媽祖の周辺③
広がる媽祖信仰の裾野
瀧本 弘之
内閣文庫の蔵書で『天后聖像』と題する本が知られている。表紙には筆で「天后図像」と書かれている。購入後に書き込んだと思われる。
これが本体の封面になると大きく「天后聖像」と篆書で書かれ(刷られ)、その裏には「天后娘娘」の像が配置されている。その後に、文字のみで「本伝」その後には同様に「天后伝」とある。「天后伝」は『福建省誌』から引いた文字のようだ。「本伝」は「天后莆林氏女也」(天后は莆田の林氏のむすめである)で始まる、媽祖の伝記である。その後は、図とその解説文字が続く。この本は短くした「媽祖」の図伝なのだ。1冊本で図は14図ある。その一部をみていこう。
最後の一葉に「福建泉郡修文堂書坊刻」とあり、刊行は福建泉州の書肆と分かる。最終ページにある判子のあとにより文化乙亥12年(1815)に昌平坂学問所が購入したようなので、中国で出版されたのは乾隆時期と考えられる。
前回取り上げた『天后聖母聖蹟圖誌』では、媽祖の伝記を図像で表した図版が26図あったが、今度の媽祖伝はその半数。ずっと少ない。
その図の標題を並べると、以下のようになる。
①窺井得符、➁抛梭拯溺、➂西山異草、④湄嶼仙葩、➄箬蓬服破、⑥鉄馬騰空、➆潮神頂礼、➈片雲致雨、➉二豎替形、⑪陰怪含沙、⑫神龍荷戟、⑬邪魔反正、⑭白日飛升
便宜上、数字を入れたがこれは元の図版にはない。いずれも難しい漢字の羅列でしり込みする。これは、簡潔に場面を表わすため表現を漢字四字だけに削っているからだ。しかし、媽祖の生涯を理解していれば、何を表わしているかはさほど難しくないらしい。
①窺井得符は、幼い媽祖が友だちと井戸の周りで遊んでいると、突然中から神人が銅の符を持って現れ、媽祖に与えたという故事を表わしている。この図は『聖蹟圖誌』の「窺古井喜得霊符」に対応する。
試しに、「窺古井喜得霊符」と比較してみよう。左が「窺井得符」で右が「窺古井喜得霊符」だ。標題自体が近いので、普通は図も似ると思うが、実際は大きく違う。「窺井得符」では、神人が霊符を手に持って媽祖に手渡している。その左脇に井戸の入口が見える。神人には2人の供がいて幡のようなものを捧げているが、「圖誌」では井戸に人物の捧げる香炉のようなものがあり、そこから煙が出てその中に人物が3人出てくる。だいぶ表現が違っている。登場人物は、「圖誌」が10人、「天后聖像」は9人だ。
次に⑥鉄馬騰空を見る。比較のために、文字の解説も掲載した。本来、図の裏側に来る文字なので、左側に置いた。この鉄馬に乗って空を行く媽祖のことを説明している。
この図に対応する「聖蹟圖誌」の図は見つからない。多分「天后聖像」独自の挿絵なのだろう。図版の数は「聖蹟圖誌」が多いが、書籍の刊行時期は「天后聖像」の方が先のようだ。したがって、数が多いからその中から選んで「天后聖像」で似た図版を作ったとは言えない。独自に挿絵を創ったのだろう。もちろん参考にするものはあっただろうが。この「天后聖像」の図は、文字説明が飾罫で囲まれているところが三か所あり、その形式は清中期以降ではちょっと珍しいものだ(それ以外は普通の組版になっている)。飾罫スタイルの文字説明は、明末の通俗小説で流行ったもので『隋煬帝艶史』などがその代表である。その場合、文字説明の内容に関連のある植物や小動物などをあしらうことが多い。ちなみに『隋煬帝艶史』は福建刊本と言われることが多い。飾罫を入れた図版作者は、先行する福建の明末の刊本を参考にしたのだろうか。『隋煬帝艶史』は、かつて遊子館『中国古典文学挿画集成 小説集(1)』(2009)に影印したので参照してほしい。
媽祖の図像を調べているうちに、いくつか珍しい資料に出会った。その一つが、『勅封天后志 二巻』である。これはウィキメディア・コモンズに掲載されている、ハーバード・イエンチン図書館のもので、興味深い図版が多数ある。乾隆年間の刊本で機会があれば紹介したい。清中期までの事蹟を取り扱い、天妃(媽祖)の昇天後(宋代)に王朝が媽祖を繰り返し顕彰して官位を与えた記録になっている。
宋明清と続けて顕彰される霊験あらたかな女神であったわけで、現代にまで連なるその長い記録の一部である。
その次に忘れてならないのが、通俗文藝に取り入れられた媽祖である。東大の東洋文化研究所には『新刊出像天妃済世出身伝 三十二回』(万暦中熊氏忠正堂刊)という本が収蔵される。これは天下の孤本だ。福建の「ヒロイン」である媽祖を主人公とした通俗小説で、分類すれば神魔小説、登場するのは妖怪の類で彼らを退治し折伏するのが林氏の娘、黙娘こと媽祖である。登場する妖怪の筆頭が西遊記のヒーロー孫悟空で、ここでは彼も媽祖に退治される運命らしい。
よく考えてみれば、このスタイルの上図下文の通俗小説で孫悟空が初めて登場したのが福建刊本だった(万暦20年前後)。その地は手ごろな娯楽本の揺籃であり、他の地域では考えも及ばないアイディアでこうした企画を思いついたのだろう。
この辺の議論は、李献璋「三教捜神大全と天妃娘媽傳を中心とする媽祖傳説の考察」に詳しい。この論文は元々は『東洋学報』第39巻第1号(1956年)、次いで氏の『媽祖信仰の研究』(泰山文物社、1979年)に掲載されているようだが、東洋文庫リポジトリでネット公開されていて読むことができた。日本語で書かれたため大陸では無視され、日本でもこの大著を読む人は何故か少なく、現在では収蔵する図書館も少ない。そのため若手研究者の論文には全く登場しないようだが、当時の書評をみれば、この著書を避けては媽祖を論じることは難しかろう。氏は戦前台湾から留学し早稲田大に学んだ篤学の人で、母語ではない日本語で著書を表している(学位論文)。昨年ようやく中国語の翻訳がマカオで出たようだ。
(たきもと・ひろゆき 著述家、中国版画研究家)
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