前回紹介した人肉捜索について、ネットで「人肉捜索」というキーワードで検索していたら、面白い記事が引っかかった。新浪網エンタメニュース(8月29日)によれば、著名な映画監督、陳凱歌がこの秋に人肉捜索をテーマとした「捜索」(仮題)という作品を制作するという。
報道によれば、原作は「網逝」というネット小説で、ある女の子がバスの中で座席を譲らなかったことが暴露され、ネットで批判を受けたが、彼女が病気で亡くなったことで、この記事を書いた記者に攻撃の矛先が向かったという内容だという。自らも「饅頭」パロディ事件でネット社会から批判にさらされた陳凱歌(本稿(9)「悪搞」参照)が、人肉捜索をテーマにどのような作品を作るのか、注目したい。
さて、この人肉捜索、つまり中国の網民(ネット市民)による集団的な真相究明の矛先が最も向かいやすいのが、政府の役人だ。
例えば、08年には2つの政府高官が、人肉捜索により集中砲火を浴び、職を失った。同年10月、深圳海事局党委員会書記の李嘉祥という人物が、同市内のレストランで、見知らぬ少女にわいせつな行為をしたとの疑惑が持ち上がった。家族とレストランに来ていた少女に、李はトイレの場所を訪ね、案内した少女をトイレ近くで首を絞めようとしたというのだ。危険を感じた少女はとっさに振り切り、家族のもとに逃げ戻った。李は少女の両親らと口論になり、一部始終が記録されたビデオもネットで公開された。
その時に李は「俺は北京の交通省から派遣されたんだ、あんたらの市長と同じくらい偉いんだ!」「俺には向かう奴はとっちめてやる」などと暴言を吐いたとされ、網民の怒りを買って人肉捜索を受けた。もっとも、ビデオは映像のみで音声はなく、後の調査では李はこのような発言をしたという証拠もなく、児童への強制わいせつなどの罪には問われなかった。だが世論の批判を受け、李は同年11月、酒に酔って不適切な言動をし、悪劣な影響を及ぼしたとして一切の党務を解任された。
同年12月には南京市江寧区の不動産管理局長、周久耕が人肉捜索にさらされた。きっかけは記者会見で「原価よりも安く販売した不動産は厳しく取り締まる」と発言、人々の不満を買ったことだった。彼がある会議に出席した時の写真がネットに公開されると、1カートン1000元(約1万2000円)もする高級タバコ「南京九五之尊」を吸っていることや、スイス製高級時計を身につけ、米国の高級車キャディラックに乗っていることなどが次々と暴露され、網民から「天価煙局長」(超高価な煙草を吸う局長)などと揶揄(やゆ)された。
公務員の身に余る高級ブランドを使っていたことが世論の強い批判を浴びたことから、周は12月、不動産局長の職を解任され、さらには09年10月、収賄などの罪で南京市中級人民法院から懲役11年の有罪判決を受け、資産123万元を没収された。ネットによる腐敗摘発の典型的な事件となった。
人肉捜索による不正摘発におそれをなした地方政府は、規制の動きに出た。「南方都市報」など(2010年11月2日)の報道によれば、深圳市の人民代表大会は「個人情報保護条例」の制定に向け、市弁護士協会に起草を委託、制定されれば中国初の個人情報保護規定になるという。
報道によれば、「国内外の経験を取り入れ、個人情報の収集、蓄積、伝達、公開、利用などの行為を全面的に規制する。個人情報の主体(本人)の権利や、情報管理者の義務などを明確にし、個人情報侵害についての法律上の責任や訴訟手続を確定し、個人情報の保護について、『真に頼りになる』立法を目指す」としている。その後この条例に関する報道は出ていないので、現在どのような段階にあるかは分からないが、立法までにはある程度時間がかかるのかもしれない。
深圳市は09年8月にも、『コンピューター情報システム公共安全管理規定』に人肉捜索を規制対象に加えることを提案すると表明している。
具体的には通信事業者やウェブサイトに、文章の事前審査や削除などにより、公民のプライベート侵害や誹謗(ひぼう)を防ぐことを義務づけ、政府に違反者に対する処罰や責任追及をする権限を与え、人肉捜索に対する指導監督を強化するという内容だ。
人肉捜索を規制する動きはそれ以前からもあった。南方都市報の評論(09年9月5日「立法者はいかに人肉捜索に向き合うべきか」)によれば、同年1月、江蘇省徐州市の人民代表大会は『徐州市コンピューター情報システム安全保護条例』を可決、許可なく他人のプライバシーをネットで流すことを禁じ、違反者に最高5000元の罰金を科すとしたほか、寧夏回族自治区も同様の規定を発表した。
評論は、こうしたプライバシーの問題はむしろ『個人情報保護法』の設立により解決すべき問題だと述べ、さらに問題の根源は、ネットの発展とそれに伴う自由な言論の拡大により、一部の人の既得利益が侵されるようになったことにあると指摘する。
例えば、2008年8月、全国人民代表大会の元常務委員会委員、李志剛は「“ネットでの指名手配”や“人肉捜索”は公民の基本的権益を侵す行為であり、刑法により取り締まるべきだ」と主張したが、李はその後、地位を利用し、親族が安く不動産を手に入れられるよう便宜を図っていたことが判明、中央規律検査委員会の“双規”(取り調べ)を受け、党籍と公職を奪われた。規制を主張する側には、やはり何らかの不純な動機が隠れていたのだ。
最高人民検察院の機関紙、検察日報も09年9月15日の評論で、地方で政府幹部の抜擢(ばってき)をめぐる不正が相次いだことを挙げ、「腐敗した役人は自らその蓄財を申告することはあり得ないし、子女や親戚を引き上げた指導者はその人間関係を人々に知らせるはずがない。インターネットは社会や公衆による監督を実現し、ネットユーザーに発言と参加の機会を与えた。(彼らが)幹部選抜に疑問点があることを暴いたのならば、人事部門はそれを積極的に主導し、科学的、合理的に民意をくみ取るべきだ」と指摘している。さらに「公開かつ公正に幹部が選ばれたのであれば、永遠に人肉捜索を恐れることはないのだ」と論じている。
人肉捜索は役人の不正に対するいわば「弱者の武器」となっている点はこのように高く評価されているが、一方で冒頭取り上げた陳凱歌の映画のテーマのように、過度なプライバシー暴露や譴責が1個人に向かうことへは何らかの歯止めが必要だ。2007年に起こった「死亡博客(ブログ)」事件などは人肉捜索の暴力性というもう1つの面が明らかになった。
07年12月29日、31歳の北京のOL、姜岩さんがマンションの24階の部屋から身投げをしたが、夫とその恋人を批判、命を絶つ前の2カ月間の心情などを綴った「死亡博客」を公開した。彼女の死後ブログは大手フォーラムに転載され、ネットユーザーの関心を集め、たちまち夫、王菲さんと恋人の会社や電話、自宅住所などが暴かれた。同じ会社に務めていた2人は仕事を失っただけでなく、自宅のドアには「死んで償え」「賢妻を死に追いやった」などと落書きされ(これもネットで流れた)、王菲さんがブログを転載したポータルサイトなどを提訴する事態に発展した。南京大学のネット研究者李永剛氏は「死亡博客事件はネット上の罵りが現実の中での人身攻撃へと転換、ついには『ネット暴力事件』となった」と指摘している。
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