清代中国のイマジナリーフレンド(?)
福田 素子
少し前に衛星放送で、アメリカの多重人格者・ビリー・ミリガンの生涯についてのドキュメンタリーを見ました。多重人格(解離性同一性障害)というのは、人が非常に忌まわしい体験をした時に、その体験を背負わせるために新しい人格を作り出すという現象で、分裂した人格は、もとの人格とは違う名前や生い立ちを持ち、もとの人格がしないことや出来ないことをやってしまいます。解離性同一性障害の人は、今の日本にも100人に1人はいるのだそうです。
脳がある状態におかれることで生じる不思議な現象は、どのような時代と場所でも起こりえるはずです。古代の中国にも解離性同一性障害になった人はいたはずで、そういう状態が文献に書かれていることはあるはずでしょう。そういえば張三さんがある日突然「俺は張三などではない、李四なのだ」と言い出す話は、筆記小説の中に山ほどあります。それは前世を思い出したとか、霊が取り憑いた、という風に理解されてきましたが、実は解離性同一性障害の描写だったのかもしれません。
他にも、蒲松齢『聊斎志異』の「咬鬼」は、まさしく睡眠麻痺(俗に言う金縛り)を描いたものでしょう。あれは夏の昼寝の話ですから、暑さで寝不足になっていて金縛りになったのだと思われます。私も何度かなったことがありますが、そんな時は、ああ私、今疲れてるんだな、と思います。
これら漢文で描かれる脳内現象の中で特に面白いのは、紀昀『閲微草堂筆記』巻五 灤陽消夏録五の話です。面白い点というのは、この話の中でその脳内現象を経験したのが、作者紀昀本人だということです。紀昀は『聊斎志異』のフィクション性を批判する立場で、実際に見聞したことを簡潔に書くべきである、と主張していますので、余程ひねくれて受け取らない限り、以下の話は紀昀が実際に経験したことを書いた、として良いはずです。
余両三歳の時、嘗て四五の小児を見る。綵衣金釧して、余に隨いて嬉戯(きぎ)し、皆余を呼びて弟と為し、意は甚だ相(あい)愛するに似たり。稍(やや)長ずる時乃ち皆見えず。
「私が二歳か三歳だったころ、四五人の子供を見たことがある。カラフルな服を着て金の腕輪をして、私と一緒に楽しく遊び、皆私を弟と呼んで、とても愛してくれたようであったが、私が少し成長すると、皆いなくなってしまった。」この作品を読んだとき、魯迅『故郷』の閏土(ルントウ)を思い出しましたが、読み返してみると、閏土は金釧ではなく銀圏(銀の輪)を首につけていました。干宝『捜神記』や王琰『冥祥記』で描かれる羊祜の転生譚でも、金の環を子供が玩具にしています。金や銀の輪っかは、大事にされている子供の印であるようです。
後に以て先姚安公に告ぐるに、公沈思すること之を久しくして、爽然として曰く、「汝の前母子無きを恨み、毎(つね)に尼媼をして彩糸を以て神廟の泥孩に繫(か)けて帰らしめ、臥内に置き、各おの命づけるに乳名を以てし、日び飼うに果餌をもってし、子を哺(はぐく)むと異なること無し。歿するの後、吾、人に命じて楼後の空院の中に瘞(うず)めしむるは、必ず是の物なり」と。
「後でこのことを今は亡き父に話すと、父はじっと考えることしばし、それからはっとして言った。『お前の前の母さんは子供がないのを気に病んで、いつも尼のおばあさんに頼んで神廟の土人形にきれいな糸を巻き付けさせて持って帰ってこさせて、ねやの内に置いていた。どの人形にも幼な名をつけて、毎日お菓子や食べ物を食べさせて、(本当の)子供を育てるのと違うところがなかった。彼女が亡くなった後、私は人に命じて楼の裏の使っていない庭に埋めさせたのだが、きっとそれに違いない。』」紀昀の父は、紀昀の生母と結婚する前に2度結婚しています。1度目は4回目に少し触れた安氏とです。安氏との間には、紀昀の兄である晫(字は晴湖)が生まれています。晫から聴いた話も『閲微草堂筆記』にはいくつかあります。安氏が亡くなると、張氏と結婚しますが、彼女は子供がないままに亡くなります。彼女がこの話の「前の母さん」です。彼女がやっていたおまじないは、「拴娃娃(しゅあんわーわ・「拴」は糸でくくるの意)」といわれるもので、子授けに験がある廟で泥娃娃(土人形)をさずけてもらい、持ち帰ってお世話をして祈ると子が生まれる、というものです。子が生まれたら廟にお礼参りをして泥娃娃をお返しします(重編國語辭典修訂本 https://dict.revised.moe.edu.tw/dictView.jsp?ID=134649&la=0&powerMode=0)。
春さんのブログ『八郷の日々』2020年7月13日の記事「泥娃娃」では、天理ギャラリーで1974年に開かれた「泥娃娃展」のカタログや、春さんのコレクションが紹介されていて、泥娃娃の写真を多数見ることが出来ます(https://koharu2009.blogspot.com/2020/07/blog-post_13.html)。
張氏はとうとう子供を授かることがなかったので、泥娃娃は廟に帰ることなく、そのまま家の庭に埋められてしまいました。原文で使われる「瘞」という字には、「埋葬する」・「墓」という意味もあり、モノではなく、本当の子供として扱うような意識が感じられます。
後来妖と為るを恐れ、擬(はか)りて之を掘り出ださんとするも、然れども歲久しくして已に其の処を迷(まど)うなり。
「あとから妖怪になることを恐れて、心当てにこれを掘り出そうとしたが、しかし年月が経ちすぎて、それがどこにあるのか、もう分からなくなってしまった」ということです。ということで、人によってはもうお察しのことと思いますが、幼い紀昀と一緒に遊んでいた子供たち、大人からは見えなかったらしい(もし彼らが見えていれば、紀昀父は土人形の話などしなかったでしょう)彼らはどう見ても心理学でいうところの「イマジナリーフレンド」・「イマジナリーコンパニオン」といわれるものです。
紀昀が彼らと遊んでいたのは、数え年で3歳、ということは今の4歳くらい。異母兄晫はいますが18歳も年が離れており、弟や妹もいないので、まさに現在の空想の友達を持ちやすい条件(4歳前後・一人っ子)をそろえています。以前は空想の友だちと遊ぶ子どもは、研究の先進地である欧米でも不気味がられ、心配されたようですが、今では悪影響はまったくない、と証明されています。むしろ、こんな楽しそうなお兄ちゃんたちが、私にも欲しかったな、と羨ましく思われます。
前母即ち張太夫人の姉なり。一歲の忌辰、家祭の後、張太夫人昼寝(い)ね、夢に前母手を以て之を推して曰く、「三妹太(はなは)だ経事ならず。利刃豈に児戯に付すべけんや」と。愕然として驚きて醒むるに、則ち余方に身旁に坐し、姚安公の革帯の佩刀を掣(ひ)きて鞘より出ださんとす。始めて魂帰りて祭りを受けるは、確かに其の事有りと知る。古人の死に事うること生くるが如きなり、という所以なり。
紀昀の生母、つまり張太夫人は、この前の母さんの妹にあたります。つまり前の母さんは紀昀の伯母さんになるわけです。「ある年の前の母さんの命日に、法事が終わった後で母の張太夫人が昼寝をしていると、夢の中で前の母さんが手で揺さぶったそうだ。『三妹(さんめい・紀昀母には二人姉がいたようです)! 全くどうしちゃったの! 危ない刃物を子供のおもちゃにしちゃだめだよ!』吃驚して目覚めると、私(紀昀)はまさにすぐ傍に座っていて、父の革帯の佩刀を引っ張って、鞘から出そうとしていた。魂が帰ってきてお祭りを受ける、ということは確かにあることであると、あらためて知った。だから古人は『亡き人に仕えることは生きている人に仕えるようにしなさい』と言ったのである。」このエピソードは、フロイト『夢判断』に見える、フランスの心理学者L.F.Aモーリの夢を連想させます。モーリはある日フランス革命の渦中に巻き込まれる夢を見て、ギロチンの刃が首に当たった時に目が覚めたのですが、その時ベッドの板が外れてモーリの首に落ちてきていた、というのです(ベッドを買い換えた方が良いと思います)。紀昀母の場合も、息子が刃物を弄ぶ音という覚醒刺激と覚醒の間の一瞬に、亡き姉がやってきたのでしょう。
半年間『漢文怪談 怪力乱心を語りましょう』にお付き合いいただき、どうもありがとうございました。紀昀のイマジナリーフレンドのように、ほんわかと何だか楽しかったな、という気分だけを残して消えることが出来れば幸いです。悪さをする怪にはならないと思いますので、後で掘り出されても焼かないでください。
参考文献:
フロイト・高橋義孝訳『夢判断』(上) 新潮文庫 1969年
賀治起・呉慶栄『紀暁嵐年譜』書目文献出版社 1993年
森口佑介『子どもから大人が生まれるとき 発達科学が解き明かす子どもの心の世界』日本評論社 2023年
(ふくだ・もとこ 聖学院大学非常勤講師)
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