幽霊かく語りき
福田 素子
日本の幽霊は、あまり喋らないようです。例えば小泉八雲『怪談』「葬られたる秘密」(1904年)に出てくる奥さんの幽霊は、ひたすら黙って箪笥の前に座っているばかり。困り果てた家族やお坊さんが皆で忖度に忖度を重ねて、やっと正解にたどり着き、めでたく成仏させました。その点中国では、自分が何故幽霊になったのか、そして幽霊として目指す「ゴール」が何なのか、ちゃんと説明してくれます。中でも紀昀『閲微草堂筆記』巻24に登場する幽霊は、口から先に幽霊になったような幽霊です。
舅氏(きゅうし)実斎安公曰く、「講学家例ね鬼無しと言う。鬼吾未だ見ざれど、鬼語則ち吾親しく之を聞く。雍正壬子の郷試、白溝河に返宿す。屋は三楹(えい)あり、余、西間に住み、先に一南士東間に住む。交ごも相い問訊し、因りて酒を沽いて夜に談ず。南士称すらく、『一友と総角の交わりを為すに、其の家酷だ貧しく、亦た時に周するに銭粟を以てす。後に北上して公車し、適〻(たまたま)余、某巨公家に在りて筆墨を司り、其の飄泊を憫み、邀(むか)えて与に同居し、遂に漸く主人の賞識する所と為る。乃ち余の家事を摭(ひろ)い、潜かに蜚語を造り、余を擠(お)し出だして余の館に拠る。今将に山東に托鉢せんとす。天下に豈に此くも良無きの人有らんや』と。方に相与(とも)に太息するに、忽ち窓外に嗚嗚(うう)として泣く声有り、良(やや)久しくして語りて曰く……、」
「舅氏」は母の兄弟、つまりおじさんを指します。姓は安氏。しかし紀昀の生母は張氏で、安というのは紀昀の父の先妻の姓ですので、このおじと紀昀は血のつながりはないことになりますが、仲が良かったのか、『閲微草堂筆記』には何度も出てきます。「学問を説く人は、だいたい幽霊はいない、と言う。私はまだ幽霊を見たことがないのだけれども、幽霊が話すのは自分で聞いたことがあるのだ。雍正10年(1732年)の郷試の時、帰りに白溝河(天津を流れる海河の源流のひとつで、河北省を流れる)で宿をとった。宿屋は三間あって、私は西の間に泊まり、先客の南から来た士人が東の間に住んでいた。お互いに身の上を聞き合って、そこで酒を買って夜話をした。その南の士人は『ある友と子供の時からの仲だったのですが、彼の家はとても貧乏で、時々銭や粟を都合してやっていました。後に科挙を受けるために北にやってきたのですが、その時私はたまたまある大きな家で書記の仕事をしていて、居るところもないのを可哀想に思って、家に住まわせてやったら、彼は私の主人に気に入られたのです。すると私の仕事を奪い、讒言をして、私を追い出して私の家に住み着いてしまいました。今私は山東省で物乞いをしようとしている身です。天下にこんなに良くない者がいるでしょうか。』と言い立てたので、一緒にため息をついていると、ふと窓の外でむせび泣く声が……。しばらくすると、泣き声の主が語り始めたのだ」
『爾(なんじ)尚人の良無しと責むるか。爾の家本(もと)婦有るに、我門前に在りて花粉を買うを見、未だ娶らずと詭言し、我が父母を誑かし、爾を家に贅せしむるは、爾良無きや否や。』
『あんたはまだ人さまが悪いとあげつらっているのか。あんたにはもともと奥さんがいたのに、私が店先で化粧品を買うのを見て、まだ独身だと嘘をついて、私の父さん母さんを騙して、うちに婿に入るなんて、あんたに良心なんてあるのか。』彼女は、他の多くの清代の女性とは違い、親元に留まり婿を取り、舅姑に仕える苦労もなく生きられるはずだったのですが、この婿のせいで人生が暗転します。「爾(なんじ)良無きや否や」は、現代中国語だと「你有没有良心?」なのでしょう。さてこれから、どのように「良無き」だったのか見ていきましょう。
『我が父母疫を患い、先後して没し、別(ほか)に親属無し、爾其の宅に拠りて、其の資を収め、棺衾(かんきん)祭葬俱に草草たり、死せること一奴婢と同じくする、爾良無きや否や。』
『私の父さん母さんが疫病でばたばたと死んでしまって、他に身よりもいないとなったら、家も財産も我が物にしてしまって、棺も衾もお粗末にして、ろくな葬式も出さないで、まるで下僕や下女が死んだのと同じように扱って、あんたに良心なんてあるのか。』父母が死ぬことによって、夫婦のパワーバランスが変わってしまったのです。『閲微草堂筆記』には、他に雍正初年と雍正4、5年に疫病があったことが見えますが、運河は年貢を運搬する大量の糧艘を通さなければならない春夏シーズンに水量を増やし、流域では洪水が頻発します。気候温暖な時期に洪水が起これば、当然疫病が蔓延したことでしょう。
『爾の婦、糧艘に附して尋ね至り、門に入りて爾と相詬厲(こうれい)し、即ち我を逐わんと欲し、既にして原(もと)是れ我が家にして、爾我において衣食するを知り、乃ち暫く留むるを容るるも、爾巧みに百端を説き、我を降ろして妾と為し、我苟くも寧ろ静を求め、涙を忍びて曲げて従う、爾良無きや否や。』
『あんたの奥さんが糧艘に乗って探し当てて来て、うちに入ってきてあんたと大げんかして、すぐに私を追い出そうとして、ここが元々私の家で、私の家のものを食ったり着たりしていたんだと分かったら、ちょっとは追い出さないでいてくれたけれど、あんたはなんだかんだうまいこと言って私を妾分にしてしまって、私はとりあえず事を荒立てないように、涙をこらえて我慢していたけれど、あんたに良心なんてあるのか。』そこに南の士人の本妻が現れます。見たところ「蒸発した夫を探し当てた」という感じですが、どうもタイミングが良すぎますし、何の手がかりもなく行方不明の夫を探し出せる、というのも解せません。実は南の士人がこっそり呼びよせたと取るべきかもしれません。本妻が乗って来たものは糧艘、つまり第三回にも出てきた、官の穀物輸送船ですが、お金を払って頼めば、部外者が乗客として乗ることも可能です。乗組員の妻子もしばしば乗っているので、女一人でも乗れないことはありませんが、船を仕切っているのは後々「青幇」になるような連中ですから、この奥さんは、まあ良い根性をしている、といえるでしょう。
『既に我が宅に拠り、我に供給を索(もと)め、又我を虐使し、我が小名を呼び、動使となし、地に伏せて杖を受けしむるに、爾反りて彼に代わりて我が項背を撳(おさ)え、我が手足を按じ、転側する勿れと叱るは、爾良無きや否や。』
『私の家に居座って、私の家のものを奪い取って、その上私をいじめて、名前を呼ぶのも乳名で呼んで下女扱いして、道具のようにこき使って、奥さんが私を地面に伏せさせて杖で打とうとなったら、あんたはなんと私の首や背中や手足を押さえつけ、叱りつけて身をよじらないようにさせて、あんたに良心なんてあるのか。』『年余越えて、我が財産衣飾剥削して並びに尽きれば、乃ち我を西商に鬻(ひさ)がんとし、来たりて我を相(み)る時、我出(いづ)るを肯わざれば、又我を痛捶し、我が途(みち)窮りて自尽するを致すは、爾良無きや否ずや。』
『そうやって一年も過ぎて、私の財産も着物も奪い尽くしてすっかり無くなってしまったら、私を山西(または陝西)商人に売ってしまおうとして、買い手が私を品定めに来た時、私が出て行こうとしないと、また私を滅茶苦茶に殴って、私はどうしようもなくなって自殺してしまったのに、あんたに良心なんてあるのか。』夫の婿入り先の財産を食い潰すと、悪人夫婦は彼女を「西商」つまり山西・陝西商人に売り飛ばそうとします。しかし彼女は売られて違う男の妾になることを拒否して、死を選びます。男は気軽に再婚し妾を買いますが、女が再婚や妾になることを拒否して自殺すると「烈女」と称えられます。嗚呼(ああ)。
『我没するの後に一柳棺も与えず、一紙銭も与えず、復た我が敝衣を褫(うば)い、僅かに一褲を存し、裹(つつ)むに蘆蓆を以てし、叢冢に葬るは、爾良無きや否や。吾神明に訴え、今来りて爾を取らんとす。爾尚お責人の良無きを責むるや。』
『私が死んだら薄っぺらい棺も、紙銭一枚も無しで、それどころか私のボロ着も剥ぎ取って、ズボン一枚でむしろに包んで無縁墓地に埋めてしまったのに、あんたのどこが善人なんだ。私は神様に訴えて、今あんたを捕まえに来たんだよ。あんたはそれでも人に良心がないとあげつらうのかしら。』幽霊奥さん、ここまでで一気に267文字喋っています。『般若心経』全文よりも5文字多い字数です。一発で復唱できるおじさんも、たいしたものです。
其の声哀厲、僮僕並びに聞く。南士驚き怖れ瑟縮(しつしゅく)し、一詞の措く莫し、遽(にわ)かに噭然(きょうぜん)として地に仆る。余或いは牽渉されんことを慮り、未だ暁ならずして即ち行き、其の後如何なるかを知らず、諒として生くるの理無し。」……。
「彼女の声は悲痛であり、下僕たちも皆一緒に聴いていた。南の士人は驚愕して縮み上がり、一言も差し挟めず、いきなり絶叫して倒れてしまった。私ももしかしたら巻き添えを食うかもと算段し、夜明け前に出立したので、その後どうなったのかは分からない。多分生きてはいないだろう。」……。この話の面白いところは、一庶民女性の幽霊の訴えの向こうに、南北間の不和不信であるとか、水運システムの副作用であるとか、家族制度の歪みであるとか、問題山積の清朝の社会が広がっているのが見える、というところにあると思います。なおこの連載はだいたい3500字ということで書いているのですが、幽霊奥さんがあまりにもよく喋るので、4000字になってしまいました。
参考文献:
賀治起・呉慶栄『紀暁嵐年譜』(書目文献出版社 1993年)
運河については、第三回の参考文献を参照のこと。
(ふくだ・もとこ 聖学院大学非常勤講師)
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