間との溝を非常に精確に描き出した」と述べた。
|
|
|
|
|
|
この記事はさらに次のように記している。「95年前魯迅が描いた趙家人は無産階級の阿Qを罵り殴ったが、無産階級から身を起こした共産党は権力奪取から60年を経て趙家人となった。この言葉は中国のネットユーザーにより様々に利用され、これまでの『你国』(あなたの国)に代わる『趙国』という言葉を作り出した。また国有企業に代わる『趙企』や、『精趙』という言葉で本来は趙家人ではないが、個人の出世のため、精神的に趙家人となった者を風刺した(ちなみに精趙に対する言葉は『真趙』、つまり真の趙家人という)。さらにネット市民は、『人民』の2文字を含むあらゆるものは、『趙家』に置き換えることでより(本質が)はっきりすると分析した。例えば『為趙家服務』『趙家公僕』『趙家法院』『趙家日報』などだ」。
温は「当局がかつて批判した対象によって、当局自らが既得利益者となっていることを指摘する、これはネットユーザーの天才の発明だ」と述べている。
趙家人は当局がこれまで愛国主義教育などの形で国民に植え付けようとしてきたイデオロギーやアイデンティティを解体するものだとの指摘もある。ネット作家、 莫之許は香港紙『東方日報』のウェブサイトのコラムで、次のように書いた。
「ここ20年来、体制は愛国主義や民族主義の教育や宣伝を強化、共産主義イデオロギーが破綻した後の真空を埋めようとした。これにより次々と『鶏血憤青』(理性を失い興奮、怒りを爆発させる若者)が生まれた。愛国主義の言葉は感情的なイメージ、例えば母なる祖国、炎黄(古代の皇帝)の子孫、血は水よりも濃い、龍の伝人といった類により、『想像の共同体』を広めようとした。だが現在の専制政治体制は普遍的、深刻に(人民の基本的な)利益を奪うことを前提にしている。そのため、市場集権体制の強化に伴い、体制を境界とする溝と対立がますます深まっている。このような状況で、いわゆる共同体はますます虚偽であり疑わしくなっている。網民の口から出る『你也配姓趙』(あなたも趙を名乗るにふさわしい、趙家の仲間だ)、これは愛国主義の虚偽の宣伝への抵抗であり、現実への不満を体現したものだ」
すなわち、中国が天安門事件以降強化してきた愛国主義教育は、人々に体制との一体性を強調し、「愛国すなわち愛党」として共産党の求心力を高める狙いがあった。その副産物として、反日ナショナリズムが高まったのだが、現実には持てるものと持たざるものの格差が拡大し、「趙家人」(という言葉)はまさにこの矛盾を突くことで急速に拡散したのだ。
在米の経済学者、程暁農もボイス・オブ・アメリカ(VOA)の取材に、次のように指摘している。
|
|
|
|

「私は趙家模式(モデル)を信じない」 |
|
「中国は改革開放以来、商業活動は常に政府の干渉を受けてきた。それゆえ商人がもし趙家人を買収できれば、商売は自然とうまくいくのだ。政府が厳格に管理する分野、金融、軍事物資などは、趙家人だけがコネをつけることができる。趙家人は私募ファンドなど儲けが多い分野に手を出している。趙家の出身でない商人は株式を贈ったり、趙家人を抱き込んだりして、自らを支援してもらおうとする」。
この言葉があまりに強いインパクトを持ったため、当局は早速メディアでの使用を禁止した。在米ネットメディア「中国数字時代」によると、共産党中央宣伝部は「精趙、貴趙、趙家人、趙王」などの言葉を禁止語句とした。現在微博などでこの言葉を入れても、「関連する法律によりこの言葉は表示できない」とのメッセージが出る。
在米の政治評論家、 陳破空はVOAの取材に、「中国のネットで趙家人という言葉が生まれ、多くの網民から支持され、すぐに当局から検索禁止処分を受けた。この現象は、この言葉が非常に絶妙であり真に迫っていることを示しており、中国の特権資本主義の現実を生き生きと描いた。中国の網民の知能指数を低く見積もってはならない」と指摘した。
当局の厳しいネット言論管理の中、網民は沈黙を強いられたが、決して批判や抵抗精神を失ったわけではない。今回の趙家人はこうした筆者の見方を裏付けたものと言える。ネットで広がった「私は趙家模式(モデル)を信じない」という徽章には次のような語句が並んでいる。
「造反を革命と呼ぶ、売国を対外援助と呼ぶ、陥落を解放と呼ぶ、強奪を共産と呼ぶ、逃亡を長征とよぶ、独裁を特色と呼ぶ、腐敗を国情と呼ぶ、宣伝を新聞と呼ぶ、洗脳を教育と呼ぶ、奴隷化を統一と呼ぶ、皇帝を書記と呼ぶ」―こうした虚構を「信じない」という覚醒した網民の強い宣言をこの徽章から感じることができる。2016年、中国のネット世論動向から引き続き目が離せない。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|

「網民」の反乱 ネットは中国を変えるか?
古畑康雄
|
|
|
|
|
古畑康雄・ジャーナリスト |
|
|
|
 |
|